お城とグルメのお尚記

おしゃべりして行きませんか?^^

三重県の城

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                赤木城 (紀伊)

(所在地)三重県熊野市紀和町赤木字城山  (形状)平山城  (別称) ―――  (築城者) 藤堂高虎 
      赤木城は、藤堂高虎が大和大納言秀長の配下として天正13年に紀州攻撃軍に加わり、
      その3年後の天正16年に検地に反対した北山郷の一揆を羽田長門守と共に鎮圧させ、
      天正17(1589)、その北山地方を治める為に赤木城を築城しました。
      その後、文禄4年(1595)の四国伊予三郡を与えられるまでの11年間をここを在居としてました。                                                               →【地図】
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      【鳥瞰図】

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      やってきました! 少し迷っただけに、この「赤木城」の文字を見たときは感動〜

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      駐車場から、赤木城の全景を見る事が出来ます♪  さて登城です!

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      駐車場から直ぐの広くなってる場所は、鍛冶屋敷跡と言われてます
      ここから多数のピットや土杭、焼土が検出され、永楽通宝や陶器などが出土したそうです

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      鍛冶屋敷の向かいには石垣で囲まれた空堀があります。

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      登城門への道筋から左上に見える石垣に否応なしに興奮しちゃいます♪
      この左上に見える石垣上は東郭になっていて、細い登城道により一列になったしまった敵を
      矢や鉄砲で一網打尽にする事が出来ます。
      さすが築城名人の高虎さんですね!

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      坂を登りきると脇を石垣で固めた門跡に出ます。
      ここには四脚門が建てられてたそうです。

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      門脇から東郭2(南)を見ます
      東郭は、門を中心に北と南に分れていて、広い作りになっています。

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      東郭の南側石垣
      南から攻め上がってくる敵を威圧出来る見栄えも良い石垣です。

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      さて、東郭から正面の石垣上の主郭へ向かいましょう〜

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      主郭へは堅固そうな総石垣作りの虎口を上がって行きます

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      幾重にも折れ曲げた通路で敵を迎撃出来るように複雑な作りになってます。

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      最終コ−ナ−を曲がると、主郭虎口

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      主郭跡は城の最高所にあり、方形に近い台形をしていて、廻りを4mほどの石垣で囲んでいます
      ここで発掘された礎石は大きく、他の郭より立派な建物があったとされています。

イメージ 15イメージ 16      左)主郭の横矢掛けから西郭を望みます        右)主郭北側下にある北郭

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      最後は、主郭虎口付近から東郭のある南尾根を望みます。
      ここからの景色が一番良かったです♪

      以上で築城名人,高虎の赤木城の紹介は終わりです。
      予定外の散策で資料も知識もなく、知東郭の石垣の城門の写真しか見たこと無かったんですが、
      行ってみると、国史跡だけあって説明板もあるし、何よりこんな山奥の城なのに
      綺麗に整備されてるので散策しやすかったです♪
      ここの所、高虎の城を訪問する機会が多いですけど、その中でも見処が多い赤木城はお勧めですよ^^

鵜殿城 (三重)

                鵜殿城 (紀伊)

(所在地)三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿矢渕  (形状)平山城  (別称) ―――  (築城者) 鵜殿氏 
      鵜殿城は、熊野別当一族といわれてる鵜殿氏によって熊野川の河口左岸に築かれました。
      築城年代ははっきりとはしていませんが、新宮速玉大社に現存してる記録から、
      南北朝期には、すでに城があったと思われてます。     
      この鵜殿氏は南朝から北朝に変わった事により、永徳2年(1382)に北山筋の南朝方に
      攻められて敗退しています。その後、三河蒲群に移って行きますが、
      永禄5年(1562)に徳川家康に攻められ滅亡します。                 →【地図】
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      【鳥瞰図】

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      鵜殿城遠景
      山頂付近に見える展望台のある所が本丸になります
      遊具も見えるように公園化してるので山頂まで簡単に登れます♪

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      山道を登って行くと、空堀(A)が見えて来ます
      鵜殿城には、本丸を挟む形で南側(A)と北側(B)に空堀があります

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      本丸
      小丘を削平した本丸は、東西33m、南北44mの卵型でさほど大きくはありませんが
      周囲には幅3mの土塁を巡らせてます

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      本丸土塁は今でもしっかり残ってます^^

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      こちらは本丸の北側(B)にある空堀です。
      土橋も残ってるみたいだけど。。。見当たりません〜

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      本丸にある展望台! 登ってみましょう〜♪

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      展望台からは熊野川河口が一望できます
      鵜殿城は、熊野水軍の根拠地でもあり、軍事的にも重要な位置にありました。

      以上が鵜殿城でした。
      歴史的には文献が少なく、不明の部分が多いですが城跡は遺構を壊さない形で
      整備されてるので散策しやすかったです。
      熊野川対岸の新宮城とセットで廻るのがお勧めです!
      次回は、その熊野川の右岸にある新宮城を紹介します。

三重県 (城リスト)

                 三重県

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    ?H2>  現在 6城 (城名をクリックして下さい)      【津市】   北畠氏館     霧山城      渋見城      上津部田城     黒田城

