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ケンタッキーフライドチキン東陽町店でサクサク骨なしケンタッキー芳醇チーズ衣と「とろ〜りチーズチキンサンド」を食べました。共にチーズを楽しむ新メニューです。2018年3月23日からの期間限定メニューです。
サクサク骨なしケンタッキー芳醇チーズ衣は、骨なし胸肉を玉ねぎとコンソメで味付けし、パルメザンチーズとゴーダチーズをきかせました。オリジナルチキンとサクサク骨なしケンタッキー芳醇チーズ衣を食べ比べられるパックも入っています。但し、食べ比べると期間限定商品の味以上に、オリジナルチキンの安定の美味しさの方が印象に残ります。KFCのメニューはバリエーションが少ないですが、レギュラー商品の美味しさがあるから、定期的に食べたくなります。 KFC東陽町店は東京都江東区東陽の四ツ目通り沿いにあります。私が江東区に住み始めた頃から存在し、変わっていません。私はKFCは東陽町店とイトーヨーカドー木場店をよく利用します。次いで門前仲町店を利用します。 http://beauty.geocities.jp/souzoku_nakano/nakano.html 中野相続裁判、さいたま地裁に移送 http://hayariki.yotsumeyui.com/Entry/43/ 首都圏対流拠点シンポジウム http://hayachiro.take-uma.net/Entry/47/ 埼玉県警巡査が乳児傷害致死容疑 http://blog.livedoor.jp/hayariki2/archives/2077101.html |
エンタメ
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カガノミハチ『アド・アストラ スキピオとハンニバル』(集英社)は第二次ポエニ戦争を描く歴史漫画である。ローマを窮地に陥れたカルタゴの名将ハンニバル・バルカと、彼からローマを守った英雄プブリウス・コルネリウス・スキピオがW主人公になる。
第2巻のハンニバルは神がかっている。外見もナザレのイエスを連想させる。その分、人間としてのハンニバルは見えにくい。ハンニバルの環境を考えれば、もっとローマへの復讐心に燃えていても不思議ではない。その方がキャラクターとして感情移入できる。
第3巻ではハンニバル軍が攻撃した村への略奪や暴行が描かれるが、これもハンニバルにとっては寄せ集めの兵の歓心を得るためという合理的判断の結果であった。まるで合理的な戦術マシーンのようである。
ハンニバルは比類なき英雄であるが、物語を書く上で難しい点はローマ側の史料しか存在しないことである。歴史は勝者によって作られると言われる。ローマの著述家は日本書紀や古事記に比べれば公正であり、信頼性はあるが、ハンニバル自身の思いは見えにくい。佐藤賢一の小説でもスキピオを視点人物とし、ハンニバルは他者として描いた。
一方の主人公はスキピオである。スキピオはハンニバルの弟子と言われる。第2巻で早くも片鱗を見せる。まだまだローマの中での地位は低いが、W主人公にふさわしい活躍である。但し、ファビウスの前では大人しくなる。ファビウスは作者が好きな人物と書いており、ファビウスをクローズアップさせると、どうしても霞んでしまう。これは次の第3巻で顕著になる。
第3巻はハンニバルが隻眼になるところから始まる。この巻のローマ側の主人公はファビウス・マクシムスである。体の一部の特徴を導入部とした登場のさせ方は意表を突いた。
スキピオは時には鋭い洞察を示すが、若造である。後にはインペラトールと呼ばれ、高慢な自信家イメージがあるが、ファビウスと一緒にいると謙虚な若者である。
ファビウスは後世からは戦略家として評価されている。この巻では最初からローマ市民も戦略合理性を認め、ハンニバルも名将と評価する。ここは現代からの後付け解釈にも見えるが、その後に人気が下がり、のろまのファビウスという不名誉な渾名がつく。ファビウスはローマの盾と称されるが、「盾だけではハンニバルを倒せないのか」との疑問が提示され、後の展開に期待を持たせる。
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ジェームズ・ロバートソン著、田内志文訳『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』(東京創元社)はスコットランド国教会の牧師を主人公とした小説である。その牧師は神を信じないまま牧師になり、人妻と不倫し、悪魔と語ったと告白し、スキャンダルを巻き起こした後に失踪した。
