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それから夜中まで大騒ぎが続いた。警察の人間が何十人も来た。ぼくらは遠山恵の家で刑事の事情聴取を受けた。特にコットンキャンディマンはしつこくいろんなことをきかれた。最後に遠山恵を見たのは彼だったし、チョコレート色に日焼けした顔やメキシコ人じみた顔、馬鹿でかくふくらましたアフロヘアが、警察に何となく胡散臭い印象を与えたからだ。遠山夫人は反狂乱だった。ぼくやミチコに向かって、
「訴えてやる」といきまいたり、床に坐り込んで泣きわめいたりした。彼女は娘の姿を見てすっかり取り乱してしまったのだ。死体は遠山恵かどうかわかるような状態じゃなかった。血だらけの骨がグシャグシャとかたまってるだけの代物だったからだ。検死官たちがちゃんと死体専用の袋に詰めて運び出さなければ、うっかり犬と一緒に大鍋に入れてスープをとってしまいそうだった。
ぼくらがすっかり意気消沈していたので、母がヒッピーたちや近所のおばさんたちを集めて夕食を作ってくれた。アメリカ兵の拳銃で殺されたとんでもない数の犬は全部桃畑に運び込まれていた。そのうちの十数匹を使ってその夜の食事が作られた。犬のカツレツ、犬のシチュー、犬の蒸し肉、犬のステーキ、犬の唐揚げ、犬の臓物の煮込み⋯⋯。残りはハムやベーコンやソーセージや干肉にした。犬の干肉はけっこういける。特にプードルとかダックスフントとか、小型の犬がうまい。ドッグジャーキー。ぼくらはそう呼んでいた。山にハイキングに行くときはそいつをどっさり持っていったし、釣りの餌に困ったときはそれを針につけると鯰や牛蛙がたくさんとれた。
ぼくらは元気がなかったが、腹がひどく減っていたのでふだんの倍は食べた。腹がふくれると、ようやく気持が落ち着いてきたので、焚火を囲んでみんなで話をしたり歌をうたったりした。遠山恵の思い出話もした。彼女とはみんなあまり親しくなかったし、いい思い出も少なかったが、それでもなんとか彼女のいいところを思い出して話そうとした。ぼくはマリコとスーパーマーケットに下着を買いに行ったときのことを話した。遠山恵はわりといやな女の子だったが、最近はかなりよくなっていた。特にコットンキャンディマンとつきあいだしてからは。ぼくは最後に彼女を見たときのことも話した。彼女は森の中でコットンキャンディマンとキスしていた。彼らはわりと真剣に愛し合ってたんだと思う。それはちょっとした救いのような気がした。もし彼女が犬の群れに食べられてしまう前にコットンキャンディマンと一度でもセックスしたのだとしたら、それはかなりの救いになるような気がした。
「ぼくは言ってやったんだ、シスターに言い付けてやるってね」とぼくはみんなに話した。「それまでぼくはさんざん彼女に告げ口されてひどいめにあってたからさ。そのとき彼女は『しょうがないわね』と言って笑った。それは今までと全然違う彼女だったんだ。彼女はすっかり変わってた。もう人のあら探しをしたり告げ口したりする女の子じゃなかった。すごく優しくなってたんだ。彼女が生きてたらきっと仲よくなれたと思うよ」
女の子たちは泣いていた。遠山恵のことをよく知らない子も、その日森に行かなかった子も、みんな彼女のために泣いていた。女の子たちは泣いたり笑ったりしやすい年ごろだったし、一九六八年には泣くことはちっとも恥ずかしいことじゃなかった。
ぼくらは彼女のためにうたった。歌はほとんどがフォークソングだった。『五〇〇マイル』とか『風に吹かれて』とか『ウィー・シャル・オーバーカム』とか。それからコットンキャンディマンと彼のバンドがジミ・ヘンドリックスの『紫の煙』とか『レッド・ハウス』をやりだした。コットンキャンディマンがジミ・ヘンドリックスそっくりの声でうたい、ジミ・ヘンドリックスそっくりのスタイルでギターを弾いた。つまり歯でひいたり、左手で弦を思い切りチョークしたりギターをアンプのスピーカーに近づけてハウリングさせたりといった弾き方だ。一九六八年にはたいしたイフェクターはなかったが、コットンキャンディマンはジミ・ヘンドリックスの工夫をそっくりまねして、実にいろんな音を出していた。
