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埼玉県警熊谷署地域課の生井力巡査が2018年3月24日に乳児虐待の傷害容疑で逮捕された。生井力巡査は2018年3月22日昼頃、さいたま市北区宮原町の自宅で生後3カ月の長女を揺さぶり、脳内出血と眼底出血など重態を負わせたとされる。重体ということは命の危険性があることを意味する。相当強く揺さぶったのだろう。子は親を選べない。乳児は激しく揺さぶられると、首の筋肉が未発達なために脳が衝撃を受けやすい。未必の故意の殺人になるのではないか。
埼玉県警熊谷署巡査は「泣きやまないことから感情が噴出し、10回程度揺さぶった」と供述しているという。「感情が噴出」とあり、自分の感情をコントロールすることができないのだろう。感情失禁するタイプと類似性があるのではないか。埼玉県警巡査の育ち方が駄目なのだろう。考える力が無さ過ぎる。辛抱や寛容さに欠けている警察官が増えていると感じる。このような人物が仕事で拳銃持ち歩いていることは恐ろしい。少しイライラしただけで発砲しそうである。
子どもは泣くことが仕事である。生後3カ月の乳児の泣き声は愛おしいものと思わないのか。おしめ、ミルク、発熱、湿疹など親がチェックすることはあるだろう。自分の子の泣き声でも感情が噴出するならば、泣き止まない他人の子どもに公共空間で遭遇したら、何をしたか分かったものではない。それこそ発砲しそうである。長女は可哀想であるが、社会的には犠牲になったのは自分の子どもでまだ良かったと言うべきか。
意識不明の重体だった長女は3月25日午後8時20分頃に搬送先の病院で死亡した(「傷害で逮捕の熊谷署巡査の長女が死亡/埼玉県」テレビ埼玉2018年3月26日)。司法解剖の結果、死因は脳内出血と判明した(「重体の3カ月長女死亡=巡査による揺さぶり事件−埼玉県警」時事通信2018年3月26日)。県警捜査1課は傷害致死容疑に切り替えて捜査する方針(三股智子「<傷害>25歳警官が虐待 生後3カ月の長女死亡」毎日新聞2018年3月26日)
http://blog.livedoor.jp/hayariki2/archives/2077101.html |
警察不祥事
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神奈川県警ではパワハラが疑われる拳銃自殺が起きている。神奈川県警泉署の男性巡査(当時25歳)は2016年3月に署内で拳銃自殺した。これは上司らのパワーハラスメントによるもので、県警が適切な対応をしなかったことが原因として、両親が命日となる2018年3月12日、県に対し安全配慮義務違反で損害賠償を求めて横浜地裁に提訴した。
訴状によると、古関巡査は15年2月に採用、同8月に泉署に配属されたが、複数の上司から叱責されるなどし、悩んでいたという。16年3月、ミスをして交番の男性上司から「お前と組みたいやつなんかいない」などと言われ、蹴るなどの暴力を受けた(「<巡査自殺>「パワハラ原因」遺族が損賠提訴 横浜地裁」毎日新聞2018年3月13日)。 両親の損害賠償請求額は約5500万円である。東急ハンズ心斎橋店過労死裁判では約9千万円の損害賠償が請求された。神戸地裁は過労死を認定し、東急ハンズに約7800万円の損害賠償を命じた(林田力『東急ハンズ問題』Amazon Kindle)。 東急ハンズ過労死事件との請求額の差にはミスをしたという点が影響しているか。ミスの内容が問題である。市民の迷惑を及ぼすミスならば厳しく叱責されて当然である。警察不祥事では甘過ぎる処分も批判対象になっている。本人が落ち込むくらい反省することは正しいが、職務で拳銃を持たせたことは安全配慮義務違反になる。そこを訴状が問題にしていることは正しい。 |
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動物愛護政策の構成要素「目的・対象・手段・権限・財源」を検討する。
動物愛護政策の構成要素は動物を愛護することである。但し、公共セクターは国民の幸福追求の権利を最大限に尊重する立場から、動物愛護の形を国民に押し付けることは馴染まない。むしろ動物虐待の阻止という消極的規制が中心になることも十分にあり得る。 動物愛護政策の対象は動物と言いたいところである。これに対しては法的主体ではないという批判が考えられる。政策の名宛人が動物を扱う人々(飼い主、ペット業者など)になることは間違えない。それでも動物のためという視点がなければ動物愛護政策は成り立たなくなる。 動物愛護政策の手段には直接規制、直接供給、誘導、誘引、啓発全てが含まれる。直接規制は動物愛護法第44条(刑事罰)を厳格適用し、劣悪な環境で飼育するペット引き取り屋などの悪質業者を規制する。但し、取り締まりの実効性を挙げるためには市民からの情報提供が必要であり、啓発が重要になる。 直接供給は動物愛護センターがペット飼育を望む人々に保護動物を譲渡することである。但し、これも全てを行政が実施するよりも、NPOやボランティアと協働した方が効果的である。行政が面倒なことの丸投げにならないように適切な誘導や誘引が必要になる。 動物愛護政策の権限は動物愛護法に基づく。動物愛護政策の財源は一般財源になるが、現状はNPOやボランティアの負担で成り立っており、財源をフリーライドしていると見ることができる。神奈川県が新たな動物保護センターに設置する「ふれあい譲渡室」の建設費500万円をクラウドファンディングで募集した例がある。 人間の生活も大変な中で動物愛護への過大な税支出は必ずしもコンセンサスを得られるとは限らない。保護動物の増加がペット産業の歪によって生まれていることから、ペット飼い主またはペット業者への新税の検討は選択肢になる。 http://hayariki.zero-yen.com/ |
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こんなのアリ?
