八上城 (丹波)(所在地) 兵庫県篠山市八上内 (形状) 山城 (別称) ――― (築城者) 波多野元清八上城は、応仁の乱にて初代波多野清秀の戦功により多紀群(篠山市)を与えられた 波多野氏5代に渡って治められた居城です。 築城は永正5年(1508)に、清秀の子,稙道によって行われました。 その後、波多野氏累代は、管領細川高国を放逐。守護代内藤氏を攻略し、勢力を強め、 三好長慶や松永久秀と戦い続けて行きます。 しかし織田信長が上洛すると、それに従わない5代秀治は明智光秀の攻勢を受け、 一年の籠城戦の末に明智仲介の和議により秀治,秀尚兄弟は信長へ投降するものの、 信長に謀殺され、八上城は落城してしまいます。 この時、和議の証として人質に出していた明智の母(乳母)は波多野氏側の磔にされ、 殺害されてしまいました。この事により、一層明智の信長への忠誠心は下がったと思われます 以後、前田氏など豊臣側の城として統治されますが、関ヶ原の戦いが終わり徳川側が治めると、 名城,篠山城の築城により廃城。100年の歴史を終えます。 →【地図】 いざ! 攻城です (熊に怯えながら^^:) あるうひ〜 森の中〜 クマさんに〜 出会ったぁ♪ 明智光秀により八上城が落城すると、政務は山上から麓のここへと移りました。 熊に怯えながら駆け足で登った為、心臓ドキドキ。汗ダクダク。^^: でも、景色が良く、風が気持ち良かったです♪ ここからが城の中心部となり、石垣、土塁など防御性がある曲輪になってきます。 右衛門丸と二ノ丸の間にある曲輪で、細長い作りとなってます 展望も良かったです。 前方の階段を登り二ノ丸へ==333 本丸の下に位置する二ノ丸は、発掘などにより政務を行う最も重要な曲輪と思われてます。 城内一の広さと言われるだけあって、けっこう広めです! 結局、石垣を見る事が出来たのは、右衛門丸虎口部分と本丸裏側(岡田丸)だけでした^^ 本丸には、波多野氏の顕彰碑が建ってます 説明文には軍兵の集まる場所って書いてあるけど、狭すぎてここでは。。。 現在、篠山城の外堀の大手付近に城門が移築されてます 以上が、自分が見て来た八上城です 春日神社・主膳屋敷辺りは、一面草木で暗く、熊出没の張り紙に登ろうか迷いましたが やはり登って良かったです。 遺構もさることながら、ここは大好きな明智さんの歴史では欠かせない城ですからね。 まぁ 母(乳母)の磔という良い意味での史跡ではないですけど。。 山頂まで階段で整備されてて、多少体力は使うけど登り易い城山でした。是非^^ |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年11月04日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]








