天満宮の博物館で見たビデオでは、
白村江(はくすきのえ)の戦いのあと、唐・新羅連合軍が攻めてくるのを防ぐため、中大兄皇子が北九州に築かせたという水城と山城の跡が太宰府郊外に残っているという。
白村江の戦いというのは、663年唐・新羅連合軍が百済に攻め込んで百済・日本の連合軍を打ち破った戦いのことだ。このあと百済は滅び、百済の連合国だった日本も存亡の危機に直面する。
朝鮮半島の戦いにどうして参加しなければならなかったのか、それも圧倒的に巨大な唐を敵に回しての勝ち目のない戦いで、どうして負けるとわかっている百済側に荷担しなければならなかったのか、ちょっと不思議な気もする。
その答えのヒントが太宰府に築かれた山城にある。
山の上に石を組み上げて築かれた山城は百済独特のもので、北九州だけでなく、瀬戸内海沿岸部にも点々と残っているという。
当時の日本はこうした土木建築技術を、朝鮮半島の技術者に頼っていた。土木建築だけでなく、仏像などの技術者も渡来人だったという。
日本にとって百済は単なる同盟国ではなく、当時の近代化を推進するために不可欠な指導者だったのだ。
裏日本史の世界では、もっと目からウロコ的な説がある。
そもそも中大兄皇子は百済王家の人だったというのだ。そうだとすれば、負けるとわかっている戦いに出兵したのもうなずける。
そういえば、中大兄皇子は645年の大化の改新で権力を握ったあとも、天皇に即位していない。即位して天智天皇になるのは白村江の敗戦のあと、しかも奈良から逃げるように今の滋賀県大津に都を移してからだ。
「日本書紀」ではそれが天智7年となっていて、天智の年号はその7年前から始まっていることになっている。
その3年後に天智は崩御する。記録には馬に乗って出かけて、馬だけが帰ってきたとあり、なんだか謎めいた死に方をしている。
その後672年、天智の弟とされる大海人皇子が大津に攻め込み、天智の息子・大友皇子を殺して天武天皇となる。いわゆる壬申の乱だ。
一説によると、このとき筑紫の太宰府と吉備の太宰府が唐・新羅に占領されている。
つまり壬申の乱は近畿地方で起こった天皇家の内紛ではなく、当時の全国規模で起こった大規模な戦乱だったというのだ。
中大兄皇子/天智天皇はどちらかというと反仏教・反中国政策をとった人だったが、大海人皇子/天武天皇の代になると政策は百八十度転換され、仏教寺院が次々と建てられ、藤原京・平城京へと続く中国的都市構造を持つ首都建設も進む。
聖徳太子によって6世紀末から7世紀前半にかけて推進された中国化、当時のグローバリゼーションが再び始まったのだが、これは天武天皇/持統天皇の理念から来たというより、当時西日本に軍を駐留させていた唐に強制されたものだというのが、裏日本史の説だ。
古代史の謎はまだまだある。
聖徳太子は何者だったのか、どうして絶大な権力をふるいながら天皇に即位しなかったのか。
聖徳太子の一族はなぜ蘇我氏に滅ぼされたのか?
「日本書紀」以前の大和朝廷の正史は蘇我氏の滅亡と共に消失したというが、なぜ正史を蘇我氏が持っていたのか?
蘇我蝦夷・入鹿は天皇に即位していなかったのか?
どうして「日本書紀」と「古事記」という、内容も編纂された時期もかぶる2種類の歴史書があるのか?
こうしたことにも様々な裏日本史的な解釈があるのだが、それらをつなげていくと、聖徳太子も蘇我氏も朝鮮半島から渡来した騎馬民族のリーダーであり、中大兄皇子/天智天皇も百済を征服した騎馬民族系のプヨという部族の王であり、白村江の敗戦後、唐に反抗した天智系の百済王家は壬申の乱で滅ぼされ、唐に降伏した天武系の王家が白鳳時代・奈良時代のグローバリゼーションを推進したといことになる。
大海人/天武天皇は、天智の弟なのに年上だという証拠がいくつもあり、血縁関係すら疑う説もある。当時の日本を支配していた高句麗系・百済プヨ族系軍人貴族で、唐と和睦した勢力の代表者だったのかもしれない。
正史である「日本書紀」は、漢文で書かれているところを見ると、おそらく中国に提出することを意識して書かれた歴史書なのだろう。日本という国は、唐に滅ぼされた百済や高句麗とは違う、独立した起源を持つ国であるという、苦しい主張がそこには見える。
それに対して「古事記」は、より内向きの歴史書のように見える。モンゴル・朝鮮半島から来た制服王朝が成立する以前の歴史、被征服民の立場を考慮した歴史が語られている。その文体はまるで神社の祝詞のようだ。
そんなファンタジーみたいなことをあれこれ思い浮かべながら、太宰府政庁跡をフラフラと歩きまわった。
うさんくさい裏日本史の説がどうしてこんなに面白いのか不思議だが、たぶんそれは今の日本と日本人の中にわだかまっているもの、ぼくらが目をそらしているアメリカ帝国の日本支配、世界支配という現実とどこかで響き合うからなのだろう。
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ちなみに、写真の川は古代の水城とは何の関係もありません。
あしからず。
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