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再会と別れ

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こちらは北海道の戦後混乱期を生き抜いた元・岩見沢農業高校の伝説的番長の
       早川季良さんです。炭坑マンとして闇を掘り進み、肺にまで石炭粉を蓄え、
       その塵肺をものともせず、石炭画を71歳の今も元気に描き続けています。

すっかりブログ更新がおろそかになってしまい、皆様もうしわけありません。
 この一月間、移動につぐ移動で目の回る忙しさでした。
 暑いなかを富山、北海道、そしてあちこち出かけてくたびれてしまいました。
 鹿児島弁ではこれを「あっちゃ、こっちゃ、さるもしたい!すったいだれもしたい!」といいます。
 まあ、最近の若い方は口にしないでしょうけど、西郷ドンの頃はこんな言い方をしたのです。
      とても残念なことに椅子づくりの名人・村上富朗さんは7月3日に他界しました。享年62、合掌
  世田谷区等々力の大平農園の当主大平博四さんは、3度目のお盆を迎えました。それにしても何と格調の高い、お盆の様式を東京で守っていることでしょう。実は大平さんは婿養子で、元々のご出身は、福島第一原発の避難地域に含まれている大熊町です。戦後まもなく結婚された頃、奥さまが常磐線を乗り継いで富岡駅に降り立ったとき、それはそれは素晴らしい海辺の景色が前に広がり、うしろには水田が広がっていたそうです。けれど、いまは津波被害の片付けもままならないまま、住民が全員、会津などの避難先に暮らしているそうです。旧姓、大和田さんだった博四さんの親戚の方々もみな大変な目にあい、苦労されているときかされました。右下の少年の写真は、大平さんではなく、長野県丸子町で幼少を過ごした村上富朗さんの姿です。なんとお茶目で可愛いことでしょう。病気に苦しめられた晩年もとても可愛い方でした。そんな天才的な職人の最後の椅子づくりを記録させてもらい、なにかとても大事なものを受け取った気がしてなりません。その話はまた、近いうちに。おいどんの夏が心の中を、熱い風となって駆け抜けていくとです。みなさん、長生きしましょう。
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