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10月9日、午前の日中法要はなく、 魚山一老・浄蓮華院住職多紀頴忍師による「声明体験講座」が開催された。 実際の法要もさることながら、音曲を“手に取ってみる”が如く、 師匠の実唱をたよりに自身も実際に声を出してみることへのいざないであった。 こんなチャンスも「勝林院一千年紀」ならではの試みである。 穎忍師匠の曰く、 「声明は何も僧侶だけが唱えるものではなく、 皆さんと一緒にお唱えするもの…」と仰せであったのがとても印象的だった…。 さて… 午後からの逮夜法要は、私の中では待望の真宗大谷派(東本願寺)の声明である。 恥ずかしながら、まるで待ちこがれた恋人が来るが如く、 ワクワクしながら式衆たちの来山を待った。 昼頃、出仕者控所である三千院円融房に大谷派の僧侶が参集、 引き続いて勝林院本堂で直前の習礼(しゅらい・リハーサル)が行われる。 大谷派の勤行では、「平鏧(ひらきん)」と呼ばれる打ち物の仏具を用いる。 箱形の台の上に乗せられた、文字通り平べったい形をした鉢状の仏具だ。 大変甲高い音が鳴り響くもので、鏧を乗せる台はその形状から元々は真言宗起源ともいわれている。 法要を待たずして平鏧の音色が響き渡ると、調声の勇壮な声が堂内に響いた。 本番の素晴らしさを予想させる音声であった。 午後2時、法要を告げる梵鐘が鳴り、雅楽の音色とともに法要が始まった。 私はこの度の一千年紀慶讃法要で殊更に痛感したのは、 まさしく声明もまた自然界に同調していく唄音であるということだった。 大原という土地が声明修練の場と定められたことは、 勝林院本堂の構造とともに、ある種の必然性を思わずにはおれなかった。 大谷派の法要に依用されたのは『文類偈』真四句目下 和讃六首引である。 『文類偈』とは我々でいうところの『念仏正信偈』のことで、 親鸞が著した『浄土文類聚抄』の中にある偈頌である。 大谷派の勇壮な旋律が、魚山の山峡に響き渡った。 あらゆる宗派を招聘して法要を勤める話が持ち上がった時から、 是非、大谷派の声明を魚山で聴きたいという我が提案が、 ここに成功した瞬間でもあった。 この団体を率いる師匠が仰せであったが、 比叡山では2度ほど大谷派声明を用いて法要を行ったことがあるが、 魚山では初めてとのことであった。 大変喜んで頂いたのは、私にとっても本懐である。 私にとって原点回帰ともいうべき妙音声が、大谷派の声明なのである。 一昨年、東本願寺で厳修された宗祖七百五十回御遠忌(←クリック)に参詣した折の思いが再び甦った。 一向衆の生命力を感じさせる声明に、私は胸を熱くした次第である…。 |
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