七艸庵 短い間でしたが有難う御座いました。

【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

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初夢談義

 「初夢」と云うのは、
 
 元日の朝見たものか。二日の朝見たのか、或いは立春の朝のみたものかと、
 
 いろいろ、意見が有るそうだが、
 
 一般に云う、二日の今朝儂が見た夢は、
 
 とても話にならない気味悪い恐ろしい夢だった。
 
 じゃあ、昨日元旦の朝見た夢はと、云えばもう忘れてしまった。
 
 夢なんてそんなものなのに、気味悪い夢だから覚えているのだろう。
 
 儂の子供の頃は、お目出度い良い初夢は、
 
 年の暮れに売りに来た、「七福神」とか「宝船」の「初絵」を枕の下に入れて寝ると
 
 夢見が良いと云われた。
 
 そして、その年の神様の御告げとして吉凶を占ったりしたとものだが、
 
 そのうちに「初絵」を売りに来なくなり、
 
 儂はこれを試したことは一度も無かった。
 
 初夢は昔から、「一富士、二鷹、三なすび」と、
 
 富士山の夢を最高とし、鷹の夢、なすびの夢がそれに続いた。
 
 その理由や縁起は知らない。
 
 こンな説もある、富士は、曽我兄弟富士の裾野の仇討、
 
 鷹は、忠臣蔵浅野家の紋所で赤穂浪士の仇討、
 
 なすびは伊賀上野の荒木俣衛門鍵屋の辻の仇討を意味すると。
 
 今朝、気味悪い夢を見たので、呟いてみたが、
 
 それも、これも夢幻さ。
 
 今年は良い年でありたいね。 
 

辰歳 元日の呟き

 どなた様も明けましておめでとう。
 
 去年は、東日本大震災に始まり何と騒がしい、慌ただしい一年だったか、
 
 七艸庵では事件事故はなかった。ただ、儂の病が膏肓に達した。
 
 成るように成るしかない。この世の中は常に動いているんだよ。
 
 さて、新しい年は辰年,龍の年だ。
 
 去年は、兎年なのにあの荒れ方は、山兎かな。
 
 それにも増して、龍が荒狂うことの無いよう願いたいものだ。
 
 辰年と云えば、潮音禅師は寛永五年(1628)の辰年生まれ、
 
 『潮音禅師年譜』に、
 
 「是年十一月十日辰刻当之厠而生焉」とあるので、
 
 十一月十日の辰の時(午前八時ころ)に、トイレに行こうとした時生まれている。
 
 黒瀧山には二つの滝がある。
 
 開山堂の裏に在るのが「一帯瀑」、
 
 禅堂(不動堂)の裏に在るのが「黒瀧泉」と呼ばれる一名「龍神の滝」だ。
 
 二つとも普段は極めて水量は少ないが、
 
 いったん降雨となると忽ち増水し、
 
 滝壺に潜む龍神が暴れて猛威を振るうと手の施しようがない。
 
 そこで、潮音禅師は大日不動の陀羅尼を刻んだ石碑を滝壺に建て、
 
 龍神をこれに封じ込める祈願した。
 
 以来、滝は静かになったと云う。
 
 しかし、今度は旱魃(かんばつ)が続くようになると、
 
 村人がこの石碑を倒して、「雨を降らせば、起してやる」と雨乞いの祈願すると、
 
 忽ち、雨が降る地と云う。
 
 この滝の水は、南牧川に、そして鏑川、利根川と流れて太平洋に注ぐ。
 
 黒瀧山の教えを受けたものがやがて世の指導者となる。
 
 これを詠んだ潮音禅師の、「黒瀧の一脉は大海に注ぐ」の石碑が建てられたが、
 
 その碑石に、白い龍の姿が現れた、
 
 潮音禅師の封じ込めた龍神の姿であろうか。
 
 潮音禅師の三転語のひとつに 
 
 「黒瀧三級浪飛過者化龍汝等諸人作麼生化得」がある。
 
 勉強不足の儂には、この問いに正しく答えることは出来ない。
 
 ことし辰年、元日の呟きでした。

辛卯歳 最後の呟き

 
 大晦日、今年も今日で終わりか、
 
 可愛いウサギの年の筈だったが、何と荒狂った泥鰌の年だった。
 
 八十過ぎた老人には為す術もないが、年金の減額は、一寸寂しい感じだ。
 
 今更、政府に苦情云った処で通らない。
 
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              七艸庵の玄関 売茶翁の像をなかに
 
