杵築城 (豊後)
(所在地)大分県杵築市杵築 (形状)平山城 (別称) 勝山城 (築城者) 木付頼直
杵築城は明徳4年(1393年)に木付氏によって八坂川の河口の台山上に築かれた。
台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。
戦国時代島津氏の大軍に攻められるが、籠城の末これを退けた。
しかし、後に主君の大友義統が秀吉により幽閉されると、
当主木付統直は自刃し木付氏も滅びた。
その後、前田玄以、杉原氏が城主となり、続いて慶長4年(1599年)には細川忠興が
領することとなった。細川氏は、重臣の松井氏を城代として置いた。
寛永9年(1632年)、細川氏が熊本に移封となると、替わって小笠原氏が入った。
その後、正保2年(1645年)には松平英親(能見氏)が豊後高田より3万2千石で封じれ
明治維新まで居を構えた。(Wikipedia参照)
杵築城の遠景です
海に突出する台地に築かれた為、天然の要害となっています
今は、北方から東方が埋め立てられ、突出するという感じではなくなってますが
西側(川側)から見た杵築城は、今も昔の面影を残してると思います
杵築城の入口である橋です。
正面の階段を登ると三の丸で、右の写真は橋から下を見た写真です
水堀になっています。この堀は、中学校のある北側まで延びてます
正面の階段を登ると、場内最大級の広さを誇る三の丸です
今は市民会館が建っています
さらに先に進むと駐車場があり、二の丸の入口が現れます
多分、本来の入口は、ここより左側だと思います。多分〜〜〜
階段を登ると、広い公園になっていて、子供たちが遊んでます♪
その先に進むと、本丸への虎口が現れます
ここまで、三の丸,二の丸,本丸と段々に高くなっています
さて本丸へ突入です====333
天守と杵築城石碑!
天守正面(南側)!!
天守東側です〜 逆行〜〜〜!!!
本丸は縦長に伸びていて、いろんな石仏が置いてあります
大分には、石仏が多いんです〜〜
天守からの眺めです♪海です〜
ここの河口には、カブトガニがいるそうです〜 見たいなぁ〜〜
天守に、はく製はありましたよ♪
北側を見た写真です。正面右側にさっき通った三の丸の市民会館がみえます
そことは別に、左前方の台地(川沿いの断崖)が見えますね。
そこは、南台武家屋敷になっています〜
さて城を後にして、麓にある御殿場です
ここ杵築は、杉原氏の時代には、政務の中心を台地上から、麓に移しました。
この石垣は、御殿の北東部分の石垣です
北台武家屋敷です
ここ杵築は、台地上の城よりも、北と南にある2つの武家屋敷が、見所です!
石段になっていて、左右には漆喰の壁♪正しく武家屋敷です〜〜
町中には、いくつもの坂があり、その一つ一つが名所になっています
藩校学習館の正門です(現存)です
先ほどの坂の途中にあります
さらに坂を上りきると、大原邸があります
左右どこを見ても、昔の武家屋敷を残していて、特に大原邸の前の壁は見ものです♪
これで杵築城の散策は終わりです。
噂通り武家屋敷や坂は、かなり見応えがあり、楽しい時間が過ごせました
ただ台地上の城跡は、石垣もなく、遺構もあんまり見ることが出来ませんでしたが
ただ地形だけは難攻不落だった杵築城を物語っていて良かったです
おわり
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