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夕暮れどきになると、町外れにある牛頭天王社の宿坊に戻った。そこには農機具や装飾品、化粧品などいろんなものを売る商人たちが泊まる。傀儡(くぐつ)、猿回し、陰陽師(おんみょうじ)、津島御師(おし)、巫女、白拍子といった連中も泊まる。
彼らと飯を食い、酒を飲みながら四方山話をするのが猿にとって何よりの楽しみだ。「どこそこの嫁はどこそこの男と不義を働いている」とか、「どこそこの武将はどこそこの家から側室を迎えるらしい」といった他愛もない噂話の中に、ときどき「何々城騎馬何騎、弓何人、槍何人、足軽何人」といった数字がさりげなくはさまるのだが、数字以外は彼ら独特の隠語を使い、しかも要所要所は唇の動きだけで言葉を伝え合うので、部外者がそばにいても、なんの話をしているのかはわからない。彼ら自身もそれがどういう意味を持つのか、本当のところはわからない。立ち寄り先で見聞きした、あまりにも断片的な話だからだ。
それらをつなぎあわせて意味のある情報にまとめるのは津島御師たちの仕事だ。彼らは牛頭天王社の社家の子弟で、表面上は東海を中心に各地を回って加持祈祷や占いを行ないながら天王信仰を広めるのが仕事だが、その裏で各地の動きをさぐり、津島の頭領たちに報告するという任務を負っている。その情報は最終的に織田弾正忠信秀のところへ行くのだ。
行商人や傀儡、陰陽師、巫女といった連中にとって、彼らが集めた話の断片がどうまとめられ、どこに伝わり、どう使われるのかは、一切関わりのないことだし関心もない。行く先々で仕入れた話を伝えればそれでおわり。あとはきれいに忘れてしまう。忘れるのも彼らの仕事だ。
しかし猿だけはちがう。松平の重臣たちが何を考え、何を迷っているか、領主の松平広忠にとってどんな選択肢があり、どの条件がどう変わればどう判断を変えるかといったことが透けて見える。御師たちが集まってくる膨大な情報を間違った角度から解釈しているなと感じたら、さりげなく修正したりもする。それはほとんど御師たち自身も気づかないほどさりげなく行われる。12歳の子供の言うことなので、最初のうちは御師たちの誰も本気にしなかったのだが、いつもあとから猿の正しいことが証明されるので、
「あいつは特別な能力を持っている」と言われるようになった。
猿の名前が日吉丸だったので、日枝山王神社の使いの猿などと冗談半分に悪口を言う御師もいた。猿の母は元々日枝山王社の巫女から蓄財してすあいと呼ばれる商売の中継ぎ業を始め、長者に成り上がったという噂があるからだ。天に住まう素戔嗚尊を祀る天王社の御師としては、その前から倭に住んでいた山王社に遅れをとるのは自尊心が許さない。しかし、猿もそのへんはよく心得ていて、日枝神社のことなどおくびにも出さず、津島天王社と織田弾正忠家のことを第一に考えて行動しているので、今では御師たちもかなり猿を信頼している。
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