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潮音禅師開山忌法要のあと、
開山堂裏に回って壽塔を拝塔する。
潮音禅師の壽塔
壽塔とは、生存中に建てる塔である。
黒瀧山の壽塔は、『潮音禅師年譜』によると、
元禄三年(1690)夏、潮音禅師が歳をとられたので、
長寿を寿ぐために、弟子たちがそれぞれ費用を出して
壽塔を真寂堂(開山堂)の後ろに造営し、六月四日に工を竣(おえ)た。
『潮音禅師年譜』の、元禄三年(1690)の条に、
「因師臘高 嗣法子孫 各抽衣資 営壽塔干真寂堂後 六月初四竣工」
とあり、潮音禅師はこれに次の偈を詠んで扉に刻ませた。
那伽大定 吾入斯中 那伽大定 吾この中に入る
鶏足迦葉 南山海公 鶏足の迦葉 南山の海公
期三会暁 輔彼化風 三会の暁を期し 彼の化風を輔すく
先聖後聖 其揆是同 先聖後聖 其の揆は是れ同じ
二行目の「鶏足迦葉」は改刻され現在は、「鶏峯葉老」となっているが、
何れにしろ「鶏足山の迦葉尊者」のことである。
「南山」は、南牧の山、「海公」は、潮音禅師の諱「道海」、
道は系字で、名は「海」である。
三会の暁は、弥勒菩薩は五十六億七千萬年を経て人間界に下生して、
三会の説法をして、人天の一切を救うと云うことだ。
元禄八年(1695)八月廿四日、潮音禅師が美濃の臨川寺で遷化されると、
黒瀧山の留守を預かっていた、大洞和尚と普門寺の瑞鱗和尚が
遺体の引き受けに行くと、
臨川寺参道
臨川寺側では、臨川寺が潮音禅師の初めて住職になった寺であり、
この寺に来られて遷化された以上は、遺体は臨川寺に葬ると、
とお互いに譲らず、争いになってしまった。
長老の奥州龍蔵寺の鳳山和尚や、美濃小松寺の覚照和尚の仲立ちで、
釈尊の例に倣い、荼毘に付して双方に分けることになった。
かくして、臨川寺の裏で荼毘に付され二分された霊骨は、
臨川寺の潮音禅師の墓塔
鳳山和尚や瑞鱗和尚等によって、九月十七日に黒瀧山に帰り、
五十日の法要を済ませて壽塔に納められた。
したがって潮音禅師の墓は、黒瀧山と臨川寺の二か所にある。
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