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勝林院開創一千年紀の余韻…。 10月18日、いよいよ「一千年紀」も大詰めになりつつあった日の逮夜法要は、 浄土宗西山三派(粟生光明寺・誓願寺・永観堂)有志による、 我が『往生礼讃』の源流である『蓮門課誦』が厳修された。 かれこれ8年前の春、浄土宗西山深草派と西山浄土宗の有志とともに、 我々浄土真宗本願寺派の面々も加わって「蓮門課誦研究会」(←クリック)が発足した。 その後、西山禅林寺派からもメンバーが加わり、名実ともに西山三派の僧侶がここに集った。 今、我が宗門で唱えられる『往生礼讃』は、1711年に西山深草派から伝えられた旋律である。 我々は爾来300年間にわたって変遷をしながらも、その旋律を伝承してきた経緯がある。 ところが西山深草派は、その後『蓮門課誦』の伝承が途絶えてしまい、 当初の旋律も時の流れに消えていたのである。 時あたかも宗祖および元祖の大遠忌を目前に控えた2006年、 再びいにしえの旋律を復興させんと超宗派の研究会が立ち上がったのだった。 しかしながら、復元研究の道のりは思った以上に難航した。 如何に一度途絶えた伝承を取り戻すことが困難であるか、心底より痛感した。 それでもいにしえの旋律を復元することは、仏祖の恩に報いる最善の業である。 2010年頃まで、集まる回数は減らしながらも続けられた。 そうこうする内に大遠忌の年となり、年に一度程度の参集にまで激減したが、 このまま立ち消えにさせるのはあまりにも忍びなかった。 大遠忌も過ぎ去ったそんな折、 「勝林院一千年紀」出仕の話を私は西山三派の有志に伝えたのだった。 多分、志半ばで立ち消えになりつつあったから、 ある意味“重い腰”だったのかも知れなかったが、快諾して頂いた。 一千年紀出仕の打診から1年余、 「証拠の阿弥陀仏」の尊前で『蓮門課誦』はその美しい旋律を見事に甦らせたのだった。 「六時礼讃」中、最初の『晨朝礼讃』の復元から始めた我々だったが、 『蓮門課誦』の特徴は礼讃の後に「讃念仏」が付属している。 この「讃念仏」こそは、恐らくは浄土門にとって最も古い勤行形式であろうと思われる。 我が真宗の「念仏和讃」は、明らかにこの形式を踏襲しているものであり、 漢語讃を親鸞の和讃に差し替えて唱えられたのである。 『晨朝礼讃』に続くのは、善導大師の『十四行偈』である。 礼讃の旋律と同じパターンではあるが、若干の違いもあって、 念仏と讃文の掛け合いが絶妙な美しさを醸していたのだった。 今から350年前、洛南伏見の深草真宗院で編まれた『蓮門課誦』は、 恐らくはこのような旋律、このような所作を以て唱えられていたのであろう…。 奇しくも研究会に参加されていた師僧も聴聞されていて、 その見事な復元ぶりに感嘆されていた。 言うまでもなく、私も思いを一つにしていたのである。 西山三派の式衆は研究会の主要メンバーに加えて、若手の僧侶も多く参仕していた。 是非この、真に復元された『蓮門課誦』を三派共通の宗定勤行になることがあれば、 それこそ本懐の極み、まさに末世相応の勤行と阿弥陀仏も“証拠”なさしめるか…♪♪。 法要開始前、出仕の面々に実行委サイドとして挨拶に伺ったら、 「一緒に出勤しよう…!」とお誘いを受けた次第ではあるが、 今日は法要をサポートするスタッフで遠慮申し上げた。 今から思うと、混ぜて貰うのもアリだったかな…と、いささか後ろ髪引かれる思いではあった。 とはいえ、音曲には付いていけても、所作はできないので、やはり邪魔はできないな…と(^^)ゞ。 ■勝林院一千年紀・大逮夜法要。−「如法念仏作法」− ■「勝林院開創一千年紀」円成。−結願法要「阿弥陀悔過」− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−「慈覚大師御影供」「三十二相」本曲− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−一向衆の響き、真宗大谷派− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−浄土宗− ■勝林院開創一千年紀・慶讃法要、開闢。 ■聲明へのいざない −「勝林院開創一千年紀」に向けて…− ■「証拠の弥陀」。−魚山勝林院− ■写真■
勝林院本堂、「証拠の弥陀」の尊前に『蓮門課誦』の旋律が響く…。 実唱とともに、五体投地礼など多くの所作を伴う法要であった。 2013年10月18日撮影。 |
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