一九六八年にはジミ・ヘンドリックスはまだ生きていた。彼が死ぬのは一九七〇年のことだ。彼はまだ有名になり始めたばかりだった。日本ではほとんど知られていなかった。彼はまだマーチン・ルーサー・キング牧師のためにうたったりはしていなかった。ロンドンでデビューしたばかりの、麻薬と愛についてうたうおそろしく不健康なミュージシャンという感じだった。それでもぼくらはコットンキャンディマンが演奏するジミ・ヘンドリックスの曲が大好きだった。女の子たちは彼のギターに乗って踊るのが好きだった。みんなでフォークソングをうたったすぐあとに、ジミ・ヘンドリックスの曲で踊ることは少しも不自然じゃなかった。フォークソングとロックはちゃんと共存していたビートルズは『ヘルタースケルター』や『バック・イン・ザUSSR』が入ってるLPに『マザー・ネイチャーズ・サン』や『ジュリア』や『アイ・ウィル』といった曲を入れていたし、一九六九年のウッドストック・コンサートではジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスと同じステージでジョーン・バエズもうたったのだ。
みんなが焚火を囲んで踊っている間、ミチコは草の上でリッキーの胸にもたれて泣いていた。彼女は責任を感じていたのだ。
「遠山恵が死んだのはわたしのせいなのよ」と彼女は言った。
「そんなことはないよ」とリッキーが言った。
「わたしが犬を食べようなんて言い出さなければ、みんな犬を食べなかったし、犬を食べなければ、うちの女の子たちに森で犬狩りをさせたりしなかっただろうし、わたしが犬を食べようなんて言わなければ、ビッキーも食べられずにすんだだろうし、そうしたら彼女は森にビッキーの代わりのスピッツを探しに行ったりしなかったはずなのよ」
「きみは混乱してるよ」リッキーは優しくミチコの髪を撫でながら言った。「女の子たちを森にやったのはきみの責任だけど、彼女たちはちゃんと無事に帰ってきたじゃないか。遠山恵が死んだのはきみと何の関係もないよ」
彼女はバスケットボール部のユニフォームを着ていたが、完全に女の子だった。リッキーはいつも通り帽子とチョッキとブーツしか身に着けていなかった。彼女が彼の裸の脚に挟まれて抱かれている図はなんとなく変だったが、彼はいつもと変わらない静かで優しい眼をしていた。
ぼくの隣に坐っているマリコが彼女をじっと見つめていた。膝を腕で抱えて、膝小僧に顎を乗せ、何も言わずに火とそのむこうのミチコを見つめていた。ぼくは彼女の肩を抱いていた。彼女はいやがらなかったがぼくにもたれかかってきたりはしなかった。
「キャンプが終わっちゃうって知ってた?」と彼女が言った。
「どうして?」とぼくが言った。
「バスケットボール部のキャンプは明日で終わりなのよ」
「どうして?」
「頭が痛いよ」とコットンキャンディマンがマイクに向かって言った。
彼は突然演奏を止めてしまい、フラフラと草の上に坐った。ホワイト・ラムを壜から直接飲み、マリワナを一服吸うと少し落ち着いたみたいだったが、もう一度演奏をやろうとはしなかった。
「悪いな、みんな」と彼は言い、自分のテントのほうへ歩きだした。「頭が痛いんだ。今夜はお先に失礼するよ」
「わたしたちのキャンプは明日で終わりよ」突然ミチコがみんなに言った。コットンキャンディマンの演奏が急に終わってしまって、死後の世界みたいな静けさがあたりを浸していた。少女たちだけでなく、ヒッピーたちもミチコを見た。彼女は自然に人の注意を惹きつけてしまうところがあった。「さっきシスターたちに呼ばれてキャンプを中止するように言われたの」
