七艸庵 短い間でしたが有難う御座いました。

【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

日記

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初雪の一日

 
 今日は未明から降雪、
 
 4時ころ、トイレに起きて外を見たら、2センチほど積もっていた。
 
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 其の後も降り続いていたが、気温のせいか融けるのも早く、 
 
 8時ころに、やっと5センチばかり、それもじわじわ融けている。
 
 七艸庵は山裾に在るので、降雪のために車は全く通らない。
 
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 全く静かな一日だった。
 
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 昨夜来ちょっと、グループにトラブルの話があり、
 
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       わが家の野良たちは軒先の段ボールの中で
 
 その対策のため、あちらこちらに電話するなどしたがようやく収まったら、
 
 もう相撲の時間になってしまった。
 
 テレビで相撲を観戦するのが唯一の楽しみだ。
 
 

千寺院の初観音詣で

 
 正月十八日は「初観音」
 
 初めての観音様の縁日だ。
 
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           千手院の本尊 千手観音菩薩
 
 例年のことながら雪を心配しながら信州佐久の千手院に出゛掛けた。
 
 上州の平野部がカラカラの天気続いているが、
 
 信州佐久もほとんど雪は無く。二三日前に僅かに降ったと云う、
 
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           国道の内山峠、路面には雪が見られない。
 
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                  国道の内山峠
 
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                 内山トンネルに入る
 
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           長野側にも雪はかすかに見えるだけ
 
 僅かの雪が路肩に見える程度で心配はまつたくなかった。
 
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          浅間山の上に薄い帯雲が、下は千曲川
 
 ただ浅間山の上に横たう二筋三筋の雲が、
 
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           佐久平野、浅間山の煙も見えないが、
 
 八ヶ岳には立ち上る雲があった。
 
 何かの前触れでなければよいが、
 
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         何時もトラック野郎が立寄っているラーメン屋
 
 帰路は馴染みのラーメン屋に、体調も良くないのに
 
 歳もとっているので、美味くっても暴食しないように、
 
 
  体調がすぐれないと、何をするのも億劫になる。
 
 食って、寝て、起きて、それ以外は手が付かない。
 
 老人病なんだよ。と云えばそれまでかな。
 
 朝、目が覚めると、今日も生きていたのかと感じる朝が多い。
 
 以前、ブログした話だが、
 
 中国の古い話、
 
 岩窟に隠棲していた明瓉(みょうさん)の高徳を聞き、
 
 皇帝が召し出そうと勅使を向けたが、
 
 明瓉は、水洟を垂らしながら芋を焼いていて、勅使の話に見向きもしない。
 
 勅使が呆れて「鼻を拭ったら」と、云うと、
 
 「何であなたの為に鼻を拭わなけれはならないか」と、
 
 反問したと云う話がある。
 
 明瓉は、何かと懶惰(らんだ)の性格から一般に、懶瓉(らんさん)と呼ばれた云う。。
 
 儂もこれに近いものぐさ、場合によればこれと同等かな。
 
 そんなことで、ブログも途切れ、とぎれとなってしまうが不悪。 
 
 この途切れの間に、野田内閣改造が「最善最強」と発足 ? 。
 
 広島刑務所の脱走、と逮捕。イタリヤ客船の座礁。等など
 
 大事件が次々、
 
 まあ、体調に教わりながらブログも進めよう。
 
 
 

達磨寺のドイツ人

 
 「達磨寺のドイツ人」とは、
 
 高崎市豊岡町の文人浦野芳男の著わした、
 
 『ブルーノ・タウトの回想』を参考に、
 
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         『ブルーノ・タウトの回想』 浦野芳男著
 
 黒沢明監督が書いた脚本で、戦時中でフイルムの配給に事欠いて
 
 映画化されないままになっているものだ。
 
 達磨寺は、縁起ダルマで全国的に知られる、高崎の「少林山達磨寺」、
 
 この寺の恒例の「七草大祭ダルマ市」は、一月六日と七日に行われたが、
 
 境内の一隅に、群馬県指定史跡の「洗心亭」がある。
 
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               「洗心亭」 ガラス戸は土間の入り口
 
