「魚山大原寺勝林院開創一千年紀」 公式ブログ

2013年秋、洛北大原「魚山大原寺寂源上人 勝林院開創一千年紀」記念法要奉修に向けて…。

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「慈覚大師御影供」

御導師は魚山一老・魚山浄蓮華院住職、多紀頴忍師である。
この師匠のもとへ参内してから歳月が流れ、今、まさに一千年紀に出遇う…。

▲▲
ここに着座する僧侶は、属する宗派もいろいろである。
手前から、浄土真宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗…。



10月14日、ようやく遅ればせながら、
魚山一山の末席を汚すべく一千年紀慶讃法要に出仕することができた。
今年は勝林院一千年紀に加えて、第3代天台座主・慈覚大師円仁の千百五十回大遠忌の年でもある。

魚山声明の太祖たる慈覚大師の大遠忌も、この慶讃法要では兼ねている。
従って勝林院本堂には開基寂源上人の御影とともに、慈覚大師の御影も奉懸された。

「慈覚大師御影供」 (←クリック)は師僧より教わった作法でもあるので、
既に何度かの法要に出させて頂いているが、
宗派を異にする私は、ひとたび自宗に戻れば勤める機会は皆無となる。
今回も数年ぶりの実唱だったので、なかなか頼りないものであった…(滝汗)。

「御影供」はいうまでもなく、我が宗門にもその構成方法が伝えられている。
即ち現行の「大師影供作法」がそれである。
構成方法という言い方をしたのは、
作法の最後に唱える「六種回向」 以外は「御影供」の音曲は伝えられてはおらず、
他の音曲を用いて一連の作法が組まれているからである。
例えば「画讃」は魚山声明の「授地偈」の曲譜が付けられている。

「慈覚大師御影供」中、中心をなす「慈覚大師徳行讃」は、
なかなか口が慣れていないと唱えにくい音曲ではあるが、
定曲でテンポの良いヒズミカルな音曲である。
いやはや、私はいきなり本番だったので、所作に不手際があり申し訳ない限りではあった…。




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法要が終わり、正面から退堂する…。


「御影供(みえく)」とは、祖師の御影(肖像)に礼拝供養する作法である。

天台宗には『天台四大師御影供』として、
天台大師・伝教大師・慈覚大師・慈慧大師に対する「御影供」が伝えられている。
それらの中で『慈覚大師御影供』は、『天台大師御影供』に準じて編まれた、
第三代天台座主・慈覚大師円仁(794―864)に対する報恩謝徳の法要である。

慈覚大師が9年間に及ぶ唐留学(838―847)に際して著した、
最古の旅日記といえる『入唐求法巡礼行記 』は、世界三大旅行記にも数えられている。
ことに特筆すべきは、アメリカ合衆国の駐日大使も務めた、
日本研究家として知られる歴史学者、
エドウィン・О・ライシャワー氏によって世に紹介されたのだった。

慈覚大師は唐留学により、多くの聲明曲を日本へ持ち帰った。
魚山には慈覚大師に始まる『魚山聲明相承血脈譜』という、
師匠から弟子へと魚山聲明が伝えられたことを示す系譜がある。
これを以て、慈覚大師を魚山聲明の第一祖として頂いている。

『血脈譜』によれば、慈覚大師は持ち帰った多くの聲明曲の中で、特に「五箇大曲」と称して、
五種類の音曲を専門的に伝承させるべく7名の弟子を指名して、それぞれ相伝している。
即ち、「長音供養文」「独行懺法」「梵網戒品」「引声念仏」「長音九条錫杖」の5曲である。
これらの聲明曲は、その名が示すように、長大な旋律が付された音曲である。

「御影供」の次第は、梵語讃である「僧讃」から始まり、
「総礼詞」「勧請」「仏名」(以上、漢語讃)、「教化(和語讃)」、「祭文」、
本作法の中心をなす「慈覚大師徳行讃」、「六種回向」、「頌文讃嘆」で終わる。
「慈覚大師徳行讃」は、
他の「御影供」にある「天台大師画讃」や「伝教大師廟讃」の旋律に準ずる音曲である。
ちなみにここにいう「画讃」とは、祖師の御影に記された讃に旋律を付けたものである。

「祭文」に関しても付言しておくならば、法要の内容や趣旨を、
和語による独特の旋律を付けて述べる祈願文のことで、祭文師という役配の僧侶が朗唱する。
鎌倉時代以降、
修験者が錫杖という棒状のものに輪が付けられた法具を鳴らしながら唱える祭文が流布した。
江戸時代元禄期になると三味線を伴奏にした「歌祭文」が流行した。
これは浄瑠璃に影響を及ぼし、明治時代に至っては浪曲へと発展したとされている。