 さて、今年八十才を記念して、元旦から始めた吾ブログだが、
 
 中心が儂の追及している 「黒瀧開山潮音道海禅師」の関連、
 
 之じゃあ、興味の無い方には全く面白くも無いブログだ。
 
 だから、「コメント」も極めて少ない、新しい友達は全く出来ない。
 
 それでも儂は、初心を貫徹して今日も楽しくブログしている。
 
 ところで、昔から「一夜飾りはするものでない」と云われるので、
 
 儂の家でも、神棚や仏壇の掃除、その他の片付けを済ませ、
 
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              年用意の済んだ神棚と仏壇
 
 床には、林文照管長の、「仁者壽」(にんじゃはいのちながし)の書を掛けた。
 
 論語の言葉である。
 
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        床には「仁者壽」の墨跡  吊るし雛は嫁の作品
 
 新年を寿ぐ心算で、別に長生きしたいと思ったわけでない。
 
 人生、八十まで生きれば沢山だ、後は余りの人生、
 
 儂は、ガンの治療を中止した。
 
 抗癌剤の副作用で苦しみながら長生きする必要はない。
 
 ガン治療を続けたとしてもこの先は知れたものだ。
 
 ガンなぞに執らわれず、惑わされず、考えず、
 
 これからは「心機一変」して、自然のままに生きて行こう。
 
 良寛和尚は、「病める時は病めば宜しい、死ぬときは死ぬが宜しい」
 
 と云っている。
 
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              中々整理の尽かないアトリエ
 
 儂のアトリエは、いつも整理の尽かない場所だ。
 
 整理すると資料が判らなくなる。
 
 その欄間に、村上鬼城の
 
     「春待つや峰の御坊の畳替え」の額が懸けてある。
 
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                   村上鬼城の額
 
 これは年の暮だからと云うわけでなく、好きな句なので年中掛け続けている。
 
 ここは、山の御坊でなく鼻高山麓の七艸庵だ。
 
 畳替えは五年もやっていない。
 
 それでも、明日に成れば自然と年が明ける。
 
 新年は「昇龍」の辰年で有って欲しいものだ。
 
 今年は暴れるなよ、儂は知らんぜ。
 
 八十一歳の誕生日が、ほど近い、
 
 老人、いや廃人の今年最後の呟きだ。
 
 
 潮音禅師の『指月夜話』第六巻に、
 
 「要傳神道」と題する一項がある。
 
 それには、潮音禅師と旧事本記大成経の因縁が記されている。
 
 潮音禅師が、江戸白金の瑞聖寺の首座寮に止宿して居た時、
 
 池田氏が訪ねてきて話すのに、
 
 「先日、貴殿の註解した『聖徳太子十七条憲法註』を見たが、
 
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              聖徳太子十七条憲法註の序文
 
 聖徳太子には別に『釈氏憲法』があるが、それを見た事があるか、」とのこと、
 
 余は、「未だその名を聞いたことも無ければ、見たことも無い」と、答えると、
 
 池田氏は、「貴殿がこれを見ても亦偽造だと必ず云うだろう」というので、
 
 余に貸して見せてくれたら大幸だと話した。
 
 又,京極氏が来て言うのには、
 
 「我が国神道の秘典がある。今日持参したが、
 
 牛兄禅師(鉄牛禅師)に因って異朝の善知識(隠元禅師)に
 
 之を見せしめンことを願いたい。」と、
 
 余は其の書を持って来ているのならば見せてくれと云うと、
 
 即時に神典を出したので、一覧したが句読が解らなかつた、
 
 京極氏は、「神典には、和国読(やまとよみ)の伝があると云う」
 
 これは道理だ。
 
 その時、「聖徳太子の釈氏憲法が有るか」と聞くと、
 
 「それは『五憲法』にある」というので、ぜひ見たいと話すと、
 
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            聖徳太子五憲法の表紙こぴー
 
 京極氏は、帰宅して直ぐに使いの者に持たせ届けたので、
 
 早速これを見て驚いた。これまでに聞いたことも、見たことも無い、
 
 これは天下の珍宝。これに過ぎるものはないと思った。
 
 その後、これは『聖徳太子の先代旧事紀』に在ることを知り、
 
 京極氏から正部を借りて読み、
 
 雑部をまだ見ていない或る日、
 
 長野氏が来て云うには、
 
 「伝え聞いたところ、貴方は「太子の神書」が、お好きとのこと、
 
 私は正本持っているので、若し、写本したいのなら写してもよい」とのこと、
 
 余は多年の大望、何んと幸いか、これに過ぎるものはないと借りて写本した。
 
 之によって、正部、雑部七十二巻を書き写した。
 
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         『指月夜話』第六巻「要傳神道」の一ページ
 
