宮城県の城
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白石城 (陸前)(所在地) 宮城県白石市益岡町 (形状) 平山城 (別称) 益岡城 (築城者) 刈田経元白石城の歴史は古く、寛治5年(1091)後三年合戦の功により、 この地を治めた刈田経元(藤原経元)によって築かれた事に始まります。 後に刈田氏は白石と称するようになり、早くから伊達家旗下となっています。 白石宗実の時代になると、豊臣秀吉の小田原参陣の遅参により伊達家は領地替えとなり、 先祖代々の白石領も没収となり、代わりに上杉家の家臣甘糟氏が入ります。 しかし慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い直前に伊達政宗が白石城を攻めて奪還。 以後、片倉景綱が城主となり、11代邦憲まで続き明治を向かえます。 →【地図】 上の図の左方面から登城すると、登り坂に差しかかった場所に鳥居があります ここが厩口門があった場所です 左右の火灯窓、正面に変わった窓がある門ですが、これは移築に際に寺の山門らしく 改造されたもので、当時は2階に幅広い格子、階下にも狭間をつけた北の防御に 力を入れた堅固な門でした。 って実は今知りました(笑) この面白い門だとず〜と思ってました^^ この門の正式名称は「二ノ丸大手二ノ門」と言い、本丸土塁下にある重要な門でした。 こちらは往時の面影をとどめていて、幕末には二階に太鼓を置き、時を知らせてました! これから本丸に突入しま〜す^^ とその前に一言! ここのミュ−ジアム面白いですよ〜 だって、ここで放映される映像って渡辺謙さんや宍戸錠さんが出てるんだもん! 完成度高いよ〜(^^)// まずは、大手一ノ門 最上階の火灯窓が特徴的で好きですね〜 ここを先程通ってきましたね〜 今は広い本丸には何もないですが、当時は御殿埋め尽くされてました。 戦争時に武器弾薬の製造の為に回収の危機に遭いましたが、古鐘であると言い無事でした^^ 本丸の左右に櫓を配してます。 わずかに石垣を見る事が出来ます! 桜の時期ですど。。。紅葉の写真(爆) 西ノ丸には、益岡八幡宮 沼ノ丸は野球場になってます 三の丸外側の川沿いに建てられて、中に入る事が出来ます! 暗く、画素が荒いので載せようかどうしようか悩んだけど、折角だから(笑) どこに使われて門だかは不明ですが、現存門です^^ 長々、お読み頂きありがとうございます^^ 城下町に城門が多く残ってたので、思いの外掲載枚数が多くなっちゃいました(汗) この城は、人気高い伊達家重臣,片倉小十郎景綱の城として有名です 木造天守、歴史ミュ−ジアムも誰でも楽しめる作りだし、紅葉も綺麗な場所でしたよ♪ 食としては、白石温麺も有名なんで、もし良かったらどうぞ! おしょうは、ここを通過する時は、よく食べます(^^)/ お城には一回しか訪問してないけどね〜 |
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寺池城 (陸前)(所在地) 宮城県登米市登米町寺池 (形状) 平山城 (別称) 登米要害 (築城者) 葛西氏寺池城は、天文5年(1536)葛西晴胤がこの地に移り本拠とした事に始まります。 その葛西氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかった為、改易。 その後、秀吉の奥州仕置により木村氏が入るものの、改易となった葛西・大崎氏の一揆により 城を奪われてしまいます。 その一揆勢も鎮圧されると、伊達政宗の領地となり、家臣の白石宗直が入城します この白石家は後に伊達姓を名乗る事を許され、登米伊達氏として明治まで続きます。 →【地図】 この石碑の左方向に模擬門があり、それを潜ると三の丸へ行かれます===333 ここ三の丸には懐古館もあり、白石宗実の甲冑は見ものですよ! ここより北に登った所に本丸があるそうですが、道が分らず断念〜 この当時は、あきらめが早かったみたいです(笑) ここ大手門付近には、柳の木が数本あって登城するのに、ここで馬を降り木に繋いだそうです 以上で寺池城の紹介を終わります 登米は、この城と懐古館の他にも、いくつかの歴史建造物があって、散策するのに楽しい場所ですよ♪ っていう自分は時間の都合で散策はしてないんですけどね^^ |
