明日へのうた

労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

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 明治乳業争議が始まって30年になる。他の同種争議が次々に勝利解決をしていく中で、なんで明乳だけが取り残されてしまったのか。原因は言うまでもなく1996年9月11日に交付された都労委の不当な「棄却・却下命令」である。おれは担当の労働者委員として争議団や弁護団とは幾分違った角度、つまり都労委の内部からものを見られる立場にあった。心身の衰える前に「命令に至る経過」をもう一度検証してみたいと思う。月に何度か本ブログを借りて「真相への肉薄」を試みることを許していただきたい。

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 都労委に明治乳業賃金差別不当労働行為事件(明乳事件)が最初に申し立てられたのは1985年(昭和60年)4月18日(事件番号60年不27号)、30人連名(後に2人追加)の個人申立である。

 昭和60年度「都労委年報」によれば「請求する救済内容」は、/塾人の55〜59年度の職分・号級の是正、賃金是正額に年6分を付加して支払う、B山嫁綵および慰謝料として1人300万円、ず8紊郎絞未靴覆い海箸寮戚鵝↓ツ勅嬖犬亮蠍髻Ψ納─△裡宜猝椶箸覆辰討い襦

 申立要旨「申立人Sら30名は申立外明治乳業労組市川支部に所属し、支部結成直後の37から42年までは支部の執行部の一部を占めるなどして、労働者の生活と権利を守る強力な組合づくりのために奮闘し、その後も支部の民主的運営を一貫して要求するなどの組合活動を行っている。ところが会社は、申立人らの組合活動を嫌悪して、申立人らを低い職分にすえおき賃金差別を加えてきた」(都労委年報)。

 事件の担当三者委員は、公益・高田章(明治学院大学法学部教授)、労働者・森武郎(都職労特別執行委員)、使用者・三橋英雄(石川島播磨重工業株式会社顧問)で、当時の年齢は高田60歳、森54歳、三橋75歳であった。申立半年後の85年10月25日に第1回審問(証人・加賀谷武喜)が行われた。

 明乳事件はいわゆる「潮流間差別事件」である。大企業における賃金身分差別事件は少数派組合員に対する組合間差別として争われてきたが、1970年代後半に入ると会社に丸抱えされた労働組合の中でがんばっている少数派集団が立ち上がった。その典型が「東電人権闘争」と「石播差別争議」である。


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