

赤い塀に囲まれた春日大社の聖域はそれほど広くない。
山の麓に建っているから、
たぶん元々は山そのものがご神体ということなのだろう。
びっくりするのは塀の内側の、
通路のようになっているスペースにびっしりと、
灯籠や旗が並んでいることだ。
これも信徒の寄進なのだろう。
表の参道に果てしなく並んだ石灯籠といい、
この内部の灯籠といい、
信徒たちの信心の厚さを感じさせると同時に、
御利益を願う意欲のすさまじさで、
見るものを圧倒する。
昔バリ島のヒンドゥー寺院を訪ねたときに感じたのと同じ、
無数の祈念がぎっしり詰まった聖域のエネルギーがそこに渦を巻いている。
天皇崇拝とも、国家神道とも違う、
生活に根ざした、素朴で率直な生きる意欲から湧き出してくる信仰。
人は国家や地域社会や親族など、
色々な装置/システムの中で生きる。
その数だけ信仰の形態があってもおかしくないのだ。
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