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「達磨寺のドイツ人」とは、
高崎市豊岡町の文人浦野芳男の著わした、
『ブルーノ・タウトの回想』を参考に、
『ブルーノ・タウトの回想』 浦野芳男著
黒沢明監督が書いた脚本で、戦時中でフイルムの配給に事欠いて
映画化されないままになっているものだ。
達磨寺は、縁起ダルマで全国的に知られる、高崎の「少林山達磨寺」、
この寺の恒例の「七草大祭ダルマ市」は、一月六日と七日に行われたが、
境内の一隅に、群馬県指定史跡の「洗心亭」がある。
「洗心亭」 ガラス戸は土間の入り口
木造平屋で、六畳に四畳半に土間だけの極めて簡素な建物、
ここに、ヒットラーのドイツから亡命した、
近代ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880〜1938)が、
昭和九年(1934)五月から、二年三ヶ月生活していた。
「洗心亭」全景 石碑には「私は日本の文化を愛す」と刻む
この間、日本での建築家としての仕事はなかった。
「建築家の休日」と日記に書いているタウトは、
執筆に力を注いでいた。
タウト関係の出版物
その様子は『タウトの日本日記』や、
浦野さんの『ブルーノタウトの回想』に詳しいので
機会が有ったら読まれるといい。関係書籍はは沢山出ている。
「洗心亭」で書かれた、『ニッポン』と『日本文化私観』は、
『ニッポン』と『日本文化私観』の初版
幾度となく出版され、文庫本までもある。
『ニッポン』と『日本文化私観』の文庫本
『タウトの日記』を見ると、昭和十年十月二十六日に タウトは、
少林山先々代住職、大蟲和尚の案内で、黒瀧山に登り一泊している。
タウトが訪れた頃の黒瀧山の山門
その日記の中で、
「・・・ これほど不自由な生活に堪えていくなど想像に絶する。
かかる山中に寺院を経営した、往昔の求道者のことを考えると、
人間と云う動物も、それほど下らない存在でもなさそうだ」と、書いている。
タウトは、昭和十一年(1936)11月、トルコのイスタンプールに移り、
1938年(昭和13年)12月24日、イスタンプールで亡くなった。
エデイルネ門外の市営の墓地に葬られている。
ブルノータウトの墓
儂は、平成十七年三月、イスタンブールを旅した時、
エデイルネの市営墓地に、タウトの墓をを尋ね、
日本から持参した線香を灯してお参りして来た。
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