鵜殿城 (紀伊)(所在地)三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿矢渕 (形状)平山城 (別称) ――― (築城者) 鵜殿氏鵜殿城は、熊野別当一族といわれてる鵜殿氏によって熊野川の河口左岸に築かれました。 築城年代ははっきりとはしていませんが、新宮速玉大社に現存してる記録から、 南北朝期には、すでに城があったと思われてます。 この鵜殿氏は南朝から北朝に変わった事により、永徳2年(1382)に北山筋の南朝方に 攻められて敗退しています。その後、三河蒲群に移って行きますが、 永禄5年(1562)に徳川家康に攻められ滅亡します。 →【地図】 山頂付近に見える展望台のある所が本丸になります 遊具も見えるように公園化してるので山頂まで簡単に登れます♪ 鵜殿城には、本丸を挟む形で南側(A)と北側(B)に空堀があります 小丘を削平した本丸は、東西33m、南北44mの卵型でさほど大きくはありませんが 周囲には幅3mの土塁を巡らせてます 土橋も残ってるみたいだけど。。。見当たりません〜 鵜殿城は、熊野水軍の根拠地でもあり、軍事的にも重要な位置にありました。 以上が鵜殿城でした。 歴史的には文献が少なく、不明の部分が多いですが城跡は遺構を壊さない形で 整備されてるので散策しやすかったです。 熊野川対岸の新宮城とセットで廻るのがお勧めです! 次回は、その熊野川の右岸にある新宮城を紹介します。 |
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2012年03月09日
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