お城とグルメのお尚記

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高知県の城

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               須崎城 (土佐)  

 (所在地) 高知県須崎市原町  (形状)  山城   (別称)  ―――― (築城者)  津野氏 
        須崎城は、姫野々城を居城として勢力を広げていた津野氏の支城とされてます
        しかし、城主などについては定かではありません。
        麓には津野親忠や家老の山内右衛門大夫屋敷跡があります
        この津野親忠は長宗我部元親の3男で、軍門に降った津野勝興が養子に迎え入れました。
        後に、親忠は豊臣秀吉のいる大坂に人質にされ、戻って来たら幽閉。
        そして身内に殺害されるという哀しい人生を送ります。
        この事件が長宗我部家改易にも繋がります                     →【地図】
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      須崎城遠景です    
      須崎駅の辺りから撮りました^^    さて、登れるかな〜

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      東側から階段を登ること5〜10分でちょっと広めの場所に出ます
      ここも曲輪だったのかな〜 今は公園化してます
      主格には、まだまだ登るんでしょうけど、タイムリミット (;´▽`A

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      大した遺構は見れなかったけど、夕方の海の景色と風は心地よかったです^^
      もーろーろ−さん,NAOさん,マイメロさん〜 前方の海は須崎砲台場で紹介した砂浜ですよ!
      ちょっと面白いコラボ記事でした(笑)

              須崎砲台場 (土佐)  

 (所在地) 高知県須崎市中町 (形状)  台場   (別称)  須崎台場  (築城者)  土佐藩  
        須崎砲台場は、文久3年(1863)7月,異国船来航に対する海岸防備の為、
        藩命により、1ヶ月半の短期間で須崎に砲台を西・中・東3箇所築きました。
        そのうちの現存するのが西台場である、この須崎砲台場です。
        台場の規模は、最大で長さ116メートル、砲門7座、内側に弾薬室が7箇所ありましたが、
        明治初年に埋めらました。
        慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で、イギリス行使パークスが
        土佐藩と交渉するために、軍艦で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も
        来港して外国交渉の舞台となった事でも有名です。                   →【地図】

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      【鳥瞰図】

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      須崎砲台場の石碑!  曲がってる〜^^:

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      砲台場の入口です (図A)  しっかり石垣で固められてます。

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      台場内側には、上段に上がる階段が数ヶ所あります (図B)

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      真中に位置する砲門から海を望みます (図C)
      望みますって言っても正面に建物が建ってて、よく見えません(笑)
      でも、建物の隙間に海がちょっと見えました^^

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      砲門脇もしっかり石垣で補強されてます (図D)

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      上の(図E)の様に砲台脇に登ってみました!
      弧を描く土塁上に数ヶ所の切れ目が見られる所が砲門になります。

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      台場前面には線路が(笑)^^:

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      須崎砲台前の砂浜に出てみました^^
      最後に、この海の景色を見るのが砲台見学の楽しみなんですよね〜♪
      ん? ん?
      NAOさん,マイメロさん,この風景何処かの見た覚えありませんか?^^
      もーろーろーさんのブログで出て来た砂浜ですよ(笑)

浦戸城 (高知)

              浦戸城 (土佐)  

(所在地) 高知県高知市浦戸 (形状)  平山城  (別称)  ――― (築城者)  本山梅慶  
      浦戸城は16世紀初め、この地を治めてた本山氏によって築かれました。
      その後、長宗我部氏との度重なる戦いの中で、この城を奪われ、
      天正19年(1591)頃,長宗我部元親によって、天守を持つ近代的な城に生まれ変わります。
      時が流れ、長宗我部盛親が関ヶ原合戦で敗れ改易になると、代わって山内一豊が入国し、
      この城に入ります。
      その後、高知城を築くと、この城は廃城となります。
                                                          →【地図】
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      【鳥瞰図】

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      桂浜から見た浦戸城です
      山上に建物が見えますか? そこが本丸になります

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      さて、登って来ました(^^)/
      本丸には龍馬記念館とホテルが建ってます
      ちなみに、ここの駐車場は無料ですよ〜 

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      駐車場の片隅に浦戸城の石碑があります
      この石碑の裏側から天守跡へ上がれます

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      上に登ると社があり、ここが天守跡になります

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      天守台の横には、移築復元された石垣があります

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      ホテルの南側にも石垣があります

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      こちらは井戸です

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      本丸から車道に出て桂浜に降りてく途中に三の丸の石碑があります

      以上が浦戸城の紹介でした。
      桂浜と龍馬像が有名で、ここの史跡巡りをする人は少ないでしょうけど、
      高知の歴史には欠かせない城だけあって、説明板や遺構の整備がされてるのは良かったです
     
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浦戸台場 (高知)

              浦戸台場 (土佐)  

(所在地) 高知県高知市浦戸 (形状)  台場  (別称)  浦戸砲台場 (築城者)  土佐藩 
      浦戸台場は、桂浜を見下ろす高台に築かれてます。
      元々、この場所は灯明台があったて、、夜間の船の出入りを補佐してました。
      その場所に寛永15年(1638)に外国船来航を監視するためと遠見番所が置かれ、
      文化5年(1808)になると、外国船が日本近海にまで出没するようになった為
      大筒を配し本格的な砲台場を構築しました。            (現地案内板加筆)
                                                          →【地図】
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      桂浜と龍馬像に目を奪われて、この説明板と石垣に気づく人は少ないかな?
      でも、そんな目立たない史跡にも、ちゃんと説明版があるのは嬉しいです

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      この石垣の辺りは弾薬を保管していた場所です 

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      画面左上の建物を上がった辺りに台場遺構はあります。
      ここも目の前に見晴らしのよい海が広がっています。

長浜城 (高知)

               長浜城 (土佐)  

(所在地) 高知県高知市長浜字城山 (形状)  平山城  (別称) ――― (築城者)  本山氏 
      長浜城は、戦国時代に土佐、吾川の両郡を支配していた本山梅慶(茂宗)の子・茂辰の支城で、
      大窪美作守(弁作)が城主でした。
      長宗我部国親は、父の兼序の死と岡豊城(長宗我部氏居城)落城の首謀者であった本山氏の
      討滅の為、この城を落とす事を決意していました。
      永禄3年(1560)、その機会が国親の元家臣であった福留右馬允の手引きによって訪れます
      雨風激しき夜、種崎城から海を渡り御畳瀬より、長浜城を奇襲して攻略します
      長宗我部元親22才の初陣でした。
      今も城山の北西の谷を”夜討ちが谷”と伝えています  (現地案内板加筆)
                                                          →【地図】
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      四国八十八箇所である雪蹊寺と隣の秦神社にある背後の山が、長宗我部元親が初陣で
      落とした事で有名な長浜城です
      ここから、元親の四国制覇が始めるんですね^^

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      雪蹊寺の右道を奥に進むと、ひっそりと秦神社が佇んでます
      ここに長浜城の案内板があります。
      この裏山には、長浜城に遺構,縦掘りが2本あるそうですが、登城は困難だそうです。

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      雪蹊寺には、元親の嫡男である信親のお墓があります
      信親は、元親と共に秀吉の九州征伐に従軍して、島津軍との戸次川の合戦で討死します。
      その遺体を島津軍から貰い受け、浦戸そして後にここに埋葬されました。

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      長宗我部元親の墓所
      長浜城(雪蹊寺)から1キロ南東方面にある天甫寺山には、長宗我部元親の墓所もあります
      慶長4年(1599)に伏見で病没し、高知に送られ、ここに眠ってます。

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      後に四国制覇を成し遂げる、22才初陣の元親です

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