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              日和佐陣屋 (阿波)  

(所在地)徳島県海部郡美波町奥河内  (形状) 陣屋   (別称) ―――  (築城者) 阿波藩(蜂須賀家) 
      日和佐陣屋は、文化4年(1807) それまで海部群鞆浦に置かれてた新御陣屋を廃し
      1区郡代所最後の地として、この日和佐の地に移転しました。
      阿波藩は、遡ること40年前の明和6年(1769)、地方行政の役所として郡奉行と代官の名を
      郡代と改め、阿波を6区に分け治める事にしました。
      この阿波(徳島県)の最南である那賀・海部は1区となり、三人の郡代が常駐し、時々管轄地を
      巡見するのが通例としてました。
      その郡代所の最初の地が海部鞆浦で、後に日和佐に移り日和佐陣屋が築かれます。
                                                           →【地図】
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      日和佐陣屋は、現在 町役場・日和佐小学校となっています
      石碑と説明板は、この町役場前にあります。

イメージ 2
      この陣屋の一番の見所は、陣屋の現存塀が残ってる事です!

イメージ 3
      これだけ状態の良い塀が、しかもこれだけ長く残ってる事は凄いと思います(^^)/

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      蜂須賀家の家紋である卍が、また嬉しくなります♪

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      この岩は、この陣屋のもう一つの遺構『矢見立岩』です
      この岩陰から、的に矢があたったか確認します。    シュッヽ( ゚ー゚)ノ}  ――→ 。。。。ノ>_<ノ ヒィッ

      これで日和佐陣屋の紹介は終わります。
      まず一言! 日和佐城より、この陣屋の方が歴史的見所は上です!
      卍付きに塀は、補修してるとは言ってもこれだけ長い状態で残ってるのは陣屋レベルでは
      凄いと思います!
      そして矢見立岩!これは初めて見ました^^
      何度か移築されたみたいですけど、よくぞ割れず残ってくれたものです。
      いい城巡りが出来ました♪

              日和佐城 (阿波)  

(所在地) 徳島県海部郡美波町日和佐  (形状)  山城  (別称)  渭津城  (築城者) 日和佐肥前守 
      日和佐城は、元亀・天正(1500)年代初頃、日和佐の豪族,日和佐肥前守によって
      長宗我部軍の侵攻を防ぐために築城されました。
      しかし、天正3年(1575)に日和佐より南にある海部城に長宗我部軍が攻め入ると、
      ここ日和佐も防ぎ切る事は難しいと考え、長宗我部阿波攻略軍指揮官,香宗我部親泰の
      軍門に下ります。
      その後、肥前守の弟,日和佐権頭が城主となり、長宗我部軍下として四国制覇を成し遂げますが、
      天正13年(1585),豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、長宗我部元親が土佐一国に退去すると、
      元親に請われ、土佐赤岡の地に移住します。
      ところが関ヶ原合戦後、蜂須賀家政が阿波に入国すると、今度は家政に請われ日和佐に戻り、
      廃城となった日和佐城でなはく、薬王院近くに居を構えます。
      武勇だけじゃなく、奉行格に列せられた事からも政治手腕も高かった事が窺われます。  
                                                             →【地図】
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      日和佐城は、日和佐浦の入江に作られた3方向を海に囲まれた要害堅固な城です
      山頂に見える天守(模擬)の辺りが本丸です
      下から山頂までは車で7〜8分位で行けます!
      さて登城しま〜す  ε=ε=(ノ^∇^)ノ

イメージ 2
      山頂辺りまで登ってくると、広い駐車場に出ます (o^∇^o)ノ
      ここが3段に分かれてたと伝わる曲輪の2段目か3段目かは解かりませんが、
      城内で一番広い曲輪だった事は間違いないです
      その先の少し上がった場所にある模擬天守が本丸跡です。

イメージ 3
      りっぱな模擬天守です(笑)
      もしかしたら、天守下のこの帯曲輪みたい場所が2段目なのか?
      または、ここでは無くて駐車場下に3段目があるのか? ( ̄へ ̄|||) ウーム

イメージ 4
      こっちは下(入江)から望遠で撮った天守です
      こっちの方がいいかな (o^-^o) ウフッ

イメージ 5
      模擬天守だと残念がらないでくださいね!
      だって、すごく眺めがいいんですよ♪  天気悪いけど(笑)
      正面に見える砂浜が毎年、うみがめが産卵に来る浜です

      以上が日和佐城の紹介でした^^
      古文書では、少しの石垣が残ってると表記されてますが、まだ発見されておらず、
      不明な部分が多い城郭ですが、曲輪は確認出来たし、天守からの眺めが良く、
      海に守られた城って事はよく分ったので、見所が少ない中にも収穫はありましたね^^
      
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              海部城 (阿波)  