    【上野市】   伊賀上野城

    【南牟婁郡】  鵜殿城

伊賀上野城 (三重)

              伊賀上野城 (伊賀)

(所在地)三重県上野市丸之内   (形状)平山城   (別称) 白鳳城   (築城者) 筒井定次 
     天正13年(1585)大和郡山から移封された筒井定次が近世城郭として築城しました。
     その後、秀吉の時代から家康の時代になると筒井定次の失政を理由に改易し
     今度は家康の信任厚い藤堂高虎が慶長13年(1608)に伊予今治城から伊賀・伊勢22万石の
     城主としてこの地に入り、築城名手として大坂豊臣方に備えるべく新たに五層大天守を持つ城に
     大改修しました。しかし4年後、その大天守は暴風により倒壊してしまいますが、
     大坂夏の陣で豊臣方が滅亡した事もあり、天守は再建されることなく、
     10万石の加増を受け伊賀32万石の大藩として明治を向かえます         →【地図】

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      【見取り図】

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      駐車場に車を置き、二ノ丸でもある小学校を通り本丸表門から登城します^^

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      本丸表門の脇に連なる南側の石垣には力を入れてなかったのか低い石垣で積まれてます

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      表門を進むと上り坂になり、すぐに大天守が現れます♪
      模擬とは分かっててもカッコいいですね〜
      天守に入る前に本丸内を回ってみましょう〜〜

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      天守台東側には石ころが沢山!!
      敵が攻めてきた際には、これを投げつけて攻撃します!
      それにしても山積ですね^^

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      伊賀上野城の一番の見所!30メ−トルの高石垣です
      この高さは日本で1、2を争います(対抗は大坂城)
      さて、天守内に入りましょう^^

イメージ 8イメージ 9      天守内には忍者が!!!  一緒に記念撮影しときました(笑)
      高虎さんの唐冠形兜の迫力は、甲冑好きには堪りませんね〜

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      最上階から大手門がある南方面を望みます
      伊賀上野城には、正面左右に東・西大手門の2つの大手門があります

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      本丸東側を望むと筒井氏時代の本丸が見えます
      古本丸と言っても石垣がけっこう使われてる立派な本丸です
      それでは行って見ましょう〜〜

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      立派でしょ〜〜  綺麗な石垣です

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      本丸虎口も石垣で固められてます

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      筒井氏時代の本丸であり、高虎時代の城代屋敷はかなりの広さがあり
      西に二ノ丸,山下に三の丸を配してました。

イメージ 15イメージ 16      三層の天守もあったそうです
      今は、数メ−トルの高台に石碑が建っているのみです

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      本丸の北側にある曲輪とを結ぶ虎口です
      この伊賀上野城は、南側大地との高低差は大したこと無いですが
      北側大地からは、かなりの高低差があります
      下から見るとけっこうな山に見えると思います。 時間無いし降りて無いですけどね^^

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      本丸北側下にある曲輪です    特に何もなし^^

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      ここに降りて来たのは、この本丸西側の高石垣を見る為です
      上から見たのとは、また違って迫力ありますね〜

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      この写真が好きかな〜^^
      石垣好きの自分としては堪りませんね♪

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      ちょっと場所は離れますが城の東側にあった蛇谷堀です

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      二ノ丸にある西小学校内にある武具蔵です
      体育館と校舎に挟まれてるのが、何だか面白いですね(笑)

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      最後は、この伊賀上野城の藩校『崇広堂』です
      実はここ、かなりの史跡! 現存の講堂を持ってます
      次回は、この講堂を紹介しますね♪                    →【崇広堂の記事】

      これで藩校以外の紹介は終わりです。
      伊賀上野城は、築城名手の高虎が手掛けただけあって西側の高石垣は中々のものです♪
      そして期待はしてなかった旧本丸と藩校も見応えありますよ!
      忍者屋敷もあるんで是非セットで行くのも楽しいかもです^^是非どうぞ!

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黒田城 (三重)

                 黒田城 (伊勢)

(所在地)三重県津市河芸町北黒田  (形状)平山城  (別称) 川瀬城  (築城者) 川瀬宣光 
       康正年間(1455〜1457年) 川瀬宣光が地頭となり、この地に築城しました。
       天正17年、川瀬宗信の時、織田信雄に敗れ、第二子 宗光が再起を計りましたが
       志を遂げず、姓を岡と改めて、この村の農業に従事しました。
                                                           →【地図】
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      黒田城には、今小学校が建っています。
      写真で分かるように、周りより高くなっています。
      小学校の入口に行くには、細い道をくねくね登って行きます〜〜〜

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      坂を登りきると、正面に校舎があり、その右側に体育館あります
      そのちょうど間に、黒田城の別名 川瀬城の碑が立っていました。

      ここでは、遺構を確認する事は出来ませんでしたが、城跡が高くなっている地形から
      ここにかつて『黒田城』があった事がうかがえます。
      この地に黒田城があったことは知っていましたが、ここに行けたのは偶然で、
      すごくラッキ−でした。

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