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希望のまち東京in東部読書会第35回「柄谷行人の福祉国家」
希望のまち東京in東部は2017年4月1日(土)、読書会第35回「アソシエーショニズム」を江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。柄谷行人『世界史の構造』から「第3部 近代世界システム」「第4章 アソシエーショニズム」「5 株式会社と国有化」「6 世界同時革命」「7 永続革命と段階の「飛び越え」」「8 ファシズムの問題」「9 福祉国家主義」を取り上げた。 労働運動が自主管理に取り組んだ時期があった。国有化では労働力商品の否定ではない。国有化は国家官僚が絶大な力を持ち、アジア的専制国家に逆戻りする。マルクスは緊急避難問として国有化を考えた。経営と資本が分離する。法人化の中で資本家がいなくなる。労働者も株式保有で資本に参画できる。しかし、資本の高度化によってマルクスが考えるようにはならなかった。資本家ではなく、CEOなど会社を管理する層に特権的な地位が与えられる。 マルクスは一国社会主義を無理と考えた。他の国の干渉を受けて潰される。ファシズムは説得力を持ってしまう。ファシズムを誤り、「どうかしていた」と排斥することは危険である。ソ連とファシズムはどこが違うのか。個人の尊厳、自由の問題がある。経済学は道徳と不可分である。戦前戦中は右翼も獄死していた。 愚民意識のある人は天皇制を利用する。天皇機関説を進歩的と評価する人が戦後リベラルに多いが、天皇主権説と本質的に変わりがない。国民には天皇主権説を押し付けたが、支配層は天皇機関説で考えていた。 アメリカは捕虜の聞き取りをして天皇をどうするかを判断した。『菊と刀』は非常に公平な研究である。天皇制の温存は共産主義の締め出しであった。アメリカには天皇制がないために赤狩りをした。アメリカではファシズムにシンパシーがある国民が多かった。 ファシズムとナチズムは微妙に異なる。ナチズムは人種排斥がある。国家社会主義という点ではファシズムが正統である。ファシズムとスターリニズムは両輪である。ファシズムと共産主義を同視する論調は反共主義からの宣伝だけでなく、実感として存在した。 飛び越え理論は可能か。資本主義を経ていない社会で社内主義は可能か。マルクスは真剣に考えた。マルクスは宗教について様々なことを言っている。全否定はしていない。マルクスをキリスト教左派と位置づける立場もある。原始キリスト教を知りたいならば、マルクスの時代のインターナショナルを見ればいいという指摘がある。 ヘーゲルは国家を肯定的に捉える。そこをマルクスは批判したが、ヘーゲルに影響されてもいる。社会主義体制は民族と宗教について回答を出せなかった。社会主義体制が宗教を批判したら、宗教は右派になる。 前近代において日本の共同体は天皇制とは無縁であった。天皇制は明治維新以降、発明されたものである。前近代においても流罪になった天皇の子孫という名乗りがなされた。日本の神話はポリネシアの神話と構造に似ている。日本は国のサイズが丁度いい。戦後の問題は天皇制の問題である。責任を取らない。 人間には保守性がある。変えたいと思う一方で、変えることに不安を持つ。変えるとなるならば自分を客観視しなければならない。前例のないことをすることほど人間にとって怖いことはない。 トランプ反対派には「偉大なるアメリカとしてトランプは許せない」という論理がある。トランプ支持者もトランプ反対者も同じである。自尊感情がある。「困っている人はアメリカに来て下さい」ということに自意識を感じる。 ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトに憧れる人は多い。しかし、後進国を社会主義化するという主張は、帝国主義の一種にしか思えない。植民地は独立の旗印として社会主義を掲げた。社会主義者が反植民地運動に携わったが、反植民地運動は社会主義ではない。アジアで共産主義をやろうとしても、民族運動にしかならない。 農民は強大な指導者を求めてしまう。ロシア革命も中国革命も主体は農民である。ロシアの農奴には所有権がなかった。共産党が皇帝の代わりになった。自立した市民が出てこない。植民地から独立して社会主義的な国が生まれたが、独裁的な国家になった。識字率が低いと、公的空間に入れない。そのような状況を無視して社会主義化すればいい、民主化すればいいとは言えない。あえて公的空間に参加できない人を作っているのではないか。 http://www.hayariki.net/tobu/ |
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