佐伯城
(所在地)大分県佐伯市西谷町 (形状)山城 (別称) 鶴谷城 (築城者) 毛利高政
慶長6年(1602)日田から佐伯2万石で、この地に入府した毛利高政は、八幡山の頂上に
4年の歳月をかけ、三層の天守を持つ城を築城しました。
その城も、元和3年(1617)二の丸より失火して、本丸と天守を焼失しました。
以後天守は、上げられませんでした。
その後、寛永14年(1637)3代高尚のとき、麓に三の丸を増築し、
ここで政務が行われるようになりました。
以後12代高謙の時代まで次き、明治維新を迎えました。
佐伯藩主初代,毛利高政は、元は秀吉子飼いの武将で、森高政と名乗っていましたが、
有名な『中国大返し』の時、毛利への人質となり、そこで輝元に気に入られ、
毛利性を名乗るようになった武将です
大手門跡です 佐伯城です
左)大手門跡には、今は石碑だけしかありませんが、交差点なっていることから、ここに門があった事が
窺えます。
右)大手道から城山を見ます! 正面には、三の丸門が見えます♪
三の丸櫓門です。
三の丸の正門(現存)です。 ここ佐伯には、石垣が不足していた為
海から石垣を採掘したそうです。貝が付いてる石垣があるらしいけど見つからなかったです
三の丸御殿の玄関・広間・書院の部分です
現在は、大手門から歩いて7分位の所で、船頭町公民館として利用されてました。
さて城山へ登城します=33
城へは、一番近い道で登りました。かなり急です〜
坂を登ると、西の丸に出ます〜 西の丸は、細長い曲輪になっています
正面に櫓台,左に虎口があります
左)西の丸の虎口です 右)櫓台跡
麓から、城への虎口は、3つあります。そのうちの1つです〜
西の丸から、二の丸への虎口です。
かなり堅固な構の門です。
二の丸から、本丸の石垣を見た写真です!
本丸の周りには、本丸外曲輪があります。ここが、この城の見所で、本丸へは、直接
本丸外曲輪から、入る事が出来ない作りになっています!
ではどうやって、本丸へ入るかと言うと、二の丸から渡橋で入るんです♪
南門から本丸の渡し橋を見上げた写真です
この南門は、城へ入る3つの門の1つで、本丸外曲輪にあり、正面に本丸,左に曲がると
二の丸へ入る事の出来る虎口があり、この城で、重要な所です
南門を入り、左を見た写真です
この虎口が、さっき書いた二の丸への虎口で、その右には、すぐ本丸へ渡る橋があります♪
二の丸から橋を渡ると、本丸の虎口があり登ります〜〜 上から見た写真です
本丸の中心に、低い石垣で囲まれた一段高い所が、天守台です
ここにどんな天守が築かれていたかは不明だそうです〜〜
本丸から、本丸外曲輪を見ます!
本丸外曲輪の東側で、一番広くなっている所です
正面に櫓台と、最後の1つである麓から城へ入る虎口があります
その本丸外曲輪の東側から本丸を見た写真です〜〜
正面の階段は、新しく作ってしまったもので遺構ではありません
本丸へは、先ほどの二の丸からしか入れませんので…………………………。
ここで見るべき所は、石垣の出隅部が直角でなく、湾曲している所です
後から作られたんではないかと思う位、美しい湾曲です♪
この佐伯城は、すべての曲輪が総石垣で囲まれて、縄張りも複雑に作られていて
けして2万石の城主の城には見えません
しかも1600年の近世に山城を作ること自体が珍しいのではないかと思います。
石垣,縄張り 素晴らしい城郭でした おわり
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