 木造平屋で、六畳に四畳半に土間だけの極めて簡素な建物、
 
 ここに、ヒットラーのドイツから亡命した、
 
 近代ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880〜1938)が、
 
 昭和九年(1934)五月から、二年三ヶ月生活していた。
 
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       「洗心亭」全景 石碑には「私は日本の文化を愛す」と刻む
 
 この間、日本での建築家としての仕事はなかった。
 
 「建築家の休日」と日記に書いているタウトは、
 
 執筆に力を注いでいた。
 
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                タウト関係の出版物
 
 その様子は『タウトの日本日記』や、
 
 浦野さんの『ブルーノタウトの回想』に詳しいので
 
 機会が有ったら読まれるといい。関係書籍はは沢山出ている。
 
 「洗心亭」で書かれた、『ニッポン』と『日本文化私観』は、
 
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       『ニッポン』と『日本文化私観』の初版
 
 幾度となく出版され、文庫本までもある。
 
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          『ニッポン』と『日本文化私観』の文庫本
 
 『タウトの日記』を見ると、昭和十年十月二十六日に タウトは、
 
 少林山先々代住職、大蟲和尚の案内で、黒瀧山に登り一泊している。
 
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                               タウトが訪れた頃の黒瀧山の山門
  
 その日記の中で、
 
 「・・・ これほど不自由な生活に堪えていくなど想像に絶する。
 
 かかる山中に寺院を経営した、往昔の求道者のことを考えると、
 
 人間と云う動物も、それほど下らない存在でもなさそうだ」と、書いている。
 
 タウトは、昭和十一年(1936)11月、トルコのイスタンプールに移り、
 
 1938年(昭和13年)12月24日、イスタンプールで亡くなった。
 
 エデイルネ門外の市営の墓地に葬られている。
 
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                 ブルノータウトの墓
 
 儂は、平成十七年三月、イスタンブールを旅した時、
 
 エデイルネの市営墓地に、タウトの墓をを尋ね、
 
 日本から持参した線香を灯してお参りして来た。 

黄檗文化展を観て

 
 今日は久しぶりに東京に行って来た。
 
 まあ、杖を頼りに一日がかり、と云ったところ、それも付添いが居てのことだった。
 
 目的は日本橋高島屋で開かれている、
 
 「隠元禅師と黄檗文化の魅力」を参観のためだった。
 
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 「韋駄天立像」や「華光菩薩像」は以前に観ていたが、
 
 今回は陳玄興の「十八羅漢の図」が特に観たかった。
 
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 塔頭万寿院所蔵で、揃って見られることが無かったからだ。
 
 陳玄興は長崎に居た中国人で
 
、岐阜の小松寺、館林の広済寺、黒瀧山不動寺と、潮音禅師に従って禅を学び、
 
 延宝八年(1680)には、居士として印可を授けられている。
 
 黒瀧山では、群馬県の重要文化財となっている
 
 「七師七友の図」を画いているし、
 
 浅間普賢寺蔵の「潮音禅師の頂相」を画いている。
 
 陳玄興については後日ブログで紹介したい。
 
 展示会場は、他にも書画、仏具、煎茶具等と、
 
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 黄檗文化の魅力を伝えるものばかりで眼を見張った。
 
 会場の一隅に煎茶席が設けられていたので入席してみた。
 
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 床には売茶翁の横物が掛けてあった
 
 「不離当処常湛然 (当処を離れず常に湛然) 八十六翁高貧士遊外」とあつた。
 
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 これは『証道歌』の句である。
 
 盛り物は春蘭と霊子で、「蘭秀芝英」と題していた。
 
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 茶碗は平安秋峰作の草魚紋と、高野清鳳のシルクロード紋と、
 
 どれもこれも立派な物ばかりだつた。 
 
 久しぶりにいいものを観、いいものを味わった
 
 儂の小さな旅だった。
 

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