|
魚山大原寺勝林院は、左大臣・源雅信の子である寂源が隠遁し、 長和2(1013)年に創建した寺である。 文治2(1186)年のことである。 後の天台座主・顕真は、浄土門を開いた法然房源空を勝林院へ招聘し、 南都北嶺の名だたる学僧(天台宗・証真、三輪宗・明遍、法相宗・貞慶ら)と対峙させ、 専修念仏(せんじゅねんぶつ)について論議を繰り広げた。 この、いうなれば世紀の宗教論議の決着を見んと、多くの僧俗が参集して聴き入った。 世に言う「大原問答」の旧跡が勝林院である。 果たして本尊阿弥陀如来は、 源空が論ずる専修念仏こそ末世相応の法門であると、眉間の百毫から光明を放たれた。 これをして我々浄土門の末流は、「証拠の阿弥陀如来」と仰ぐのである…。 いよいよ10月5日から勝林院において、「勝林院開創一千年紀」慶讃法要が厳修される…。 魚山声明を学ぶ末席の更なる末に置いて頂く私が、 この法要の一助たるべく関わらせて頂くのは、望外の喜びである。 去る8月26日、慶讃法要に向けて記者会見が行われた。 会見に先立ち、法要形式で声明を実唱する場にも連ならせて頂いた。 記者席は正面の広縁に設えられたので、扉の内側の障子が取り払われた。 滅多にない光景である。 観音開きの扉の向こうには、勝林院のシンボルともいうべき問答台(皆高座)と、 その奥にまします本尊「証拠の弥陀」がおわす空間が見渡せる…。 この日は前日の雨が幸いしたか、大原にもようやく心地よい涼しさにつつまれた。 記者会見中、緊張の汗は流したけれども、暑さによる不快感はなかった。 自然の摂理といえばそれまでであるが、「証拠の弥陀」の不可思議を味わう。 以て、梵唄声明を唱えることは、私にとっては本尊と対話させて頂くことなのである…。 歌唄讃仏……願我在道場 香華供養仏 (´人`)。 ■写真■
開放された正面扉の奥に、丈六の阿弥陀仏がおわす…。 京都市左京区大原勝林院町の勝林院本堂にて、2013年8月26日撮影。 |
勝林院の風光
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
洛北花園橋より八瀬を過ぎて、鯖街道を遡れば大原に至らしむ。 大原は是れ魚山(ぎょざん)と称せしは、 古来より梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の根本道場なり。 夫れ、梵唄は是れ天竺より唐土に伝はりし、仏徳讃嘆の音曲也。 第三代天台座主・慈覚大師円仁上人入唐求法(にっとうぐほう)ありて、 叡山に請来(しょうらい)されしものなり。 爾来、分流すと雖(いえど)も聖応大師良忍上人は、分流せし梵唄の一切を伝受されたりと云々。 良忍上人、大原に一宇を創して来迎院と号せしは、梵唄の根本道場とて是を調(ととの)へられたり。 従是(これより)大原は唐土の地名に因みて、梵唄の道場とて魚山の名あり。 魚山即ち是れ梵唄を云ふなり。 殊に魚山声明は天台より出でて、余宗悉(ことごと)く相伝す。 慈覚大師より千二百年を経て、予は今、魚山に参内して梵唄の伝授を乞ふ。 不思議の縁と云ふもなかなか愚かなりしか。 さてしも去んぬる四月二十四日、 魚山下之房・勝林院にて、開山寂源上人祥月の報恩とて御法要有之(これあり)。 魚山に参内せし愚僧、ここに出仕の栄誉を得たることを、あに千載一遇の機が熟すと云はざらんや。 折しも大原の春は下界よりも遅く、桜は咲きほこれり。 新緑の中の桜の花の色、いとあはれなるかなや。 椛は秋こそまされども、萌ゆる若き緑の粧い、いよいよ美しきものなり。 新緑麗しく心地よき春風、梵唄の如き浄きことを夢の中に思ひぬ。 ■写真■
少し古文調で書き付けました。読みにくくて申し訳ありませんm(_ _)m。【上】 勝林院境内は椛が多い。 白木の本堂を背景に緑が映える…。 【中】 勝林院本堂の広縁から、三千院の方向を望む。 手前は下之房・実光院の伽藍。八重桜がまさに満開である。 以上、2009年4月24日撮影。 【下】 三千院山門の傍らに咲いていた枝垂れ桜。 前日の4月23日、前日習礼(リハーサル)の日に撮影。 |
|
「魚山」という名は、来迎院・勝林院・三千院を中心とした、 大原諸寺の山号の総称として用いられている向きもあるが、 梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の根本道場という意味である。 そして「魚山」は、そのまま声明を意味する言葉である。 『魚山余響(ぎょざんよこう)』とは、江戸中期のある書物の名前である。 この書物を著した人物は、天台宗ではない我が宗門の声明家で、知影という僧侶である。 知影は我が宗門の声明のみならず、正統な声明を学ぶべく、久しく大原に学んだ人である。 そしてこの文書は、江戸期の天台声明や当時の法要儀式のありようを克明に記録している。 そういう意味では第一級の資料なのである。 それにしても昔の人は、情緒深い言葉を用いてその題名にしたりしている。 私は「余響」という言葉もそうだし、その音の響きも好きである。 大原の風景をして、「余響」という言葉の韻をしみじみと味わう。 山川草木皆悉成仏・・・・「余響」の韻にそれを思う・・・・・。 大原の緑は殊の外、美しかった・・・・。 ところで、大原には呂川(ろせん)と律川(りっせん)という2本の川が流れている。 これも声明にちなむ名前で、声明には呂曲と律曲という、 その曲調によって唱え方も旋律も変わってくる。 呂曲の声明は、ゆるやかで哀調を帯びた旋律である。 律曲の声明は、リズミカルで抑揚もはっきりしている。 大原を流れる2本の川は、そのことを表している。 呂川はゆるやかに流れていて、律川は岩がゴヅゴツしたりしていて、流れも急である。 それぞれの川の流れをして、声明のありようを表現しているのだ。 声明は自然の風景や音から生まれたといわれる所以なのだろう・・・・。 ■写真■
勝林院本堂の風景。白木のままで組まれた本堂に映える夏の緑・・・・。 |
全1ページ
[1]




