msadmin 日記帳 ~主に事件と海外ネタと独白~

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David John Birnie
デヴィッド・ジョン・バーニー

1951年5月23日
パースの東部
牧歌的な郊外のワットル・グロウブでジョンとマーガレットのバーニー夫妻の間に生まれた

後に兄弟が生まれるが
彼はその最年長者だった

学校の友人やその時のワットル・グロウブのバプテスト教会教区民は機能不全の家族として特に彼の家族を覚えている

家族の噂は全般的にしっちゃかめっちゃかなものだが
共通して話題になるのがアルコールの問題と近親相姦の問題だったといふ

バーニーの両親が結婚する時
頼まれた地元の牧師は懸念を禁じえなかったとのちに語っている

いわく
父親は非常に小柄で何の取り得も魅力もない男
一方
母親は荒っぽい態度や言動で知られており
タクシーの料金の支払ひもオ○ンコで支払ふよーな女だったといふ

バーニーの学友たちはのちに住居についてもコメントしている

いわく
食事の時刻が遅く
さらに一定の時刻でもなく
部屋はちらかり汚れていたといふ

冷蔵庫のドアは常に開いており
子供たちや飼ひ犬は腹が減ると自由に食べることができた

1960年代初頭
バーニー一家はパース郊外に引っ越した

そこでバーニーは双方の友人を介してキャサリンと出会ふ

15才の時
バーニーはアスコット・コースのエリック・パーンハムのところで見習ひジョッキーとなり学校を辞めた


Catherine Margaret Birnie
キャサリン・マーガレット・バーニー
旧姓. Harrisonハリソン

1951年5月23日
出身地はよー解らんが多分WA
ハロルドとドリーンのハリソン夫妻の間に生まれた

彼女が2才の時に弟が生まれるが
その時
母親は死亡した

この死亡により彼女は父親とともアフリカに渡るが
その後
母の祖父母と暮らすよー父親に言はれてオーストラリアに戻り
今度は叔父夫婦に預けられ
親権の押し付け合ひが決着して結局父親と暮らせるよーになる頃には10才になっていた

そんな転居転居で彼女は友人が一人もいなかったといふが
のちに
彼女の行く先々の子供たちの親たちが
恣意的に彼女と子供を接近させなかった事実が明らかになっている

ともかく
思春期に入っても友人がおらず
母親もいない孤独な彼女は12才の時にバーニーと出会ひ
人生の転落が始まる

バーニーに言はれるまま彼の犯罪の片棒を担ぎ始めたからだ


1969年6月11日
彼らは窃盗と家宅侵入の11の訴因の嫌疑を受け
バーニーは懲役9ヵ月を宣告されたが
キャサリンはその時に妊娠しており
執行猶予に留まった

翌月
2人は更に窃盗の8つの訴因の嫌疑を受け
バーニーはもう3年の禁固
キャサリンはもう4年の執行猶予を追加された

1970年6月21日
バーニーはカーネット刑務所から脱獄してキャサリンの下に向うが
結局
1970年7月10日に逮捕され
2人は自動車の窃盗/家宅侵入/不法侵入/違法操作の嫌疑53件を受けた

