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 渡辺玄英氏が出された詩集「破れた世界と啼くカナリア」をこの一月ちかく繰り返し読みました。読むたびに不安感がいやまし、読んでいる自分が「もうどこにもいない」寂しい感じに支配され、同時に立っていられない、そう遊園地のくるくる回るコーヒーカップに乗っている気分を味わうはめになった。
 いつも、いつでもわたしであれ、彼であれ、あなたであれ確かな「わたし」はもちろんのこと、「わたし」がいる世界すら本当のそれではない。(そういう不確かさを詩人はことばを通して覗き、いやおうもなしに確認せざるを得ないものとしてわたしたちに感じさせるのだ)
 今、あるいはこれからも息して過ごすだろうそこは、何と名付ければことばもなしに、「世界」でありうるのか・・・・。詩人はここでは、砕け散る結晶体のごとき透明感あふれることばのきらめきそのものに自らを変容させる秘技を軽やかになすのだ。希有のひとだ。
  
  ここにあるのは(脈がみだれて
  もう終わったものと まだ始まらないものばかり
  なくなってしまえ!(ボクは忘れない

 忘れることはきっとないのだ。ひとは、この詩集の現している、そこここに、あるいはここにしめされたなつかしい時空が縦横無尽に跳梁跋扈するわたしだけの唯一の世界に繰り返し立ち戻って来ることになるだろう。2011年は、極めて、衝撃的な希有の詩集を持った。バンザイ、バンザイ・・・・。この詩人はいつでも、どこでもあなたのか細い「現実」の擁護者としてあなたの少しだけ後ろに控えめに、けれども力強い味方の影のように寄り添ってくれている。こんな安心がどこにあるだろう。ありがたい、そう記して終わるほかない。      綾子玖哉


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