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バベルのための試篇

青い空のある方角に重なることば一筋
風の輪郭や流れるひかりのひもに括られた底なしの隙間
二本のまなざしにしのびこむ
足下には不定形のなぎさ
空中にとどまる緑の葉や
朱色の翼のけもの
あらかじめ歌声を耳にしのばせ
響き渡るという夜の入り口を消し去る
匂い立つものの姿が「純白はいい」そう語るのが
聞こえる
それは川が背中を流れて行くように ただ
聞こえるだけのこと
そこにとどまるために
見上げると星はまるく回るから
木石と猫目石
うごめきと木目込みと高まる潮位
地下に確かにうねる海(書いても無駄だこのような一行)
冬でさえただヒューヒューと比喩
寂しげな先立った飼い猫(ランボー)
遠景に近づく彼のしわぶきもろともに
気後れする(中断)

エスキース

ひびきわたる
くらやみから記憶の凪への
うねりは闇にはじまり
ひかりの外へ
まなざしを投げる
夢見るあるいは隙間に咲くという
岸辺にさえ
消え入る
風の花を見たことは
あるまい
例えようもない
草原が君の
袖に
縫い込まれた
崩れるなぎさの
星ひとつ
を忘れた
かがようものこそ
避けがたい
夜に
届かず (玖哉)

両刃の剣

怖いのは自分にも刃が向いていることにあるのではない。
意味のあるなしと
音楽。
それは、ψの消息と称されているが、実は、わたしを取り巻くありとあらゆるものが盛り込まれた五十音図のことだ。
一刀一断という語もある。
本当の怖さは峰打ちがこの剣では不可能であることだ。
わたしも彼もこのものの前ではすでに存在しないも同じこと。
ひとの消息が失われた言葉だけの世界にこの輝く両刃の剣。その名は「ψ」。
などと、塾見習い生の圃出まみもは私信に書いて来たりする。
何か、現代詩がドラマ「水戸黄門」のようであることに強い不満でもあるのでしょうか。
わたしは、そんなにないけれどねえ。

デラシネの哀感

詩集を手にして、「スッー」と一息を吸い込み、そのまま吐くのを忘れていたのだと思う。瞬間だったようにも感じるが、判らない。100ページ20余篇の詩集を読み終えていた。軽い失神の心地に見舞われたに違いない。読んだという「記憶」がないまま、自分の体を感じるという、その感じが戻るまで、つまり確かにわたしがそこにいると自覚があるまでに途方もない長い時というものが費やされた気がしたのだった。
 塚越祐佳氏の第2詩集「越境あたまゲキジョウ」を読み、本当にわが身におこったことだ。

 日本の現代詩にあって、おそらくは誰よりもことばに自身のありかを探し続け、詩を書くことが生きる歓びであれと願いつつ病で逝った都会派(「新界」という塚越氏の詩篇から受けた印象からふと・・・)の詩人である岡田隆彦がある詩論のなかで次のように言っている。「詩の表現とはすなわち、詩人の面前につねに理想の肉体として輝いているもののことである。」(「かがやく肉体と表現」現代詩手帖’68年3月)これにならえば、まさしく塚越という若い詩人は「肉体派」である。生の身体であれば、他ならぬ「わたし」が、いや体とともにあるという「自意識」の暴虐こそがつねに輝くはずの肉体を脅かしもするのだ。
 「地に立つ花」「生花」をうたう時詩人のことばが哀切に聞こえるのは、だから当然のことでもあるのだろう。

    (去っていくわたしのかかと)

     
    硬直するつまさき
    なくなったら
    きっと泣く


    わたしのかかとをさがす

 この詩集を貫く思いは、「味わわせてほしいのです/これとあれのあいだ/わたしとわたしじゃないものとのあいだに育つ生物たちの味を」につきるのだろうが、この詩人「口にびいだま」なぞをたくさんほおばってもいるので一筋縄ではいかぬわが身を
    
    むみな言葉
    りろりろと 余れり
とか、 
    
    まるのみするしゃべり
    ほねほねし頬
などと、ことばごと揉みほぐしたりもして、その技能たるや多くの詩人をして顔色をなからしめるといっても過言ではないと思う。このことばの哀感は貴重な現代詩の宝ものと言える。うん、凄いこと書くものだというのが、第一印象でした。
 気の利いた行にことかかないが、たとえば、「海囲」の4行目にある (灰色なのに記憶は薄紅)などを目にすると勝手に感情移入があって妙にうら悲しい気持ちになる。しかし、この詩人の真骨頂はそんな感涙を催させる他者への「うすいかなしみ」(破片の詩句)にあるのではない。
 印象評とことわったからには、詩句、詩行へのいちいちの物言いはわたしの任ではない。
 最後に集中最高の傑作(と、わたしが勝手に思うだけ)の「波境」から

    降るとしたら雨だ
    流れるとしたら血だ
    飲むならば
    空白だ

にみられる「激情」を記して置きたい。
 この客気、固ゆでたまご(ふふふ)がこの世をまたぎ越え、異種の鳥どもに変貌する時を告げている。まあ、なんてこの人は岡田隆彦の再来を感じさせてくれるのだろう。彼の大の親友吉増剛造さんに読ませて見たい。きっと、泣く。

降りしきるもの

降る、
しずくの中に。
それはうねり、揺れるまま、
封印された声。
そう堅くもなく、
夢見心地でもなく、千切れてゆく。
風のように、
みじろぎながら。
片々と、
舞い散るのが海だと、
記憶していた、
<純白の>夜。
そんなものが、
仮にもあるとしたら、
そこに降る、
ひかりのしずくの中に、空は開け、
形ないもののすべては、そこにある。
そこにということばの
上に。
そこに
絶えず、色のないもの、
絶えて息をしないものらが、重なり、
降りしきる。
あるいは、しきりに、
吹き、
寄せる。


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