 これが潮音禅師の書き記した旧事本記大成経及び長野采女との因縁である。
 
 この経緯を知らないで、当時の廃仏論者や儒学者は、
 
 『旧事本記大成経』は、恰も潮音禅師の偽作と喧伝したのである。
 
 『潮音禅師年譜』の、延宝三年(1675)の項に、
 
 「池田逸士 持聖徳太子所製憲法本紀来 又見京極氏所蔵太子旧事本紀 
 
 通曉吾国神道極致」とあるのみ。
 
 翌年春には、金田城代等の請いで、館林場内で『憲法本紀』を講じている。
 
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     五憲法のうち通蒙憲法  「聖徳太子御製」とあるのに注意
 
 延宝七年(1679)には、版本屋の豊島屋の求めで
 
 正部に目録・序伝の四十巻を出版したのが、
 
 やがてこれが偽書だと訴えられ、
 
 「旧事本記大成経の偽書事件」に発展していくのである。
 
 

黒瀧山の年用意

  年末は何と慌ただしいことか、
 
 掃除や片付けの年よういに追われブログもそっち退けになっていた。
 
 年末ともなると様々に用意することが有る。
 
 江戸時代の終わり頃の黒瀧山の様子を記したメモから、
 
 以下、黒瀧山の年よういの様子を拾ってみた。
 
 
〇 歳暮は古くから茶二袋づつ配って来たが、
 
 近頃は番茶の進物では余り喜ばしく思われないので、
 
 切昆布一袋づつ配ることを新例にした。
 
 その京極印の昆布は、一俵が廿五、六貫(約100k)位、
 
 中に五玉あり、その一玉を凡そ 十に割り、袋に入れて一軒毎に配る。
 
 表書きに「祝昆布 黒瀧山」と、肩に「年暮」と相記す、とある。
 
 
〇 年始の音物も、先例は番茶だったが、近年は「白箸」に相改めた。
 
 是まで、総て人に与えたものは、余り下手(安物)では悪口の元になるので、
 
 格別に心掛けて、上手の品を吟味して買い求めて来た。
 
 僅かばかりの事で、世上に悪しく思われるのでこの段心得るように、
 
 箸は六膳づつを一袋に入れ、二袋づつ配る。
 
 
 〇 小作金、祠堂金、利息はこの節に触れを出して置き、
 
 毎年十六日と定めて置いて取り立てる。
 
 
〇 廿三日は例年「餅搗き」、昔は壱駄(二俵)づつ、
 
 今は無人故五六斗(70〜80k)、尤も、衆(寺の僧)の多少により副寺の考え次第、
 
 餅飾り、本尊前は参升づつ壱臼で三つ重ね、
 
 外は二重ね、不動尊、開山和尚、年徳神、隠木両和尚右の分中位、
 
 外四十重ね程は小なり、
 
 祠堂、位牌前、両単には十二重ね、過去帳二重ね、
 
 殿様方や世代は見合せ、
 
 毎歳鏡餅の分は三斗位、外をのし、年始人凡そ八、九十人なり。
 
 
〇 廿五日は、副寺は下仁田に下り、既に調べて置いた馬に積む物の買い物。
 
 三福庵(伊勢山)に歳末の挨拶、地方から黒瀧山に来る人が立寄り、
 
 寺から買い物に出かけた時、止宿したり、立寄ったりするので、
 
 金百疋に足袋を添えて贈る。
 
 
〇 廿六日、砥沢村の市川半兵衛、
 
 羽沢村の市川四郎兵衛、塩沢村の市川清兵衛、勘兵衛方へ
 
 歳末の挨拶に、あげ廿五枚と火除札を添えて使僧を出す。
 
 
〇 これ等の他、すす掃きや、寺の行事は何時もの通り、
 
 まさに十二月は「師走」、山寺でも大変忙しいことだつた。
 
 
 

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