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 昭和40年代に芦原某ら(記憶に間違いがあるやも)が「短詩」なる同人誌を刊行していた。
そのメンバーのひとりであった坦ヶさんから、本日ただ今表題の冊子をお送りいただいた。さかのぼって「阿吽」3号の松本秀文氏の作品「誤町(あやまち)」について坦ヶさんは自身のかつての短詩との共鳴・共振を感じた旨の評を寄せておられました。
 直接に内容とは関係なく、小生は俳句(発句も)川柳も短歌も短詩型文学と呼べるほど一句、一首で一人立ちできる「文学」であり得たことはかつても、これからもないだろうと思っている。故に、坦ヶさんがかつて25年ほどまえに標榜していた「第四の短詩型文学の確立」は二重に不可能というほかないと思います。
 ただ、目標や結果はどうあれ、また文学にかかる思い入れが何であれ、その「言葉の伝達性からの離脱と・・・・・・言葉の自立」といっためくばせは今日においてまさしく「阿吽」が求めてやまないもので、その意味でこの短詩集は作者が若かったためばかりではなく、日本の詩の黎明期における(これは、今日まったく変化なし)詩人の若く活力に満ちた新鮮な香りを放っている。
 
 ストローでミルクを吹き零す幼児は「君がいれば・・・」をファウルし
 ながら草野球の少年達をしり目にこっそりアップルと戯れている   (註・以下原文縦書き)


 朝 窓を開けると眼前で「形」が総て流れていた

 
 不死鳥の伝説を飛ぶ北方領土の鳥たち 熱い振動で古書の岬を濾過していく


 あの川が衣をまといあのライオンが喫煙するーー谷間に集落する電子達の食卓

 好きな短詩をランダムにあげておく。

 それぞれ、数詩を束ねて、たとえば「青春の枯葉」とか「あの風の墓地」などのタイトルがつけられている。
 詩人は適当な抜き書きを好ましくは思うまいが、小生はその語彙から書き出せるかどうかで自身の詩の書いていない1万行を思って「他者」を読む癖がついている。つまりは、ことばの毛羽立ちというのか、ことばならざるものへの憧憬と言ったらよいのか。そろそろ、絵画におけるデュシャンのように詩篇を書くべき時だ。かつてのことば、言葉にまつわるあらゆる妄想に別れを告げて。
 そんなことを、この短詩集は教えてくれた。坦ヶ真理子はやはり永遠の天才少女だ。本人はいっかなそう思わず、「詩はもうやめたの。腰痛がひどくなるから」とか言って世の男性どもを煙にまいている。ゆめあなどるなかれ。

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短詩集「太古という未来」をご紹介くださり有難う御座いました。
芦原修二主幹のものは「短説」で、80年代にスタートしたもので、短詩は山村祐主幹で、60年代スタートで、全く別物です。短詩型文学の人たちが中心でした。若さにかまけていろんな実験をして、40年前に雑誌もろとも自爆してしまいました。この冊子は1980年代半ばに、昔を懐かしんで100作品ほど纏めてみたものです。この自爆の後現代詩を書き始めたのですが、短詩に対する自爆テロのようなものだったので、結局生き返ることは出来なかったのだと思います。
こうして暖かいお言葉でご紹介いただき、墓場の自分が一瞬蘇ったようで、とても嬉しいです。自爆テロの巻き添えをくった多くの仲間たちと共に感謝いたします。

2010/12/15(水) 午前 10:14 [ Bruxelles ]


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