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儂の家の欄間に懸けてある額の一つに、
「破沙盆」と書かれたのがある。
伊吹山松尾寺東策老師の書だ。
その意味をよく人から聞かれるが、
それは、「ぶち割れた擂り鉢」と説明するが、
「それって何の意味」と、更に聞かれる。
「何の役にも立たない無用物のたとえで、
それは円熟した悟りの境地を指す」言葉でだと、説明しても理解されない。
寛文十一年(1671)五月、
木庵禅師は、江戸白金の紫雲山瑞聖寺の開山に迎えられて晋山した。
六月には、祝国開堂のお祝いをされ、
八月になって黄檗山萬福寺に帰ることになった。
この一連の行事に、役僧として手伝っていた潮音禅師は、
土橋宿まで見送り、昼食をとって別れることになった。
この時、木庵禅師が
「昔、応庵(おうあん)和尚(中国宋時代の禅僧)が、
弟子の密庵(みつあん)和尚に、
『如何なるか是れ正法眼』(仏教の真髄とは何か)と、質問すると、
密庵は、『破沙盆』と、答えた。
若し人がいて、お前に『如何なるか是れ正法眼』と、問うたら、どう答える」
と、質問すると、潮音禅師は机の上の蝋燭を指さして
「蝋燭は輝いています」(ここに輝いています)と、応えた。
さらに「破沙盆はどうした」と質問すると、
潮音禅師は無言で敷物を取って、(そんな物は必要ないとばかり)土間を叩いた。
木庵禅師は、これを見て潮音禅師が既に悟っていることを知り、
払子を立て印可を許した。禅問答って解らないね。
儂の家の「破沙盆」は、この潮音禅師印可の因縁を語るものなのだ。
これを書いてくれた東策老師も既に鬼籍に入り、
伊吹山松尾寺は無住と聞く、
2012・2・27 新幹線の窓から伊吹山を望む
京に出掛ける時、車窓から伊吹山を眺めたが、
松尾寺はこの中腹にある。
まだ深い雪に覆われている。
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