|
やっと村上水軍博物館に到着。
けっこうでかい。
水軍の頭領なのか、こわそうな男の石像が二体、海を睨んで立っている。
鎧らしきものを着ているようなのだが、戦国武将のそれとちがってなんとなくバイキングっぽいのは、時代考証に基づいたものなのか、それとも水軍=海賊=バイキング的なイメージでまとめてみたのか……。
展示はたくさんの模型やもりだくさんの図表・イラストで、村上水軍の活動や風俗を紹介している。めずらしく撮影自由なので、資料としてたくさん写真を撮った。(著作権的なものがあるので、紹介はしませんが)
展示は戦国時代の村上水軍が中心。それ以前、藤原純友の乱が起きた頃、このあたりの海の民がどんな感じだったのかも知りたかったのだが、平安時代の資料がないのか、一切触れられていない。
平将門の乱が関東武士団の反乱で、のちの鎌倉幕府につづく動きとして重要であるのに対して、藤原純友の乱は西国で海戦に強い勢力が起こした反乱なのだが、どんな部族が主役で、のちにそれがどう変化していくのか、いまいち見えにくい。
大三島の大山祇神社で見た言い伝えにあるように、神武東征に象徴される、九州から大和を征服した民族の先払いとして、瀬戸内の四国からこのあたりに進出した部族があり、それが鎌倉時代の蒙古襲来で活躍した河野一族などにつながっているとすれば、歴史的にとても興味深いものがあるのだが。
博物館の最上階は、さっき渡ってきた伯方・大島大橋や、村上水軍の一大拠点だった能島(のじま)が見渡せる造りになっている。床には瀬戸内海の航空写真。
写真で俯瞰してみると、あらためてしまなみ海道を形成する島々が、尾道から四国・今治までの瀬戸内海をほぼびっしりふさいでいるのがわかる。これだけ島々がかたまっていれば、あいだを通る水道さえおさえれば、海上交通を支配できる。
検問所を設け、通行税を取って稼げるし、逆らうやつは武力で船ごと沈めてしまえる。
バイキング的に海外に出かけていって略奪する海賊ではなく、自分たちの領土・領海を支配して、海上交通・交易から利益を得ていたわけで、その意味では、海賊と言うより地方豪族と呼ぶべきなのだろう。
|