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鹿島槍東尾根で禁煙の誓い。 1964年5月 当時私たちの体力技術では、東尾根は厳しい目標だった。 そのためメンバーも選んで臨んだ。結果としては天候に恵まれ、又先行したパーティーのラッセルが有ったりして、意外とすんなりと登ってしまった。 従ってそのときの記憶が少ないのですが、はっきり残っているのは禁煙のことです。 メンバーは3人だったのですが当時皆ヘビースモーカーでした。その為か着ているものは穴だらけ、テントやエヤーマットに穴をあけたりトラブルが絶えなかった。 東尾根登攀後のテントの中で酒を飲んだ勢い、禁煙談議をしているうちに、出来るか出来ないか試そうと3人で誓うことになった。持っていたタバコを全部雪の上にだして、石油をかけて燃やしてしまった。翌日の大町への、長い長い下山が地獄だった。(当時バスは源汲まで?)。 そして半年後には三人とも見事に元に戻っていました。 私はその後も何度か禁煙、再開を繰り返し、40歳で病気長期入院で、本物の非喫煙者になり今日に至っております。 写真1 アプローチ 大谷原から鹿島槍 現在の5月より積雪多い? 写真2 テン場付近から 写真3 東尾根 写真4 頂上近く
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セピア色の山日記
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(更新中) 1967年ロープウエイが出来るまで、中央アルプスは夏冬通して身近なトレーニングの場であった。 1963年1月 この年も冬山訓練で中央アルプス縦走をした。 上松口→金懸小屋→木曽駒ヶ岳→宝剣岳→木曽殿越→空木岳→南駒ケ岳→須原 3泊4日 当時の冬山登山事情 交通 国鉄の夜行が多かった。上松の駅などで朝まで待合室で寝たりした。 食料 主食は餅(少し砂糖を入れて凍らないようにしたもの)が主体。 肉を味噌の中に漬け込んで運んだ。 たまねぎ、ジャガイモ、白菜 燃料 加圧式石油コンロ(ラジュース) テント 冬用ウインパー式テント内張付。生地は綿布。凍りついたのを畳むと炭俵の大きさになった。 ザック キスリング 寝袋 米軍放出のシュラフ 羽毛で保温性はよかった。(戦場から遺体を運んできたものと噂されてい た。) ヤッケ、オーバーズボンは綿布で凍るとバリバリになった。 下着は毛製のラクダのシャツとズボン下が最も良かったが高価であった。 手袋等小物も米軍放出品が安価に出回っていて性能が良かった。 オーバーシューズは 帆布製で底があり膝下まで。 魔法ビンは中がガラス製でよく壊れた。 当時から比べると現在の装備は随分軽量化され、性能が上がったと思う。 とくにゴアテックスの出現で格段と雨具の性能があがり、より登山の安全に役立っていると思う。 10月7日8日の北アルプスでの大量遭難も、装備が良くなっても、自然の厳しさがそれ以上で襲ってきたときには防ぎようがないことを知らされます。現在は山の情報も色々な手段で手に入りやすい時代ですが、我々の知識体験など微々たる物です。今私は一人ではなるべく大きな山には行かないよう心がけています。これからも臆病な山登りを続けて行きたいと思ています。
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今年歩いた北ア中ア南アの中でセピア色の写真と同じ場所がいくつかありました。 半世紀前と山は変わりませんが、人間年をとりました。 |


