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【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

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 黒瀧山不動寺の寺宝の中に、『潮音禅師血書の法華経八巻』がある。
 
 延宝五年(1677)十一月十日、潮音禅師は五十才の誕生日に、
 
 館林城主だつた、大檀越徳川綱吉公の請疏(迎え状)を承けて、
 
 館林萬徳山広済寺の祝国開堂(開堂のお披露目式)を執り行った。
 
 記録によると、この日館林城下は、諸宗派の高僧、諸大夫、それに伴う人、
 
 一般の道俗で溢れるばかりだったとある。
 
 その興奮も覚めやらぬ、十二月のはじめ、
 
 肥前(佐賀県)小城の大悲山慈雲寺から、潮音禅師が得度を受けた師、
 
 泰雲和尚の訃報が届けられた。
 
 広済寺の開堂にあたって、慈雲寺の泰雲和尚は、
 
 潮音禅師が老体を気遣って寺に入れた、弟の月浦和尚を、
 
 「汝が居らずに、死することがっても何も恨みはない、
 
 早く関東に赴いて兄の開堂を援けなさい」と、
 
 広済寺開堂を手伝わせに差し向けていた。
 
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               『潮音禅師語録』巻五
 
 訃報を受けた寺では、早速、位牌を設けて七日の喪に服し、
 
 月浦和尚を早速慈雲寺に帰らせた。
 
 その時の潮音禅師の言葉が、『潮音禅師語録』巻五に記されている。
 
 「・・・ 郷書の知らせに曰く、老僧、霜月念三日(十一月二十三日)俄に円寂すと、
 
 予は之を聞いて、寝食共に廃して痛哭尤も甚だし、
 
 嗚呼、予は生に師に事(つかえる)こと能わず、滅するに喪に走らず、
 
 況や病中は、汝が薬餌に侍せざるを致し、誠に法中の不孝なり ・・・ 云々」と、
 
 生前は何事も慈恩に酬いる事も出来ず、
 
 亡くなった知らせを受けても、今は官寺に仕える身で、
 
 長期に寺を空けて慈雲寺に帰ることも成らず、
 
 位牌を設けて喪に服し、七日の潔斎を修しても、それだけでは済まされなかった。
 
 『潮音禅師年譜』の延宝五年(1677)の条に、
 
 月浦和尚に命じて云うに、
 
 「汝速やかに肥陽に回り(帰り)、
 
 須らく吾に代わって、期年喪を行ずべしと、
 
 法華経を血書し以て慈恩に酬ゆ ・・・ 云々」とある。
 
イメージ 2
               『潮音禅師年譜』 延宝五年の条
 
 この『血書の法華経八巻』は、黒瀧山に隠棲するときも離さず持参したもので、
 
 黒瀧山に深く秘蔵されている。
 
 

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