長浜城 (土佐)(所在地) 高知県高知市長浜字城山 (形状) 平山城 (別称) ――― (築城者) 本山氏長浜城は、戦国時代に土佐、吾川の両郡を支配していた本山梅慶(茂宗)の子・茂辰の支城で、 大窪美作守(弁作)が城主でした。 長宗我部国親は、父の兼序の死と岡豊城(長宗我部氏居城)落城の首謀者であった本山氏の 討滅の為、この城を落とす事を決意していました。 永禄3年(1560)、その機会が国親の元家臣であった福留右馬允の手引きによって訪れます 雨風激しき夜、種崎城から海を渡り御畳瀬より、長浜城を奇襲して攻略します 長宗我部元親22才の初陣でした。 今も城山の北西の谷を”夜討ちが谷”と伝えています (現地案内板加筆) →【地図】 落とした事で有名な長浜城です ここから、元親の四国制覇が始めるんですね^^ ここに長浜城の案内板があります。 この裏山には、長浜城に遺構,縦掘りが2本あるそうですが、登城は困難だそうです。 信親は、元親と共に秀吉の九州征伐に従軍して、島津軍との戸次川の合戦で討死します。 その遺体を島津軍から貰い受け、浦戸そして後にここに埋葬されました。 長浜城(雪蹊寺)から1キロ南東方面にある天甫寺山には、長宗我部元親の墓所もあります 慶長4年(1599)に伏見で病没し、高知に送られ、ここに眠ってます。 |
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2011年05月23日
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