また
彼らの隠れ家から警察はかつら/ラジオ/ダイナマイト/起爆装置/ヒューズなどを発見した

裁判においてキャサリンはバーニーを愛しているので彼のためになんでもすると主張し懲役2年半の禁固を命じられ
赤ん坊は福祉サービスに取り上げられた

これがある意味において
キャサリンがバーニーから離れるチャンスとなったはずなのだが


刑務所を釈放されるとキャサリンはフレマントルで住み込みの家政婦の仕事に就く

彼女はそこで雇い主の息子.ドナルド・マクラフリンと関係を持ち
1972年5月23日
彼女の21才の誕生日に結婚し
子供はすぐに生まれた

この子供はキャサリンの目の前で自動車事故に遭って大破するが
夫婦はこの後も順調にセックスしてその後6人の子供が生まれている


キャサリンが結婚生活を営んでいるころ
刑務所から解放されたバーニーも結婚していた

娘もいたよーだが
成人後の彼はすっかり倒錯性嗜好家兼ポルノ中毒者になっており
歪んだセックスへの願望が性格/精神にも悪影響を与え始めていた


6人目の子供が生まれたキャサリンは出産4週間後
家を出る

その頃の彼女は子供の世話をまったくしない女になっていた

彼女は病院で子宮の摘出手術を受けているが
その病院に入院中の彼女を探し出したバーニーと同棲することになる


バーニーとキャサリンは公式的には結婚していない

実は
公式的に彼女とマクラフリンの離婚が成立するのが結構後のことなのら

ただ
正式な結婚はしていなかったけれど
キャサリンは自分の苗字をバーニーに変更する法的な手続きを行ひ
内縁関係ではあったけれど
彼に対する気持ちを表した


地元で自動車のレッカーマンをやっていたバーニー
彼には抑え切れない性欲があった

キャサリンが身ごもる恐れはないので中出しし放題で朝晩朝晩朝晩とセックスしていたが
カップルは性生活に活を入れるため
若い女性を誘拐してレイプすることについて検討を始める

そして1986年10月
ついにファンタジーが実現を目指し始め
殺人が始まる


1986年10月6日
ウェスタン・オーストラリア大学で心理学を専攻していたメアリー・ニールソン22才が
アルバイトのデリカッセンでの仕事を終え
家路に着いた直後に姿を消した

実は
ニールソンは車のタイヤを探してムーアハウス通りにあるバーニーの家に来ていた

家に入った途端
ニールソンは彼にナイフを突き付けられ
手足を鎖で繋がれ
ベッドに縛り付けられた

そしてニールソンは繰り返し彼に犯され
何度も彼の精を受け止めさせられた

このレイプの間
キャサリンは壁際でそれを見つめてながら
彼にニールソンのどこに強く惹かれたかなど
言葉プレイをしていたといふ

前もって
縛られた女が男の挿入を受ける姿を見ながらするオナニーが最高のオーガズムを呼ぶと彼に教えられていた彼女は
自分の役割を果たしながらオナニーしたはずだ

この性のパーティが終わった後
カップルは今まで考えていなかったことに思ひ至った

この後どーするか?

結局彼女の提案で
ニールソンは殺すしかないとゆーことになった

夜中
再び彼はニールソンをレイプし
グレンイーグルス国立公園に連れて行き
ナイロンのコードで彼女の首を絞めて絶息させ
仕上げにナイフで刺して止めを刺した

ニールソンの身体はそのまま浅く穴を掘って埋めた

彼女のギャラン・セダンは6日後
警察本部の反対側に川沿ひの駐車場に乗り捨てられているところを発見されているが
この場所に止めたのはバーニーが捜査撹乱を目指したものだったといふ


同年10月20日
前回の殺害から2週間後
スターリング・ハイウェーに沿ってヒッチハイクしていたキュートな15才
ハリウッド高校の学生. スザンナ・キャンディをバーニー夫妻は誘拐した

彼らの家のベッドに鎖で繋がれたキャンディは
バーニーとキャサリンによって交互に犯された

そして
精液タンクが空になり
レイプそのものに飽き飽きした彼はキャンディを絞め殺そーとするが
キャンディがヒステリックに暴れるので睡眠薬の力を借りる

そしてキャンディが眠りに入ると
バーニーはキャサリンに不滅の愛を証明せよとキャンディ絞殺を迫る

喜んで拝命した彼女はキャンディが呼吸を止めるまでナイロンコードで首を絞めた

この件についてのちに警察で彼女は
「彼に対する愛がどのくらいワ(私)にとって強いか、ワ自身も知りたかったんずや。だばって、ワにとってもそれは予想外の力だったんずや。ワは彼の欲望が満たされるならなんでもするつもりだったんずや。ことに相手は女だし。」
と言ったといふ

彼らは国有林のニールソンの穴の近くに墓穴を掘り
キャンディを埋めた


キャンディは誘拐された直後
家族に対して無事だと知らせる手紙を書かされた

時系列的には彼女の死後に家族はその手紙を受け取ったことになる

家族はその手紙を見て
いっそう彼女の命を心配したといふ


同年11月1日
ビクトン郊外で母親と暮らし
ネドランド・ゴルフクラブのバーのマネージャーをしていたノーリン・パターソン31才が仕事の帰り
フレマントル郊外のハイウェイ上においてガス欠で立ち往生となる



つづくhttp://blogs.yahoo.co.jp/show_p_dion_ne_jp/10858811.html




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