(所在地) 徳島県海部郡海陽町鞆浦   (形状) 山城    (別称) 鞆城   (築城者) 海部友光 
      海部城は、永禄年間(1558〜70)に、海部友光によって築城されました。
      しかし、天正3年(1575)に長宗我部元親に攻められ落城。
      城には元親の弟の香宗我部親泰が入り、阿波攻略の拠点とします。
      時は流れ、豊臣秀吉の四国征伐に長宗我部が敗れると土佐に退去し、代わりに蜂須賀家政が
      阿波に入国し、阿波9城の一つとして家臣の中村氏,益田氏と城主となります。
      その後、江戸期になると一国一城により廃城となり、代わりに新御陣屋が置かれました。
                                                           →【地図】
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      海部城は、海部川河口に位置し、正面小学校の裏山が城になります
      ここも前日の日和佐城と同じように3方向を海、川、入江で囲まれてます^^

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      上の遠景写真の青い屋根の体育館左横の小高い丘下に石碑が建っています
      小学校の入口にもなってるんですぐ分ると思います

イメージ 3
      この石碑の後ろの小高い丘上に電波塔が建ってるのが分かりますか?
      裏から廻って登れるんですけど、そこには森志摩守の墓が立っています。。。!?
      阿波で森氏って言ったら椿泊の阿波水軍の統師です!  
      何故、ここに森氏の墓があるかは分らないけど、蜂須賀家に仕え、
      この辺りの漁業権を得ていたの確かです。。。まぁ謎ですね^^

      これで阿波九城の一つ海部城の紹介は終わります。
      今回は時間の都合上、山の上まで登る事は出来ませんでしたが、山頂付近には石垣も
      見る事が出来るそうです。
      ちょうど小学生の登校時間と重なっちゃって、カメラ持って怪しい人って思われなかったかな?^^
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               須崎城 (土佐)  

 (所在地) 高知県須崎市原町  (形状)  山城   (別称)  ―――― (築城者)  津野氏 
        須崎城は、姫野々城を居城として勢力を広げていた津野氏の支城とされてます
        しかし、城主などについては定かではありません。
        麓には津野親忠や家老の山内右衛門大夫屋敷跡があります
        この津野親忠は長宗我部元親の3男で、軍門に降った津野勝興が養子に迎え入れました。
        後に、親忠は豊臣秀吉のいる大坂に人質にされ、戻って来たら幽閉。
        そして身内に殺害されるという哀しい人生を送ります。
        この事件が長宗我部家改易にも繋がります                     →【地図】
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      須崎城遠景です    
      須崎駅の辺りから撮りました^^    さて、登れるかな〜

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      東側から階段を登ること5〜10分でちょっと広めの場所に出ます
      ここも曲輪だったのかな〜 今は公園化してます
      主格には、まだまだ登るんでしょうけど、タイムリミット (;´▽`A

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      大した遺構は見れなかったけど、夕方の海の景色と風は心地よかったです^^
      ちなみに前方の海は須崎砲台場で紹介した砂浜です

              須崎砲台場 (土佐)  

 (所在地) 高知県須崎市中町 (形状)  台場   (別称)  須崎台場  (築城者)  土佐藩  
        須崎砲台場は、文久3年(1863)7月,異国船来航に対する海岸防備の為、
        藩命により、1ヶ月半の短期間で須崎に砲台を西・中・東3箇所築きました。
        そのうちの現存するのが西台場である、この須崎砲台場です。
        台場の規模は、最大で長さ116メートル、砲門7座、内側に弾薬室が7箇所ありましたが、
        明治初年に埋めらました。
        慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で、イギリス行使パークスが
        土佐藩と交渉するために、軍艦で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も
        来港して外国交渉の舞台となった事でも有名です。                   →【地図】

イメージ 1
      【鳥瞰図】

イメージ 2
      須崎砲台場の石碑!  曲がってる〜^^:

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      砲台場の入口です (図A)  しっかり石垣で固められてます。

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      台場内側には、上段に上がる階段が数ヶ所あります (図B)

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      真中に位置する砲門から海を望みます (図C)
      望みますって言っても正面に建物が建ってて、よく見えません(笑)
      でも、建物の隙間に海がちょっと見えました^^

イメージ 6
      砲門脇もしっかり石垣で補強されてます (図D)

イメージ 7
      上の(図E)の様に砲台脇に登ってみました!
      弧を描く土塁上に数ヶ所の切れ目が見られる所が砲門になります。

イメージ 8
      台場前面には線路が(笑)^^:

イメージ 9
      須崎砲台前の砂浜に出てみました^^
      これが砲台見学の楽しみ♪
      ん? ん?
      NAOさん,マイメロさん,この風景何処かの見た覚えありませんか?^^
      もーろーろーさんのブログで出て来た砂浜ですよ

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