岡城 (豊後)(所在地)大分県竹田市大字竹田 (形状)山城 (別称) 臥牛城 (築城者) 緒方惟義文治元年(1185年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために、竹田市街の東 天神山に築城したのが始まりです。 南北朝時代には、志賀氏が入り、岡城と名付けられたとされています。 時は流れ、天正14年(1586)志賀親善の時代には、大友軍として、島津軍を撃退するが 大友義統が領地を没収されると、一緒にこの国を去ります。 続いて、中川秀成が6万6千石でこの地に入りました。 中川秀成は、大規模な工事をして今の近世城郭に造営しました。 以後、中川氏12代まで続き明治を迎えました。 この城は、100名城にふさわしい石垣を持つ名城でした。 石垣1つにしても、配置、構成、作りすべてにおいて、これほどの城は初めてです 規模も大きく、大分市から離れていますが、行く価値のある城郭でした 【100名城】 →【地図】 一番上の飛び出た部分が大手門になります そこまでは、幾重にも高石垣が折り重なっていて、感動で言葉が出ません〜〜 下からくねくね坂道を上がってきて、ようやく着きます 上からは下が良く見え、ここから城を攻めるのは、至難の業だという事が嫌でも分かります 右)の写真は、大手門の礎石を上から見ました 大手門の礎石で、気になる所ありませんか? そうです門の車輪の所まで石で出来てるんです〜〜 カマボコ塀にしても、初めから度肝を抜かれる城郭です♪ 手前の門は、先程の大手門です。 奥のもんは旧大手門です〜 加藤清正が、朝日がまぶしいという理由で場所を替えたらしいです〜〜 外側は、一度堀下がっているので門に上がるのに助走が必要です! この石段の幅は20メ−トルもあり、石垣の使い方など珍しいと思います 平らな曲輪で、かなりの広さがあります〜〜 城内には、3家老の屋敷があり、かなりの広さを持っています 城内の広さに対して、家老の屋敷の割合が大きいな〜 この城は、3人の家老で持ってるんじゃないかと思っちゃいますね〜〜 城下からは七曲がりの坂道を上がって来ることになります 大手門と同じ位、しっかり作られてますね カッコイイなぁ〜〜 岡城の名所 三の丸の高石垣です! 高いな〜〜〜〜〜〜〜 左)の写真は、西側の石垣で、奥に御三階櫓(天守)があります 右)の写真は、北側の写真で、石段を登ると、本丸の虎口になります 三の丸,二の丸を、北西と北東に配置してあります 前方の石垣の部分が、先程の『三の丸高石垣』です 淵までよって写真を撮りましたけど、怖かったです〜〜 二の丸には、滝廉太郎の銅像がありました ♪『荒城の月』#の荒城は、ここ岡城なんです〜〜 手前の石垣は東中仕切門です この先には廟所が細長く続いています 歩いていくと====333 外から撮った写真です〜 この門は、城の東を守る門で、当初の大手門と言われています これで、岡城の訪問記は終わりです。そして、やっと大分城廻の記事も最後になります。
この城は、遠いし予定から、この次にしようと思っていたのですが 九州の知人から、「絶対に行け!」と言われて、考えたあげく訪問する事に決まった城なんです 行ってみてビックリの連続でした。とくに大手門付近は、見所沢山です 車輪道やカマボコ塀は、見ていて関心しちゃいます それと西の丸曲輪は、石垣の区分けなど、まさに都市です ちょっと大袈裟かも知れませんが、お薦めの城です ぜひどうぞ〜〜〜 おわり |
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2009年04月12日
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