『勝林院 開創 一千年紀 千年響流』より抜粋





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「三十二相本曲 散吟打毬楽」

「唄」「散華」「対揚」から始まり、雅楽が伴奏される中、雅やかさはこの上ない法要であった…。
【写真・上】画面奥の右側で、紫衣の老僧が「唄」を独唱する中、
その横の僧侶が起立して「散華」の句頭を独唱する。


以上、勝林院本堂にて2013年10月14日撮影。




日中法要「慈覚大師御影供」に引き続き、午後の逮夜法要は、
東京の天台声明を研鑽するグループによる「三十二相本曲 散吟打毬楽」が厳修された。
雅楽の伴奏とともに唱えられる音曲で、
我が宗門では毎年元旦の朝に阿弥陀堂で勤まる「修正会作法」の原曲である。
現在、「修正会作法」は文言も改められて、打ち物しか付かない。

譜面としては残っていても、今回魚山で勤められるのは幾久しいことであると思われる。
この音曲も大変美しい旋律である。
老師僧は「修正大導師作法」として譜面と作法を復元されているが、
この度勤められた作法は、「唄」「散華」「対揚」を伴う、
「四箇法要」の体裁を織り交ぜたものであった。

それにしても、「三十二相」の実唱を聴くのも初めてであり、
こうした法要として出遇うのも初めてのことだった。
こうして天台宗内で研究復元がなされてあることは、大変意義深いことである。
是非とも天台宗における他の公式法要でも、盛んに依用されたいと願うばかりであった。



平安時代の京都方の楽人大神基政の著した『龍鳴抄』(長承2年・1133)には、
「散今打毬楽(ママ)。拍子十二。七反すべし。また三十二相にあはするやうあり。
ひやうしはおなじことなり。ことばのすこしかはるなり。うづのまさちかこれをふく。
さがの供奉院禅是をしりたり。三十二相頌一反にがく六反あはする也。
如一塵臥(ママ、初一智断か)といふ頌あり。とりの急にあはす。
ほかにはせず。
やはたの修正に大菩薩をおがみ奉る頌なり。
それにはこまふえの平調にてあはせふく。
ふきはぐれば横笛の下无調になる。
佛名のこゑの黄鐘調にいたりければ。かまへたる事とぞいひつたへたる。」とある。
また、奈良方の楽人狛近真が著した『教訓抄』(天福1年・1233)巻第六、
同じく奈良方の楽人狛朝葛が著した『続教訓鈔』第三冊にも記載があり、
この時代にすでに「三十二相」と散吟打毬楽と合わせることが昔からの習わしであり、
平安時代にはすでに合奏する形態が定着していたと思われる。

「三十二相」本曲は、「三十二相」に回向の四句を加えた三十六句で構成されており、
この三十六句は、六句ずつの音用の繰り返しとなっている。
『二巻抄』(十三世紀前半)には、「三十二相」が定曲(延八拍子)として載っており、
湛智の『聲明用心集』(天福元年一二三三)には延二拍子として、
四拍と八拍を合わせた十二拍をひと区切りに唱える様に指示されている。
これは萬歳楽等の如く只拍子(延只八拍子)を用いて、
一文字を十二拍に数える
(但し各句最後の一文字は休みも含めて二十四拍となる)ということである。
『教訓鈔』などに「三十二相」を一回唱える間に、「散吟打毬楽」を六回、或いは三回唱える、
また、六回繰り返す場合、五回目、または六回目から拍子が揚がる(太鼓の数が増える)等々、
口伝の部分が多いことがわかる。
また『體源鈔』などによれば、修正会、修二会においては本曲の後に鳥急、
即ち「三十二相」急曲を必ず奏していた。
或いは、水調(黄鐘調の枝調子)の「汎龍舟(泛龍舟)」を破曲、
「散吟打毬楽」を急曲とし、修二会や常楽会(涅槃会)で奏していたともいう。
「汎龍舟」と「散吟打毬楽」はかつては共に舞があり
二曲で一楽を為すとされていたが伝承が途絶えており、
「汎龍舟」は曲そのものが伝承されてない。
『楽家録』には「三十二相」と散吟打毬楽を合奏するのに三説有るという。
即ち、延只拍子(四拍+八拍、是古説近代不レ用レ之)、
延八拍子(八/四拍子)、早八拍子(四/四拍子、天王寺説是也)とある。
現在使われている三十二相の譜は、魚山叢書を元とした物で、
延只八拍子にあうと考えられる。


『勝林院 開創 一千年紀 千年響流』より抜粋















転載元転載元: ◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆


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