日和佐陣屋 (阿波)(所在地)徳島県海部郡美波町奥河内 (形状) 陣屋 (別称) ――― (築城者) 阿波藩(蜂須賀家)日和佐陣屋は、文化4年(1807) それまで海部群鞆浦に置かれてた新御陣屋を廃し 1区郡代所最後の地として、この日和佐の地に移転しました。 阿波藩は、遡ること40年前の明和6年(1769)、地方行政の役所として郡奉行と代官の名を 郡代と改め、阿波を6区に分け治める事にしました。 この阿波(徳島県)の最南である那賀・海部は1区となり、三人の郡代が常駐し、時々管轄地を 巡見するのが通例としてました。 その郡代所の最初の地が海部鞆浦で、後に日和佐に移り日和佐陣屋が築かれます。 →【地図】 石碑と説明板は、この町役場前にあります。 この岩陰から、的に矢があたったか確認します。 シュッヽ( ゚ー゚)ノ} ――→ 。。。。ノ>_<ノ ヒィッ これで日和佐陣屋の紹介は終わります。 まず一言! 日和佐城より、この陣屋の方が歴史的見所は上です! 卍付きに塀は、補修してるとは言ってもこれだけ長い状態で残ってるのは陣屋レベルでは 凄いと思います! そして矢見立岩!これは初めて見ました^^ 何度か移築されたみたいですけど、よくぞ割れず残ってくれたものです。 いい城巡りが出来ました♪ |
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鞆浦海嘯記、1854
鞆浦の旧海部川に沿った所に、894文字にわたって安政南海地震のことを彫り込んだ海嘯記のタイトルが付く石碑が建てられています。
この石碑には,津波の起きた安政南海地震の前日に安政東海地震が起きたことを記しています.
【碑文】
嘉永7年11月4日の朝、天候も良く冬としては温暖な日、午前10時頃地震が起き、港に波打ちつけるが程なく収まった。翌日の5日は更に穏和にして小春日和の午後4時頃から揺れ出し、海面が湧き上がり向浜を越えて津波が押し寄せた。あわてふためいて近くの山へ登ったが、津波は多善寺の門前、海部川沿いの脇の宮まで潮が満ちた。
振動は夜中の10時頃に大きくなり、山に逃げた人たちはひたすら念仏を唱えた。
津波の高さは最高3.6mまで達したが幸いにして被害はなかった。地震津波は100年前後に必ず起こるので、変あれば迅速に避難して命を全うすべし。
2014/3/29(土) 午後 1:42 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]