日出城
(所在地)大分県速見郡日出町 (形状)平山城 (別称) 暘谷城 (築城者) 木下延俊
1602年(慶長7年)に日出藩の初代藩主木下延俊が義兄であった細川忠興の支援を
受けて築城した。
そのため小藩には似合わないほどの完成度の高い実戦的な堅固な平山城であったとされる。
別名「暘谷城」と呼ばれ、三代藩主木下俊長が 中国の古書、淮南子から引用して
名づけたと伝わっている。
城は、別府湾に突出した南端の台地に本丸、その東・西・北三方を囲むように二の丸、
その東に三ノ丸が築かれていた梯郭式平山城で、本丸には複合型層塔式の三重三階の天守と
5基の二重櫓、平櫓1基、大手門から長屋を隔てた南部に御殿が建てられていた。
天守はシンプルな姿であったが、初重がその上重の逓減を逸脱して大きく造られ、
小倉城大天守や名古屋城大天守などと同じく、望楼式から層塔式の天守に移行する時期の
特徴を持った特異なものであった (Wikipedia参照)
城の入口である大手門です 石碑の後ろに、カマボコ型の石塀があります
左)大手門は今、小学校の正門になっています
右)大手橋の左右のカマボコ型石塀は、岡城にもありました
本丸の北側の堀です
正面の土橋は、大手橋です。深くて、幅のある近世城郭らしい堀です!
ほぼ完全な状態で、残ってます〜〜〜
本丸、搦手門です。大手門から東側に回った所にあります
搦め手門から、本丸東側の空堀を撮った写真です。天守台が見えます
二段構成の本丸の石垣に、天守の石垣!なかなか見応えがあります〜
さて南側に回ってみましょう〜〜
天守台です!ここに三重の天守が建っていました。
さすが細川忠興が支援して、築城しただけあって、かなり大規模な天守台です〜
本丸南西隅にある望海櫓跡です
ここから本丸に上がる事が出来るよう櫓門形式に作られてます
城内から天守台を見た写真です〜
校庭の片隅にあります〜 上がってみます==333
天守台から別府湾を望みます〜 天守台から本丸内を見ます
左)ここ日出城の前の海で捕れたカレイは『シロシタカレイ』言われ、ブランドカレイです!高級魚なんです
右)本丸は、小学校となっていて、御殿じゃなく校舎が立っています〜
本丸を西側に回ると海岸沿いに、二の丸の石垣が見えてきます
本丸西側の堀底です。右側が本丸,左側が二の丸です
本丸側は、特に高くなって、左側にカ−ブしています
本丸の高石垣です。この石垣の上に先程の小学校があります
堀底の道を進むと、藩校『至道館』が左側に現れます〜
15代藩主 木下俊程によって作られた藩校は、入れそうでしたが、誰もいなかったので
諦めました〜〜 ちょっとは覗きましたけどね(^^)/
日出城から、車で5分位の所に移築されている鬼門櫓です
うわさ通り、かなり損傷が激しいです!
この櫓の面白い所は、鬼門方向である北東部分の角が削られてる所です
それにしてもボロボロだなぁ〜〜〜〜〜〜
龍泉寺に移築されている裏門です
日出城は、3万石という小藩ですが、さすが細川忠興が支援して築城しただけあり
石高以上の規模の城郭でした。
それは天守台や高石垣や深い堀をみれば、すぐ分かります♪
大分でも、お薦めも一城です おわり
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