深沢城 (駿河)(所在地) 静岡県御殿場市深沢 (形状) 平城 (別称) ―――― (築城者) 今川氏深沢城は、今から約460年ほど前(1550年前後)に、駿河の今川氏が築城したと伝わります。 その後、小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成が守備していましたが、 元亀元年(1570)11月、甲斐の武田信玄が包囲し、金山衆などをつかって攻めたて、 翌元亀2年1月3日、信玄は深沢城に有名な矢文を送って開城をせまり、 ついに綱成は藤沢の玉縄城にしりぞき、武田氏の重臣・駒井右京之進が入城しました。 その後、天正10年(1582)武田氏没落に際し、右京之進は城を焼いて退去します。 やがて天正12年(1582)、徳川家康が織田信雄に加勢して、小牧山で豊臣秀吉と戦った際に、 北条の押さえとして三宅惣左衛門をおいたが、それを最後に廃城となりました。 →【地図】 まぁ、それは後日書くとして、石碑の裏の三の丸の三日月堀を覗いてみます 大き過ぎて、三日月型ってわかりづらいです。 こちらは規模が小さい為、三日月型が良く分かります! しかも、偶然かどうか堀底と堀端の草の種類が違う為、色分けされてるみたいです♪ 左側に堀,右側に馬出しを見ながら、黄色の線上に三の丸に入ります 土橋右側の堀は、けっこう深いです〜〜 初めに紹介した三日月堀と、この馬出しが武田家の城の特徴となってます^^ 「こんにちは〜」とおじいさんに、あいさつ^^ 手前には、やはり馬出し的な場所が^^ 徹底してるな〜 正面は、二ノ丸土塁って言うより、二ノ丸を守る土塁になっていて、 土塁裏側がぐる〜と堀(溝)が廻ってます。 手前堀とで二重堀的な造りになってます。 さて、手前の道を進み、二ノ丸へ急ぎましょ〜〜〜〜〜〜〜^^ この写真なんか見ると、すごい城だな〜って思います♪ ここも、広〜〜いです! 奥は右の方にも広がってます この櫓からの景色は、素晴らしいですよ〜〜 この城を囲む北側の川,馬伏川が城を守るように流れてます〜 この写真見ると、この城の規模の凄さが分かりますね! この城は、一般的には無名かもしれないけど、遺構そして整備の行きと届いた城内は 素晴らしく、誰でも城を楽しむ事が出来ると思いますよ♪ もし良かったら、御殿場アウトレットのついでに如何ですか? いい城ですよね? わさびさん^^ |
静岡県の城
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河津三郎氏館 (伊豆)(所在地)静岡県賀茂郡河津町谷津 (形状) 館 (別称) ―――― (築城者) 伊東祐親河津三郎氏館は、河津桜で有名な河津の河川敷傍の河津神社が館跡になります。 河津三郎祐泰の父は、伊東祐親で初め河津の地を治めてましたが、 伊東祐経が都に行ってる隙に伊東領を領し、代わりに河津の地を、息子の祐泰に譲り 河津氏を名乗らせました。 この事で、一族で争いが起き、明歴2年(1177)10月。 狩りの帰りに、赤沢で祐経の家臣に弓で射殺されてしまいます。 →【地図】 この石を使って、三郎はトレ−ニングをしてたみたいです! この石、320キロもあるんですよ!! ホントかな〜 あっ そうそう〜 相撲の『河津掛』って技は三郎が考えたそうです。 この曽我兄弟とは、射殺された三郎祐泰の子供で、母が再婚した為、曽我の姓を名乗ってます この曽我兄弟は、父を殺した伊東(工藤)祐経を富士の巻狩りで打ち取ります この事が『曽我兄弟の仇打ち』として有名になった為、説明版まであるんです 『赤穂の仇打ち』と並んで三大仇打ちって言われてるそうです この濃いピンクが綺麗ですよね^^ |
宇佐美城 (伊豆)(所在地)静岡県伊東市宇佐美 (形状) 山城 (別称) 留田の城山 (築城者) 宇佐美祐茂宇佐美城は、平安時代末期に伊東市の最北端、相模灘に突出した地に築かれました。 ここに城を築いた宇佐美祐茂は、伊東氏館を築いた伊東氏の流れを組んでおり 一族の伊東祐親と争そう、伊東祐経の弟にあたります この兄祐経とは、源頼朝の旗揚げにも一緒に馳せ参じて、鎌倉幕府の有力御家人として 共に活躍して行きます。 →【地図】 この写真は、冬に撮影したので草木に覆われてなくて分りやすいです^^ 山頂部分が本丸だと思います! 個人所有地に為、入れませんでした。>< なかなかの難攻不落です(笑) まっ 取り合えず下から^^ 下り坂のキツイカ−ブがあり、そこを下ると伊東の海に出る場所ありますよね! あっ 海に出た(^^)//ってね! そこが城跡です♪ この宇佐美城には、遺構も残ってるみたいですが入れなかったのは残念。 個人所有地だからしょうがないんでね^^まぁ石碑があるだけいいのかな。 ちなみに、越後上杉家の家臣の宇佐美氏の祖もここになります 今じゃ、そっちの方が有名ですけどね^^ |
伊東氏館 (伊豆)(所在地)静岡県伊東市大原 (形状) 館 (別称) ―――― (築城者) 伊東家次ここ伊東市を、発祥に地として全国に広がった伊東氏は、平安時代末期に、 ここに住み着いた、藤原南家工藤氏に始まると言われてます。 この館は、曽我兄弟の祖父伊東祐親の二代前、伊東家次が初代と考えられています。 伊東家は、以後鎌倉時代をへて、戦国時代末期までこの地と関わりがあった為 伊東氏館の伝承地は、いくつかありますが、物見の松と伝承される老松がある事から、 この地が、伊東氏館跡と有力視されています。 【地図】← 裏側は、市役所になっていて、そこからも入れます 遺構らしきものは無さそうです>< それによると、有力伝承地の決めてとなった老松(三代目^^)があるそうです==333 それは、そうです! 三代目だからね♪ 館跡としては、絶好の場所だったのではないでしょうか^^ 関東に住んでる自分にとって、伊東氏って言ったら伊豆伊東の地の伊東氏を想像しちゃいますが 全国的には、九州の伊東氏のが有名なんでしょうね^^ でも、その九州(日向)の伊東氏も祖を辿れば、ここ伊豆の伊東氏になります。 こんな風に、全国に散らばった名家の発祥地を巡って見るのも楽しそうですね^^ |








