さんま寿司 (三重・熊野きのくに) こんばんは!
昨日の赤木城の記事読んで頂けました?
ちょうどNHKの歴史ヒストリアでも紹介されてたみたいで、なんて偶然なんでしょ(笑)
自分は録画して記事書いてたから、ヒストリアは後日見ま〜す
今日は、その赤木城の続きで、東紀州旅行最後の記事です
この旅行の帰りに、もう一度さんま寿司が食べたくて『 熊野きのくに 』さんに
やって来ました♪
ほら、この旅行の最初のさんま寿司が忘れられなくて
でも、折角食べるなら紀南流が食べたくて。。
さんま寿司には紀南流と紀北流があって、この旅行最初に食べたのが紀北流で
上の写真のさんま寿司が紀南流です。
紀南流のさんま寿司は、みかんやゆずの皮を刻んだのを隠し味に、
ご飯に被せる巻き寿司です♪
ここ「熊野きのくに」さんのもゆず香りがよく、美味しかったです
お米もサンマも地元で獲れたものを使うと言うのが、また嬉しいんですよね〜
これに味噌汁が付いて、530円っていう安さがまたいいんですよね♪
ちなみに、これが初日に食べた「万両寿し」さんのさんま寿司です
ねっ 見た目違うでしょ
どっちが美味しいかって? あくまでも自分的には万両寿しさんです
ここの甘めの酢飯の味が抜群だったんですもん♪
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2012年04月12日
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赤木城 (紀伊)(所在地)三重県熊野市紀和町赤木字城山 (形状)平山城 (別称) ――― (築城者) 藤堂高虎赤木城は、藤堂高虎が大和大納言秀長の配下として天正13年に紀州攻撃軍に加わり、 その3年後の天正16年に検地に反対した北山郷の一揆を羽田長門守と共に鎮圧させ、 天正17(1589)、その北山地方を治める為に赤木城を築城しました。 その後、文禄4年(1595)の四国伊予三郡を与えられるまでの11年間をここを在居としてました。 →【地図】 ここから多数のピットや土杭、焼土が検出され、永楽通宝や陶器などが出土したそうです この左上に見える石垣上は東郭になっていて、細い登城道により一列になったしまった敵を 矢や鉄砲で一網打尽にする事が出来ます。 さすが築城名人の高虎さんですね! ここには四脚門が建てられてたそうです。 東郭は、門を中心に北と南に分れていて、広い作りになっています。 南から攻め上がってくる敵を威圧出来る見栄えも良い石垣です。 ここで発掘された礎石は大きく、他の郭より立派な建物があったとされています。 ここからの景色が一番良かったです♪ 以上で築城名人,高虎の赤木城の紹介は終わりです。 予定外の散策で資料も知識もなく、知東郭の石垣の城門の写真しか見たこと無かったんですが、 行ってみると、国史跡だけあって説明板もあるし、何よりこんな山奥の城なのに 綺麗に整備されてるので散策しやすかったです♪ ここの所、高虎の城を訪問する機会が多いですけど、その中でも見処が多い赤木城はお勧めですよ^^ |
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