イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

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山道をさらに歩いて、鬼ノ城の復元された防壁の下に出た。

アイヌ〜北米先住民的センスの城門をくぐって敷地内に入る。



どんなすごい要塞が再現されているかと思いきや、

中はただの山というか山上の空き地。

まだ発掘途中なのか、復元工事の途中ということなのか、

石が無造作に積まれていたりする。



博物館で見たジオラマを思い出してみると、

この広大な空き地全体が城砦ということらしい。



南の平野がはるか遠くまで見下ろせるので、

山城としてはいい立地なのだろうが、

唐・新羅連合軍が朝鮮半島・中国大陸から攻めてきたときの

防衛のために築かれたとしたら、

効果はどうなんだろう?



こんな山の上に立てこもっても、敵が山城なんか無視して、

平野の海際を通過したらなんにもならないんじゃないか?



まあ、敵が通過したタイミングで平野に降りてうしろから攻撃すればいいのか……。

攻撃しなくても、補給路を断つことはできる。



中国・四国地方にこうした山城が点々と築かれているから、

補給路を確保しようとすれば、

敵はいくら大軍でも北九州から山陽道すべてに兵力を配置しなければならなくなる。



そうなってはまずいから、

こんな山の中の城砦でも攻略しなければならないわけだ。



しかし、敵があっさり船で瀬戸内海を通過し、

浪速から大和へ攻め込んだらどうだろう?



実際に唐・新羅の連合軍が日本に攻め込み、

大和を制圧した記録はないが、

その後の歴史を見ると、

白村江の戦いから9年後に壬申の乱が起こり、

唐の影響下にある勢力が権力を握っている。



663年に白村江参戦を指揮した中大兄皇子は、

敗戦の4年後の667年、大和(奈良)から近江へ宮殿を移し、

翌668年、天智天皇になる。



しかし、3年後の671年に天智が没すると、

672年、壬申の乱が起こり、

天智の弟といわれる大海人皇子が天智の子・大友皇子を破って天武天皇になる。



天武は天智の弟だし、その妃(のちの持統天皇)は天智の娘だから、

たんなる宮廷内の親族争いのように見えるが、

その後、藤原京・平城京の建設、大寺院の建立、

唐の制度を取り入れた政治の開始など、

当時のグローバリゼーションが急速に進んだことを考えると、

壬申の乱はグローバル派とアンチグローバル派の、

国家運営をめぐる戦いだったと見ることができる。



そう考えると、この鬼ノ城をはじめとする北九州〜瀬戸内海沿岸の防衛施設は、

敗者の軍事拠点ということになるのだ。


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