香宗我部城 (土佐)(所在地) 高知県香南市野市町土居 (形状) 平城 (別称) 香宗城 (築城者) 中原秋家香宗我部城は、安建久四年(1193)宗我部、深淵両郷の地頭職に任命された中原秋家に よって築城されました。 中原秋家は、甲斐武田家一族,一条忠頼の家臣でしたが忠頼が源頼朝に誅殺されると、 忠頼の嫡男,太郎秋通を養子にし、共にこの地に移り、秋通に家督を譲り香宗我部家初代としました。 時代は流れ、長宗我部氏の勢力が強くなると、元親の弟(三男)親泰を養子に迎え 家名の存続をさますが、関ヶ原合戦で長宗我部盛親が改易になると、城は廃城となり、 一族は堀田氏に仕え、下総佐倉に移ったと伝えられてます。 →【地図】 さて、ここは、こんなもんで。。 宝鏡寺があります。 今は排寺となって何も建っていませんが、親泰をはじめ、香宗我部家の墓が並んでます 写真は香宗我部親泰の墓です さて、城記事が続いて、飽き飽きしちゃったでしょ〜 奥さんも飽き飽きしてましたよ(笑) この後、高知市内のホテルに行き、今度こそ夕飯へ^^ |
高知県の城
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和食台場 (土佐)(所在地) 高知県安芸郡芸西村和食甲 (形状) 台場 (別称) 土佐藩台場 (築城者) 土佐藩和食台場は、文久3年(1863)に外国船への沿岸防備の為に土佐藩が築きました。 大砲を三挺置き、弾薬、大砲機器、小銃などをしまう格納庫を併設。 その周りを柴垣で七十三間巡らせていました。のちに砲場とも呼ばれました。 →【地図】 場所は説明しにくいので、上の地図を見て下さいね^^ 海に面して平行に段差が続いてます |
安芸城 (土佐)(所在地) 高知県安芸市土居字土居 (形状) 平山城 (別称) 安芸土居 (築城者) 安芸親氏安芸城は、延慶元年(1308)この地方の有力豪族,安芸親氏によって築かれました。 城は、安芸平野の小高い丘にあり、東に安芸川、北に城ヶ淵、西に矢の川、南に溝辺の堀 と天然の要害を外堀として、内堀は水を蓄え、その土で土塁を築きました。 その堅固な城も永禄12年(1569)、長宗我部元親に攻められ落城。安芸氏は滅亡します。 その後30年間、長宗我部氏が支配しますが、関ヶ原合戦の敗戦により改易 代わって山内一豊が土佐入国すると、重臣,五島為重を配し、一国一城の後も土居として 明治に至ります。 →【地図】 よく本に載るのは、このショットですね^^ 虎口のみを石垣で固め、他の部分は下部を石垣で固めた腰巻土塁になっています。 この土塁・水堀の左側に五島家末裔の方が住んでいられる家が建っています。 今も城を守られてるんですね! 畑になっている部分が堀跡です。 手前の堀底には家が建ち始めてる事を考えると、ここもいつかは。。。 その手前にある井戸には、長宗我部軍に攻められてる時、内通者が井戸に毒を入れ 戦意を落とし落城を早めたという話が語り継がれてます さて、上へ登って行きましょう〜〜 後で、紹介しますが二ノ丸南があるくらいだから、本丸の北側に二ノ丸北があります! さて、本丸突入です====333 なかなか広いお宅ですね〜 以上が安芸城訪問記になります 安芸市は岩崎弥太郎の町として盛りあがってますが、城もなかなかです! 大手虎口の石垣、内堀、山城部も完全な状態で残っているので昔をイメ-ジして 散策が出来ます。是非お勧めです^^ |





