
そば屋を出てさらに北へ歩くと、だんだん町らしい雰囲気になってきた。
道路も敷石が美しく敷かれ、土産物屋や工芸品の店、飲食店などが並んでいる。ただし、シーズンオフということで、かなりの店が閉まっている。
突き当たりを左折すると、そこは嵯峨野から清滝、愛宕山へ抜ける古い街道で、景色はまたちょっと田舎・山麓の気配を漂わせ始める。土産物屋がところどころあいているが、人影はほとんどない。
少し歩くと、化野(あだしの)念仏寺に着いた。
順路に沿って、敷地のいたるところにまとめられている無縁仏の群れを拝みながら歩く。「化野」とは化け物が棲む野原ということだろうか。そこには千年分の死霊が漂っているわけだ。
無縁仏というのは、捨てられた、あるいは行き倒れになった死体を供養するために建てられた墓石、石仏ということなのだろう。
このあたりは大昔から死体を捨てる場所だった。そもそもは原始時代からの風葬が起源だと言うから、「捨てる」という表現はおかしいかもしれない。死んだら体を自然に返す。それが原始信仰の死体処理だったのだ。
しかし、京都が都として栄え、人口が増えて、疫病や戦乱でおびただしい死者が出るようになると、そんな優雅なことは言っていられなくなる。都市にとって死体はスキャンダルなのだ。
それを引き受けるのが仏教寺院の役割であり、そのシステムは今でも続いている。
現代の寺でも、遺族が墓参りもせず、檀家としての付き合いも絶えてしまうと、無縁の墓として墓石を裏山にまとめ、新しく墓地を分譲したりしている。裏山に捨てられた墓石は新しい無縁仏になる。生きている人間が祀らないかぎり、墓も寺も神社も消えてしまうのだ。
結局、すべては生きている人間の自己満足のためなのかもしれない。
死者の霊は墓にはいない。あの歌みたいに、風になってそのあたりを吹き渡っているということだろうか。まあ、それも生きている人間、生き残った人間が自分を励ますために考えた、勝手な理屈のようにも思えるが。
それにしても境内の真ん中に集められた無縁仏の大群は圧巻だ。何の信仰も持たなくても、ついつい手を合わせてしまう。ぼくも身勝手な生き残りの人間だからだ。
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