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希望のまち東京in東部第33回読書会「道徳感情と美学」
希望のまち東京in東部は2016年3月18日(土)、読書会第33回「道徳感情と美学」を江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。柄谷行人『世界史の構造』から「第3部 近代世界システム」「第3章 ネーション」「4 道徳感情と美学」を取り上げた。 友愛には非キリスト教観念として新しさがある。友愛、ネーション、ナショナリズム、初期社会主義と展開した。ナポレオン3世やビスマルクにもサン=シモン主義の影響がある。フランス革命の友愛は職人の同胞愛である。ここではナショナリズムではない。フランス革命にはドイツ人も熱狂した。ベートベンが好例である。 現代日本でも右翼側からの道徳主張が騒がしい。法律学を勉強する人はカント哲学を学ぶ。刑法の応報思想はカントに依拠している。右翼的な法律家は学んでいないのではないか。逆にカントを学んでいるから、厳罰化や死刑存続という議論になるのではないか。 国を愛するという美学にはまる人が多い。国に殉じる。桜のように散る。右翼に生き方を美しいか否かと語る人が多い。ナチスのイデオロギーの多くは美学の話である。美学に引っかかる。何かに闘争する時に共感意識、美的感覚が生じる。学生運動も美学への陶酔ではないか。どちらの立場ではなくて人々が陥りやすい思考を認識する必要がある。 戦争と平和は必ずしも対立概念ではない。戦争がなくても平和でない人はいる。昔の戦争は、それほど大量に人が死ぬ訳ではなかった。戦争と平和は、第一次世界大戦の総力戦を経てから重視された。前近代の農民は領主が変わっても生活は変わらなかった。前近代は国民という自覚はない。ロビン・ウッドは、自分はどこにも属していないという認識であった。 第二次世界大戦中にドイツの歌謡曲『リリー・マルレーン』が流行した。天草四郎の英雄視は後世の創作である。豊臣秀吉や徳川幕府はキリスト教が侵略の道具になると認識した。現実に東南アジアは植民地化された。キリスト教が侵略の尖兵になった。キリスト教弾圧は当時の日本にとって有効な施策かもしれない。 廓詞(ありんすことば)は東北弁を隠すために使われたとされる。江戸詞は味があった。方言が江戸の中でシャッフルされて江戸詞になった。明治以降に味のある言葉がなくなった。芸妓の言葉は関西と関東で異なる。 近代文学は個人が出てきた。個の確立と近代文学はリンクしている。前近代は物語であった。西洋音楽も同じである。宮廷付の音楽家から旅する音楽家になり、自立していく。 フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』は国家主義的な演説の雛形になる。ネーションの革新は言語である。国家的理性は風土、言語、民族といった感性的なものの中に基盤を持つものがある。 希望のまち東京in東部市民カフェは2017年3月23日に第138回「三島由紀夫と東大全共闘」を取り上げる。三島由紀夫が生きていたら、石原慎太郎はクズだと怒るだろう。今の自衛隊ならば三島由紀夫にアジられたら決起する人がいるかもしれない。赤尾敏の演説は面白かった。下手な漫才より面白い。色々な問題があるが、天皇論について考えたい。 東京都知事選挙は面白い。内田ドンのような昭和の利権体質をどうするかが問題である。安倍政治をどうするかが都民の問題意識ではない。高校無償化を進める小池百合子都知事に四年間続けて欲しい。都民ファーストの会が空中分解しないことを望む。内ゲバ体質を持つ旧民主党の政治家が増えると過去の第三極政党で起きたような分裂騒ぎが起きるのではないか。 創価学会と立正佼成会の対立も考える必要がある。創価学会と立正佼成会は伝統的に対立している。立正佼成会寄りの政治家が都民ファーストの会で影響力を強めると空中分解してしまう危険がある。 http://hayariki.sa-kon.net/ |
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shouhishahogoさん、こんにちは。
私は、できる限り車を使って旅するよう心がけています。
2017/3/18(土) 午後 4:12 [ ミネツウ ]