「そんなのあんまりだわ」と誰かが言った。
「野犬をとるなっていうならわかるけど、キャンプまで止めろっていうのは行き過ぎよ」
「違うのよ」ミチコはちょっと笑った。「次が待ってるの。ソフトボール部とサッカー部
とバレーボール部もキャンプをやりたいって言ってるの。わたしたちだけがここを占領してるわけにはいかなくなったのよ」
一瞬、桃畑全体がザワザワと音を立てた。ぼくらのまわりにはヒッピーたちや近所の家の人たちがいた。彼らも一緒に犬料理の夜食を食べ、コットンキャンディマンの演奏を聴いていたのだ。
「びっくりしたなあ」とヒッピーの一人が言った。「おれたち尼さんに追い出されるのかと思ったよ」
「女の子の数がふえてきたらそれもありうるぜ」と別のヒッピーが言った。
「残念だわ」と近所のおばさんの一人が呟いた。それはもしかしたらぼくの母だったかもしれない。「せっかく仲よくなれたのに」
ミチコはリッキーから離れて少し火のそばに寄った。草の上に膝をついて短い髪をかきあげながら、まわりを眩しそうに見回した。「みなさん、ほんとにありがとう」と彼女は言った。「短い間だったけど、こんなに楽しい合宿は初めてでした。ほんとにありがとう
」彼女は完全に女の子だった。聖書女学院で一番美人の女の子だった。仕草も話し方も完全に聖書女学院のお嬢さんだった。彼女は美しさだけでも大人たちの心を動かすことができた。
「またいらっしゃいよ」と近所のおばさんが言った。振り向くと、それはぼくの母だった。「わたしたちもけっこう楽しかったわ。だからまた順番を待って、もう一度いらっしゃいよ」
「ありがとう」とミチコは言った。彼女は泣いていた。
みんな黙り込んでしまって、火だけがバチバチ燃えていた。まるでみんなで自殺しようと決めたみたいな静かさだった。女の子たちはもう誰もいやだとはいわなかった。ミチコがみんなで死のうと言いだしても、やっぱり誰も反対しなかっただろう。彼女には人を動かす力があった。女の子たちは何が正しいのか、何をすべきなのか考えるということをしなかった。そういうことはすべてミチコが一人でやっていたのだ。彼女が命令しなければ、みんな朝までそのままでいただろう。ぼくらは完全に凍りついてしまっていた。
「さあ、みんな寝るのよ」と彼女はバスケットボール部員に命令した。
それでおしまいだった。みんな二三人ずつ火のそばを離れてテントに戻っていった。誰も逆らわなかった。それから彼女はぼくらの外を取り囲んでいた近所の人たちにもう一度「ありがとう」と言った。それは「さよなら」に近い「ありがとう」だった。彼らも彼女にそう言われておとなしくそれぞれの家に帰っていった。その中にはぼくの両親や兄もいた。母は笑いながらぼくに小さく手を振って、闇の中に戻っていった。
最後にミチコとリッキーとマリコとぼくが残った。ミチコとマリコのテントは火のすぐそばにあった。リッキーのテントは桃畑の奥だった。彼はゆっくり立ち上がり、いつものようにおちんちんをブラブラさせながら歩きだした。
「どこに行くの?」とミチコがきいた。
「我が家に帰るのさ」と彼が答えた。
「ジェーンはいないわよ」
「知ってる」
ジェーンはジャネットを連れて行ってしまった。それをミチコに教えたのはぼくだった。ジェーンはその日の午後、ぼくが女の子たちと犬狩りに出掛ける前にジャネットを抱いてやってきたのだ。彼女は西部劇に出てくるようなスエードのスーツを着ていた。『アニーよ銃をとれ』といった感じのスタイルだった。背中には布製の大きなリュックサックを背負っていた。彼女が服を着ているところを見るのは初めてだった。
「行くわよ」と彼女はぶっきらぼうに言った。「あのキンタマ野郎は釣りに行ったわ。会ったら言っといてちょうだい。わたしは行っちゃったって」