本書は小説としての構成がユニークである。牧師が自らの一生を振り返る遺書が中心であるが、それを出版しようとする出版社経営者が冒頭と最後に説明を入れている。このために読者は牧師にどっぷりと感情移入するよりも、少し突き放した感覚になる。牧師は超自然的な経験を語るが、それが果たして真実か幻覚か分からなくなる。 序盤は父と子の葛藤が中心である。牧師は20世紀後半の科学技術が発達・普及し、ライフスタイルが大きく変わった時代を生きてきた。そのような時代に神を信じて生きることは容易ではないと感じた。 牧師は元々信仰心を持っていなかったが、それを明らかにしたのは超自然的な経験の後である。普通ならばパウロの回心のように超自然的な経験は信仰に目覚めるきっかけになる。逆に超自然的な経験が信仰心の否定を宣言するきっかけになるとは皮肉である。伝統宗教は形式を墨守するだけで、超自然的な経験を受け入れる余地はないのだろうか。 佼成病院過労死遺族への渡邉美樹ブラック質問は卑怯
http://blog.livedoor.jp/hayariki2/archives/2076703.html 渡邉美樹議員が佼成病院過労死遺族にブラック質問 http://blog.livedoor.jp/hayariki2/archives/2076527.html 林田力『肉料理』江東住まい研究所、2018年3月7日 https://www.amazon.co.jp/dp/B07BB1B1DH/ Meat Dish (Japanese Edition) Kindle Edition https://www.amazon.com/dp/B07BB1B1DH/ 林田力『読書』江東住まい研究所 #amazon #kindle #エンタメ https://www.amazon.co.jp/dp/B07B78F3FF/ |
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佐藤賢一『傭兵ピエール』(集英社、1996年)は、百年戦争下のフランスを舞台とした歴史小説である。野口賢が漫画化し、ヤングジャンプコミックス全4巻が刊行されている。また、宝塚の舞台にもなった。
救世主ジャンヌ・ダルク(ラ・ピュセル)の活躍を傭兵隊長の目から描く。傭兵隊長ピエールは、略奪の途上で不思議な少女に出会い、心奪われる。人間としての弱さと熱い感情を直視した人間ドラマになっている。
この時代の戦争は略奪や人さらいが常態化している。戦場になった地の住民は悲惨である。その重たさが描かれているが、読むのを拒絶したくなるほどではない。ここは賛否が分かれるところであろう。ピエールを憎みきれない人間臭い人物として描くことに成功しているが、これまでのピエールの悪逆非道さが十分に描かれていないという見方も成り立つ。
これは現代作品でもヤンキーの描写で問題になるところである。昭和的な感覚ではヤンキーはヒーローであり、悪いこともするが、根は悪くないという描き方は成立した。しかし、ヤンキーに迷惑を被った被害者の立場では到底感情移入できるものではない。このような感覚を持つ人が現代日本で増えていることは健全である。
本書には青髭ジル・ド・レも登場し、歴史ファンにはたまらない。ジャンヌ・ダルクはフランス王家に利用されるだけ利用されたという割に合わないイメージがある。そのイメージに本書も沿っているが、それだけに結末は意外感があった。
漫画版は原作に完全に忠実にはならない。端折られた部分もある。ジル・ド・レは、ほとんど印象に残らないキャラクターになった。逆に物語の本筋ではないが、英軍占領下のフランスの町で英国兵が代金を支払わずに商店の品物を持っていってしまうシーンが描かれる。他国軍に支配されている不合理さが理解できる描写である。
結末のシーンは原作と漫画では印象が変わる。原作では家庭的な生活に埋もれていく印象を覚えたが、漫画では再び冒険しようという感じである。私は前者を評価する。ピエールは過去に悪行を繰り返してきた。一段落したら冒険再開では無反省なヤンキーと同じである。人間として枯れてこそ、ジャンヌ・ダルクと会って変わったと言えるのではないだろうか。
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さいとうちほ『とりかえ・ばや 2』(フラワーコミックスアルファ)は睡蓮にも動きがある。姉と同じく自らの性とは違う役割で社会に出て行く。睡蓮に気になる人ができる。相手に尽くすというジェンダー観点での女性的なものである。沙羅双樹は右大臣家の四の姫と結婚する。こちらは自分がリードする点で男性的である。
石蕗(つわぶき)の宰相は想いを寄せていた睡蓮に強引に対面したが、恋のトキメキを感じなかった。逆に男性と思っている沙羅双樹にトキメキを覚えた。石蕗の直感は正しいが、真相を知らないために自分の気持ちに戸惑う。戸惑うあまり、実験するシーンは笑ってしまった。変態的とも評される作品ならではのものである。
第2巻の終わりで石蕗の宰相は道義的には危険な方向に進む。しかし、最初から懸想していた相手であり、むしろ正しいと言える。恋愛物は、あの人とあの人が結ばれたらハッピーなのにと感じることがある。本書も同じである。
この巻では帝が退位し、東宮が即位する。代わって女一の宮が東宮になる。女性の東宮は現実の歴史では聞いたことがない。『とりかへばや物語』は主人公二人だけでなく、物語世界自体がジェンダーにとらわれていない。
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