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トリフォーの「アメリカの夜」を観た。
1974年、日本公開。
37年ぶり、ということになる。
「パメラ」という映画が出来上がるまでの
監督やプロデューサーの苦労、
役者たちのわがまま、スタッフの努力などが描かれた、
内幕ものである。
監督のトリフォーの話からしよう。
パリで生まれたトリフォーは両親の離婚により、
孤独な少年時代を送った。
何度も感化院に入れられた。
勉強をする気にもならず、映画館に入り浸っていた。
それが、トリフォーとしてのスタートだった。
「アメリカの夜」は、トリフォー自身が監督役で出演している。
「監督はいつも質問される」と、いい、
気が休まる暇もない。
その日一日の撮影が終わって寝ても、夢に映画が出てくる。
夢は、
少年がステッキで、映画の宣伝用写真を盗むシーン。
写真はオーソン・ウェルズの「市民ケーン」だった。
トリフォー自身の思い出である。
「もうダメだ、と思ってもそこからなんとか映画に仕上げていく。それが映画なんだ」
数々のトラブルに会いながらも、最後のシーンを撮り終わるまであきらめない。
監督という仕事の辛さをトリフォーは述懐する。
副プロデューサーの奥さんが突然大声を出す。
「映画って、なんなのよ。だれもがだれとでも寝て、みんなが嘘をつく仕事。
まともじゃない。。わたしはあなたの映画をがまんできないわ。 わたしは映画を軽蔑する・・・・・そのとおり、軽蔑するわ!」 これも、トリフォー自身の内なる怯えた声だろう。
1974年に観たときは、映画つくりのドタバタぶりに、少し疲れた覚えがある。
あのころは、まだ広告会社に入ったばかりだった。
しかも、グラフィック担当のコピーライターだった。
ムービーの現場をよく知らなかった。
その後、CMの世界にも足を踏み入れた。
いま「アメリカの夜」を観ると、細部細部が面白くも、懐かしい。
CMというわずか15秒、30秒の短いムービーではあったけど、
映画と同じような混乱があった。
その混乱が懐かしいのである。
猫がなかなかミルクを飲んでくれない。
「もっと演技のできる猫を連れてこい」
たしかに、動物の撮影は大変である。
いまは、なんでもCGでうまく処理してしまうが・・・
撮影中に、監督のもとに本が届く。
ブニュエル、ルビッチ、ベルイマン、ゴダール、ヒッチコック、ハワード・ホークスたちの本だった。
ここにも、トリフォーの映画にたいする熱い思いがにじみ出る。
ジャクリーン・ビセットが「ブール・アン・モット」という特製のバターを要求してスタッフが慌てるシーンがある。
ジャンヌ・モローが『エヴァの匂い』の撮影中に
同じ要求をしたという実話から、とったという。
ビセットのセリフが、撮影直前で変わる。
「あきれたわ、私がさっき監督に打ち明けた言葉じゃない。いい加減ね」
これも、実際にあった話、らしい。
カトリーヌ・ドヌーヴがトリフォーに告白した言葉を
『隣の女』でファニー・アルダンのセリフにしてしまった。
トリフォーは、カトリーヌ・ドヌーヴともファニー・アルダンとも
恋人関係にあった。
さすが、監督魂である。
「ボクたちに幸せはない。あるのは映画の中だけだ」
そう言って、主演のジャン・ピエール・ルオーを監督が慰めるシーンがある。
数多くの美女に囲まれ、しかも、モテたであろう、トリフォー。
映画も人生も幻想なんだ、と言っているようである。
ナタリー・バイが、監督のアシスタントで出演している。
ボクは、ちょっと悲しげなナタリー・バイが好きだった。
まだ、このころは若かったが故に、悲しげではない。
そして、ジャクリーヌ・ビゼット。
美しい!!どの角度から見ても美しい!!
ボクは、ロッサナ・ポデスタも、
スザンヌ・プレシェットも、
ジャクリーン・ビセットも
みんな好きだった。
みんな若くて輝いていた。
すべては、夢のごとし、である。
トリフォーは、最後の恋人ファニーアルダンで「日曜日が待ち遠しい」を撮って、
この世を去った。
まだ、52歳の若さだった。
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こんにちは。
映画や文学のブログを書いているふじまるです。
今回はジャクリーン・ビセットについて書きました。
よかったら覗いてください。
2012/5/12(土) 午後 1:34 [ ふじまる ]