清洲城からキリンビールの工場がある大きな通りに出て、南東へ走る。
以前、仕事で何度か通ったことがある道なのだが、
そのときはタクシーだったので、名古屋駅までどのくらい距離があるのか、
どこで曲がればいいのか、今ひとつはっきりしない。
とりあえず大雑把な地図のコピーを見ながら直進。
標識の行き先に「熱田」と出る。
桶狭間の合戦のとき、たしか信長はほんの数騎で清洲城を出発し、熱田神宮へ向かった。
そう考えると、なんだか自分も進軍しているような気になる。
そこで後続の軍団と落ち合い、神宮に勝利祈願をしてさらに南下、
善照寺砦に入り、今川軍の動きを見ながらさらに南の中島砦に入った。
まわりには総勢数万の今川勢が充満していた。
中島砦の南西にある鷲津・丸根砦も、大高城も前日までに落とされていたし、
善照寺砦のすぐ西にある鳴海城も今川側の手に落ちていた。
今川義元の本隊は中島砦の東にある沓掛城を出て西に進み、桶狭間山に陣を張る。
織田軍は中島砦を出て桶狭間山へ向かう。
桶狭間山からは善照寺砦・中島砦も、その南を流れる扇側流域もきれいに見渡せたから、
織田軍の動きは丸見えだった。
桶狭間(おけはざま)というと谷間みたいな地形を思い浮かべてしまうので、
大軍の今川勢は前日までの勝利に油断して谷底に陣を張っていて、
信長の奇襲作戦にやられたというイメージができあがってしまったが、
この頃織田家の武将だった太田牛一が書いた「信長公記」をすなおに読むかぎり、
お互いの動きを見ながらまともに正面からぶつかった戦いだったようだ。
織田勢の数は2000とも4000とも言われるが、
総勢数万と言われる今川勢に勝てたのは、
少なくとも奇襲攻撃のおかげではないらしい。
素人考えで見ても、今川は数万といっても落としたあちこちの城・砦に軍を入れているから、
本隊はそんなに多くない。
数万の今川軍が一気に織田軍に襲いかかっていたら、ちがう展開になっていただろうが、
桶狭間山の北側で激突したのは、今川の方が多かったにせよ、数千対数千で、
万対千みたいな圧倒的な差はなかった思われる。
「信長公記」によると信長は「敵は徹夜で動いて疲れているから、数が多くても倒せる」と、
武将たちに檄を飛ばしたという。
特に信長は、今川勢が大高城に兵糧を運び込むのに夜を徹して働いたはずだということを強調している。
戦いというと、合戦そのものばかりをイメージしがちだが、
実際には陣地と兵站(物資)の確保にものすごく労力を費やすものだ。
それが勝ち負けに大きく影響することもある。
信長は今川の大軍にあえていくつもの城や砦を攻めさせて兵力を分散させ、疲れさせ、
戦力が拮抗した状態の主力部隊どうしで勝負を決めようとしたのだろう。
信長は戦いを前にもうひとつ、重要な指示を出している。
目標は今川義元ひとりであって、ほかの武将を倒しても首をとったり、戦利品をはぎ取ったりせず、その場にうち捨てて組織的な戦いに徹しろというのだ。
普通、武将にとって戦いは商売だから、刀・槍・鎧・兜などの戦利品は貴重な売上げになるし、
敵のどんなクラスの武将を何人倒したかが、手柄・報償の目安になるから、
みんな倒した武将の首を切り取って持ち帰る。
しかし、今回は尾張存亡をかけた戦いなので、そういう戦い方はしない、
全軍一丸となって今川本隊を崩し、義元ひとりを討ち取ることに集中しろということだ。
現に、本隊どうしが激突する前の小競り合いで、
前田又右衛門(のちの利家)が今川の武将の首をいくつかとって本陣にやってきたとき、
信長は「そんなことをするな」と武将たちに念を押している。
この組織的な戦い方が織田にとってプラスにはたらいたのだろう。
もうひとつ、戦いが始まったあたりで、まわりが見えなくなるくらいの集中豪雨がやってきたことも、
戦況に影響したのかもしれない。
「信長公記」には、雨がやんでから信長が突撃を命じて、本格的な合戦が始まったとあるが、
このとき今川側から参戦し、大高城に入っていた松平(のちの徳川)勢の資料「三河物語」では、
豪雨の中、信長が三千の兵で突撃し、今川軍は敗れたというような書き方をしている。
とにかく織田軍の猛攻の前に今川軍は大きく崩れ、義元は乗っていた輿(こし)も捨てて、
300騎くらいの兵に守られながら退却を始める。
織田軍はそれを囲んで何度も襲いかかりるうちに、義元を討ち取ることができた。
今川勢の方が山にいたのだから、
上から駆け下りて、平地にいる織田勢に襲いかかれば有利だったのではないかという気もするのだが、
山道では隊列が縦長になってしまい、
組織的な動きができないという不利もあったのかもしれない。
今川勢は前日までの勝利に気をよくして酒盛りをしていたという説もある。
そもそも全体としては大軍なんだから、
義元の本隊はどこかの城にいて、軍団を動かしていればよかったのにとも思う。
そういう意味では、この合戦は奇襲戦ではなかったにせよ、
今川に油断があったのは事実だ。
とにかく、この戦いに勝ったことで、信長は戦国武将として大きな一歩を踏み出すことになる。
とまあ、こんなことを考えながらのろのろ自転車を走らせているうちに、
名古屋城の手前で大きな交差点に出た。
この交差点、なんと横断歩道がない。
歩道は車道の一車線くらい広いのに、ガードレールで仕切られて、渡れなくしてあるのだ。
そのかわり4つの角を結ぶ巨大な歩道橋があり、
階段のわきに、自転車が通れるスロープもある。
さすが自動車王国名古屋だ。
自転車を引いて歩道橋を渡り、右折して名古屋駅をめざす。
3:00に名古屋駅着。
サラリーマンが行き交う東側駅前広場の隅で自転車を折りたたむ。
メーターを付けてないので正確にはわからないが、今日の走行距離は約40km。
平地を休みながら走ったので疲れはまったくない。
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桶狭間の戦いのことがよく分かりました。ありがとうございます。
2009/12/6(日) 午前 8:35