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いよいよ明日5日から、「魚山大原寺寂源上人 勝林院開創一千年紀」が始まる。 1000年に一度ともいうべき勝縁をお迎えすることは、 この法要に携われた者として本当に感慨無量である。 開闢は古式に則り、『堂供養四箇法要』が舞楽立てで厳修される。 以下、解説本の抜粋をここにアップする…。 「四箇法用(しかほうよう)」とも表記する。『続日本紀』には、次のような記述がある。 天平勝宝4(752)年4月9日に営まれた南都東大寺の大仏開眼供養は、 聖武上皇・光明皇后行啓による、世紀の国家的大法要であったことがうかがわれる。 大導師はインド僧・菩提僊那(ぼだいせんな・ボーディセーナ。婆羅門僧正とも称した)が務め、 1026名の僧侶が出仕して厳修された。 そして音楽に秀でたベトナム僧・仏哲の指導により、 「林邑七楽」(ベトナム・ラオス周辺を起源に持つ雅楽曲)などを用いた 舞楽立てで行われたのだという。 まさしく名実ともに、国際色豊かな絢爛豪華を極めた法要であった。 この大法要で用いられたのが、「四箇法要」なのである。 即ち、「唄(ばい)」「散華(さんげ)」 「梵音(ぼんのん)」「錫(しゃく)杖(じょう)」の4曲から成る法要で、 その他にも「講師」「読師」の名前も見えるのは、論義法要も兼ねていたと思われる。 論義法要とは、2人の僧侶が対峙して、 経典の解釈を巡って質問と解答を繰り返す問答形式の法要である。 天台宗における論義法要は、「法華八講」などがよく知られている。 あるいは南都仏教では、法相宗の薬師寺と興福寺で交互に行われる、 法相宗祖・慈恩大師の御忌法要「慈恩会(じおんね)」などがある。 以て「四箇法要」は、仏教伝来からさほど遠くない時期に、 順次日本へ伝えられていた法要とも思われる。 当然、古代の仏教寺院では、 大陸の唐で行われていた仏教儀礼を模倣して法会が行われていたと考えるのが自然である。 「四箇法要」もそういう意味では、最も古い仏教儀礼の一つであると考えられる。 「四箇法要」は、総じて落慶供養などの慶事の法会で営まれた。 時代は下って、比叡山延暦寺の根本中堂落慶の時も、 桓武天皇行幸のもと、最澄禅師(後の伝教大師)を願主に、 南都七大寺の僧侶を招いて盛大に行われている。 その他、延暦寺大講堂落慶や法成寺金堂落慶などにおいても、この法要が用いられている。 「四箇法要」において重要な音曲が、最初に唱えられる「唄」である。 「始段唄(しだんばい)」とも呼ばれる音曲で、一字一字に長大な旋律が付けられている。 詞章は『勝鬘経(しょうまんぎょう)』の文言で、 「ン如来妙色 身世」の七文字を唱えるのに、一時間近くを要する。 以て「唄」は、然るべき魚山の師匠からの伝授を受けなければ唱えることが許可されない秘曲である。 また、伝授された者は唱えることは許されるが、それを他の者へ伝えることは許されない。 東大寺大仏開眼供養など古代においては、どのような作法で「四箇法要」が執り行われ、 また実際に唱えられた音曲の様相はつまびらかではない。 それは南都仏教に伝えられた聲明の伝承が、 時代の変遷により変化を遂げたことによると考えられるからである。 天台宗においては、「唄」が唱え始められてしばらくすると、 その「唄」を覆い隠すが如く、散華師の句頭発音に続き、 「散華」が大衆によって唱和されるのである。 「唄」のことを「唄匿(ばいのく)」ともいい、秘曲たる所以がそこにある。 この度の「勝林院開創一千年紀・堂供養四箇法要」では古式の作法に倣い、 「始段唄」に引き続き「中唄(ちゅうばい)」、 「梵音」に引き続き、「行香唄(あんきゃんばい)」がそれぞれ唱えられる。 開白振鉾(かいびゃくえんぶ) 平安雅楽会 【振 鉾】 古代中国、周の武王が中国を平定の折、 天神地祇を祀った故事に因んで作られた曲として伝えられている。 古来より、法会において舞楽を行う時に、初めに必ずこの曲を演奏し、舞台を清めた。 本来、三部構成であり、第一節は、左方舞人が登台、鉾を振って退場し、 次に第二節に、右方舞人が同じことを行い、最後に第三節は、左右舞人が同時に登台して舞う。 今回は、第三節「合あわせ鉾ぼこ」のみ行う。 |
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