日和佐城 (阿波)(所在地) 徳島県海部郡美波町日和佐 (形状) 山城 (別称) 渭津城 (築城者) 日和佐肥前守日和佐城は、元亀・天正(1500)年代初頃、日和佐の豪族,日和佐肥前守によって 長宗我部軍の侵攻を防ぐために築城されました。 しかし、天正3年(1575)に日和佐より南にある海部城に長宗我部軍が攻め入ると、 ここ日和佐も防ぎ切る事は難しいと考え、長宗我部阿波攻略軍指揮官,香宗我部親泰の 軍門に下ります。 その後、肥前守の弟,日和佐権頭が城主となり、長宗我部軍下として四国制覇を成し遂げますが、 天正13年(1585),豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、長宗我部元親が土佐一国に退去すると、 元親に請われ、土佐赤岡の地に移住します。 ところが関ヶ原合戦後、蜂須賀家政が阿波に入国すると、今度は家政に請われ日和佐に戻り、 廃城となった日和佐城でなはく、薬王院近くに居を構えます。 武勇だけじゃなく、奉行格に列せられた事からも政治手腕も高かった事が窺われます。 →【地図】 山頂に見える天守(模擬)の辺りが本丸です 下から山頂までは車で7〜8分位で行けます! さて登城しま〜す ε=ε=(ノ^∇^)ノ ここが3段に分かれてたと伝わる曲輪の2段目か3段目かは解かりませんが、 城内で一番広い曲輪だった事は間違いないです その先の少し上がった場所にある模擬天守が本丸跡です。 もしかしたら、天守下のこの帯曲輪みたい場所が2段目なのか? または、ここでは無くて駐車場下に3段目があるのか? ( ̄へ ̄|||) ウーム こっちの方がいいかな (o^-^o) ウフッ だって、すごく眺めがいいんですよ♪ 天気悪いけど(笑) 正面に見える砂浜が毎年、うみがめが産卵に来る浜です 以上が日和佐城の紹介でした^^
古文書では、少しの石垣が残ってると表記されてますが、まだ発見されておらず、 不明な部分が多い城郭ですが、曲輪は確認出来たし、天守からの眺めが良く、 海に守られた城って事はよく分ったので、見所が少ない中にも収穫はありましたね^^ ![]() にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ(文字をクリックお願いしますね^^) |
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