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「魚山大原寺寂源上人 勝林院一千年紀」慶讃法要、つつがなく円成す…。 最終日10月20日の結願法要は、「阿弥陀悔過」が勤められた。 あいにく雨の最終日となったが、それでも参詣者でほぼ満堂だった。 法要は正月3日に同じき勝林院本堂で厳修される、 修正会(しゅしょうえ)に依用される「阿弥陀悔過」である。 その作法名が示すように、 阿弥陀仏を本尊として自らつくった悪業に対して「懺悔滅罪」する法会である。 ごく簡単にいうならば、“罪滅ぼし”を本尊に乞う訳である。 以て、我が宗門の教義的スタンスとは違う法要なのであるが、 魚山で音曲を学ぶ端くれとしては、やはり学ぶべきことには変わりない。 いわんや、「一千年紀」の御満座法要である。 初日である5日に出鼻をくじかれ、開闢法要に出仕できなかった分、 結願法要には何としても出仕申し上げたかったのである…。 ▲
行道中のシーン。 「阿弥陀悔過」の文言を見ていると、 『観無量寿経』に基づくものも見られ、「阿弥陀懺法」との共通性を見て取れる。 次第取りという、導師が句頭を唱えたあと、大衆が同じ文言を繰り返し唱えるという、 輪唱形式の所作が非常に多いのがこの法要の特徴でもあった。 未知なる所作が多かったためか、付いていくのに精一杯だった私である。 (顔つきに余裕が見られない…汗) ▲▲ 法要のラスト、舞楽が本尊「証拠の阿弥陀仏」の前で勇壮に舞われた。 勤行も一段落し、しばし雅やかなる舞に見入った…。 約2時間に及ぶ法要も、一瞬に思えた私である。 「阿弥陀悔過」に対する私の第一印象は、 とにかく動きが多かったのと、非常に民俗学的にも面白い法要なのだった。 それにしてもこの度の法要を通して感じ入ったことは、 勝林院は声明の聖地だけあって、本堂の反響効果が抜群であるということだった。 所謂、土壁は一切使用せず、側壁も全て木の板を渡してあり、 まるで本堂が木製スピーカーに感じられてならなかったのである…。 これも、何日も出仕させて頂く中で気付いたことである。 特に最終日は「結願法要」でもあるので、開闢法要同様、舞楽も奉納されて大変雅やかだった…。 また、この法要には“悪霊を払う”という『三十三度』が、 勝林院町の若衆たちによって太鼓と鉦を打ち鳴らしながら掛け声とともに繰り広げられる。 我々はその間はしばし小休止、静けさを打ち破る踊りを眺めながら勤行の再開を待つ。 【三十三度〜大懺悔】
勝林院の宮座の若連中十数名ばかりが年寄りの「三十三度‼」の掛け声を合図に
着物袴姿の若連中が太鼓と鉦の乱声と共に、左手に柳枝(魔除けの霊力がある)を持ち、
右手に竹のササラを持って腰低く屈めて床を叩きながら踊り出て、
輪になり数回廻り引き揚げる。
「三十三度」によって悪霊を追い払った後、悔過の中心である大懺悔に入る。
偈文は、「決定毘尼経」の文で、大乗仏教の立場からの戒律を説き、
懺悔法を行うことを説いた三世紀末に漢訳された経典である。
ゆるやかな序曲で始まり、途中から一字二拍の定曲となり、
最後は序曲で終わる長大な曲である。
【結願 舞楽・万歳楽】
平調に属し、四人又は六人で、襲装束(かさねしょうぞく)で右肩を脱ぎ鳥甲をかぶり舞う
左方平舞(文の舞)の代表的な舞楽。
唐の賢帝の治世に鳳凰が舞い降り「賢帝万歳」と鳴いた、
また、帝の飼っていたオウムが常に「万歳」と鳴いていたなど、由来には種々の伝承が有り、
古来より慶事の際に舞われた。
舞は、「平調調子」「当曲」「入調」の三章からなり、
番舞(つがいまい)は「延え喜楽」である。
今回は、二人にて舞う。
『千年響流』より抜粋
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法要終了後、普段着に着替えて撤収作業を行う。 勝林院も普段の姿に戻った。 撤収作業が終われば、スタッフともども法要円成を喜びつつ名残を惜しんだ…。 奥におわす「証拠の阿弥陀仏」も、思いを一つにして下さっておいでか…(^^) 以上、京都市左京区大原勝林院町の勝林院にて、2013年10月20日撮影 (カメラ・天納聖佳)。 【関連記事】■勝林院一千年紀・大逮夜法要。−「如法念仏作法」−■「勝林院開創一千年紀」点描。−浄土宗西山三派 『蓮門課誦』− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−「慈覚大師御影供」「三十二相」本曲− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−一向衆の響き、真宗大谷派− ■「勝林院開創一千年紀」点描。−浄土宗− ■勝林院開創一千年紀・慶讃法要、開闢。 ■聲明へのいざない −「勝林院開創一千年紀」に向けて…− ■「証拠の弥陀」。−魚山勝林院− |
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