船岡城 (陸前)(所在地) 宮城県柴田郡柴田町大字船岡 (形状) 山城 (別称) 芝田館 (築城者) 四保定朝船岡城は、中世は芝田館・四保館などとも呼ばれ、周囲を沼や堀、川に囲まれ、 峻嶮な地勢と相まって、天然の要塞と言うべき山城です。 この城の創建時期は不明ですが「吾妻鏡」から鎌倉時代初めには芝田次郎なる人物が 居たことは分りますが、はっきりするのは16世紀初め四保定朝が居城としてからです。 その後、柴田、屋代と城主が替わり、元和3年(1617)に「樅の木は残った」の 主人公「原田甲斐宗輔」の父・宗資が転封されます そして寛文11年(1671)に「伊達騒動」が起き宗輔は斬首。子も死罪、改易。 その後、再び柴田氏が城主となり明治を向かえます。 →【地図】 山頂に観音様がいるのが見えるかな? そこが本丸です^^ そこが三の丸で、広い敷地には井戸もありました。 やだ〜〜〜って方にはケ−ブルカ−もありますよ♪ でもお金を払うには勿体ない距離です^^ 原田甲斐が城主になってからは、ここで政務をしていました。 原田甲斐は知っての通り、樅の木の主役にして、ここの城主。 隣の柴田外記は、伊達騒動の時、原田甲斐を斬った人物です 伊達安芸(涌谷城主)←原田甲斐(船岡城主)←柴田外記(米谷城主)って感じですね^^ この柴田の子が原田家に代わって船岡城主とになります これで船岡城の紹介は終わりです
7〜8年前なので資料を見ながら、うる覚えのでの記事なので、間違ってたら許して下さいね(笑) 前回の涌谷城←と「樅の木は残った」繋がりで記事にしてみました。 ここまで来たら、いつか柴田外記の米谷城と伊達兵部宗勝の一関城も行ってみたいと思います。 ちなみに柴田外記の父は長宗我部の家臣で母は元親の娘だそうです。。。高知記事書こうかな^^ ![]() にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ(文字をクリック) |
涌谷城 (陸前)(所在地) 宮城県遠田郡涌谷町涌谷 (形状) 平山城 (別称) 涌谷要害 (築城者) 涌谷氏涌谷城の創建年代は不明ですが、中世大崎氏の支族涌谷氏の居城でした。 しかし豊臣秀吉の小田原参陣の命に従わなかった為、主家大崎氏と共に滅亡します。 その後、天正19年(1591)に伊達政宗の家臣 亘理重宗が入城します。 この亘理氏は後に、伊達氏を名乗る事を許され、涌谷伊達氏として277年間にわたり この地を治め、明治維新を向かえます。 この涌谷城は「伊達騒動」で原田甲斐に斬られた伊達安芸宗重の城としても有名です →【地図】 模擬天守が目に付くけど、その隣の小さい櫓の方が現存櫓で歴史的価値があります〜 涌谷城唯一の現存建築物です^^ この櫓には仙台藩一門の象徴として鯱があげられてます(説明板) って事は、仙台藩では一門じゃないと鯱が上げられないのかな? ホントは、この城には天守は無かったんですけどね ってか、そもそもここは二ノ丸です〜 その階段を登ると本丸です♪ 天守があった場所より高くなってる事を考えると本丸ってことは直ぐ分るけど、 殆どの人は模擬天守の場所が本丸って思っちゃうんでしょうね^^ これで涌谷城の紹介は終わります ここは伊達騒動の中心人物「伊達安芸」の城として有名です 自分は小説「樅の木は残った」を読んでるんで、 どうも伊達騒動の史跡と思い浮かぶのは、原田甲斐の船岡城なんですよね。 是非、皆さんも小説や映画などを見てから、ちょっと離れてるけど 「船岡城」と「涌谷城」をセットで訪問してみるのもいいかもですよ^^ |







