鬼退治についてなおもあれこれ考えながら鬼ノ城をあとにした。
さっき自転車をガードレールにチェーンで固定したところまで、急坂を歩いて下り、
今度は自転車に乗って一気に山を下る。
1時間近くかかった登りが下りは数分。
つくづく重力というのはすごいなと感じる。
平地に戻ってまっすぐ道路を南下すると、
右手に大きな古墳が見えた。
地図によると、これは日本で9番目、岡山で2番目に大きい作山古墳。
このあたりは日本でも有数の古墳密集地域だ。
近くには日本で4番目に大きい造山古墳というのもある。
4〜5世紀の古墳時代に、
大和王権に対抗するような王権がこの吉備の国にあったという説と、
大和によって吉備が平定されてから、
大和王権によって築かれたという説があるとのこと。
どっちにしても、吉備は大和王権によって征服されたと見られるのだが、
その征服は、時系列的にいうと、
白村江の戦い〜壬申の乱があった7世紀より数百年前のことだ。
とすると、このときの征服は、
「鬼退治」伝説を生まなかっただろうか?
ここにもうひとつの大きな謎がある。
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