名古屋・白龍町のマンション紛争で現場監督に被害を抗議したら殴ってもいないのに傷害容疑で逮捕され、そのまま2週間、拘留された。 緊急集会 2016年12月9日(金)午後18時30分〜20時30分
会場・全水道会館(水道橋駅東口下車 徒歩2分) 会費・1000 円(学生500円) スピーカー:O さん(本人)、日置雅晴さん(弁護士)、小磯盟四郎さん(川崎まちれん)その他、応援たくさん 主催: 景観と住環境を考える全国ネットワーク 日本のまちづくり制度の中で、マンション紛争は途切れることなく繰り返されてきました。それは良好な生活環境を求める問題意識から生まれるもので、住民運動や裁判、抗議活動の積み重ねの中から日照権や景観法、全国の自治体のまちづくり条例制定、高さ規制など「景観・環境」を重視する制度が整備されてきたのです。
名古屋白龍町でイワクラゴールデンホームが 15 階建てマンションを計画したことに対して、住民が異議を唱えるのは周辺の低層の街並みや環境への影響を考えれば当然といえます。また、名古屋市はマンション計画地前の通りを幹線道路として位置づけていて、その整備方針を見直した際に、建物の制限を緩いまま放置したことが今回の紛争の原因を作っています。このような状況の中で、ケガをした事実もないまま、住民の一人が現場監督の通報によって傷害容疑で逮捕・拘束されるという事件が起きました。今までのマンション紛争では、ほとんど前例のない事件です。 今回のフォーラムでは、当事者の O さんに名古屋からお越しいただき、事件の経緯やマンション計画の問題点をお聞きするとともに、今回の事件やマンション紛争について、みなさまと一緒に考えたいと思います。 http://machi-kaeru.com |
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『A3』オウム真理教事件のノンフィクション
森達也『A3』(エー・スリー)はオウム真理教事件を取り上げたノンフィクションである。2011年9月に講談社ノンフィクション賞を受賞した。著者はオウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画『A』『A2』の監督である。 本書の中心は麻原彰晃被告人の刑事裁判である。麻原彰晃被告人に訴訟能力はあったのか。麻原被告人を正常と感じなかった人は少なくない。麻原被告人の弁護団も、そのように主張したが、裁判所は詐病であると退けた。
これに対して本書は麻原被告人の精神が本当に異常になっていたのではないかと指摘する。著者の主張に共感する。裁判所の事実認定が市民常識と乖離することは本件に限らない。裁判所は法律の専門家であっても、事実認定の専門家ではない。権威ある専門家の鑑定意見などを丸々受け入れてしまい、市民常識と乖離した事実認定になる。
判決を書いた裁判官に市民的感覚が欠けていると、そのおかしさを自覚することもできない。北本いじめ自殺裁判の東京地方裁判所民事第31部判決(舘内比佐志裁判長、杉本宏之裁判官、後藤隆大裁判官)も、同級生から「きもい」と悪口を言われ、下駄箱から靴を落とされ、「便器に顔をつけろ」と言われるなどの事実がありながら、「一方的、継続的ではなく、自殺の原因になるようないじめがあったとは認められない」という市民常識に反する内容であった。
さらに本書は麻原被告人が酷い精神状態になった理由として、拘置所内で暴れる収容者に対して用いられる向精神薬を大量に投与された可能性を指摘する。私は危険ドラッグなどの薬物問題に問題意識を有しており、これも納得できる。オウム真理教はLSDや覚醒剤などの依存性薬物の幻覚作用によって「神秘体験」をさせていた。その麻原被告人が薬物で精神を破壊させられたならば、因果応報を感じる。これは決して拘置所職員の措置を肯定するものではなく、薬物を危険視する立場からの意見である。
最後に私はオウム真理教事件を当時の日本社会の時代背景から生まれたものと感じている。故に麻原被告人らを悪者にし、彼らを排除すればいいとは思わない。一方で今から振り返ると古さを感じている。冷戦時代は米国とソ連が戦争すれば人類が滅びると真面目に考えられていた時代である。また、環境破壊によって人類が滅びることも真剣に言われた時代である。その危機意識や切迫感は、冷戦崩壊後に成長した世代とはギャップがあるだろう。
今や人類の努力によってオゾン層が回復した時代である。戦争も環境破壊も深刻な問題であるが、それで人類が滅びるというような終末論的な発想ではない。むしろ戦争や環境破壊が日常生活の中に普通に入っていくことを警戒する。その意味ではオウム真理教問題の今日的意味は、「戦争法によって戦前の破局が繰り返される」「原発を再稼動すると日本が滅びる」という類の冷戦感覚を引きずった左翼教条主義批判に向けられると言えるかもしれない。
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