「どこに?」とぼくはきいた。
「それを教えたら、行っちゃうことにならないでしょ」彼女はくすっと笑った。前歯が唇から大きくせり出した。彼女はけっこう出っ歯だった。いつも縁なし眼鏡をかけて、険しい表情をしていた。そのせいでぼくは彼女のことをかなり歳のおばさんだと思い込んでいたのだが、そのときの彼女はわりと若く見えた。ひょっとしたらまだ二十代の前半だったのかもしれない。
「アメリカに帰るのよ」彼女はぽつんと言った。
「アメリカに帰る」とぼくは馬鹿みたいに繰り返して呟いた。「飛行機で?」
「泳いで帰るわけにいかないでしょ」ジェーンはまた笑った。それからオクラホマ州とアーカンソー州に親が油田と牧場を持っていること、兄がロサンゼルスで出版社を経営していて、そこから最初の詩集を出す話が進んでいることなどを話してくれた。つまり彼女はわりといいとこのお嬢さんだったのだ。
「なかなかでしょ?」と彼女は言った。
「なかなかだね」とぼくは言った。
「さよなら」と彼女は言った。
「さよなら」とぼくも言った。
ぼくはその話をリッキーにする暇がなくて、夕方桃畑で会ったミチコに話しただけだっ
た。でもリッキーはジェーンが何をしようとしてるのか、とっくに勘づいていた。そうい
う予知能力に関しては、へら鹿なみだった。
「どうするの?」とミチコが自分のテントに戻っていくリッキーに言った。
「どうもしないさ」とリッキーが言った。
それは嘘だった。
明け方目を覚ますとマリコがぼくのシュラフに潜り込もうとしてるところだった。
「どうしたの?」ぼくはまだ半分眠りながら言った。
「彼女がいないの」
マリコのからだは冷えきっていた。おまけにかなり濡れていた。ぼくは手ざわりがいいので、しばらく何も考えずに彼女の背中を撫でていたが、急に彼女が何も着てないことに気づいて手を止めた。
「どうしたの?」ぼくは狭いシュラフの中で彼女から離れようともがいた。「どうして裸なんだ?」
「パンツはいてるわよ」彼女はちょっと笑った。「あのとき一緒に買いに行ったやつ」
「どうして濡れてるの?」
「明け方雨が降ったの。草が濡れてるのよ」
マリコの頬っぺたに草がこびりついていた。ぼくはそれをとってやった。テントの中で兄が何か寝ごとを言った。ぼくらは顔をくっつけ合って彼のシュラフのほうを見た。すごく楽しそうな顔で笑っていた。きっとまた江戸時代の遊廓かどこかで女とうまいことやってる夢でも見てたんだろう。
「リッキーと一緒だよ、きっと」とぼくはマリコに言った。
「リッキーもいなかったわ」と彼女は言った。
「散歩かもしれないよ、いつかみたいに」とぼく。
「ずいぶん探したんだけど、どこにもいなかったわ」とマリコ。
「ちょっと遠出したのかもしれないよ」とぼく。
「そうかもしれないわね」とマリコ。
でも散歩じゃなかった。
その日一日待っても、彼らは戻ってこなかった。何日たっても現れなかった。彼らは姿を消してしまったのだ。一緒にどこかへ行ったという証拠はない。リッキーがいなくなり、ミチコがいなくなったというだけのことだ。リッキーのことは誰も探さなかったが、ミチコのことは家族が警察と探偵社を使ってそこら中探した。でも彼女は出てこなかった。
ぼくは彼らのことを考えた。どこかの農園か森でキャンプを張ってるところを。リッキーがおちんちんをブラブラさせながら釣りに出掛け、ミチコが素っ裸で赤ん坊を抱いてるところを。それ以外の彼らは考えられなかった。
予定通りバスケットボール部のキャンプは終わり、続いてサッカー部のキャンプが始まった。聖書女学院はその頃宝塚で唯一女子サッカー部のある学校だった。一九六八年には女子サッカー部は日本全国でもまだ数えるほどしかなかった。彼女たちはバスケットボール部ほどかわいくなかったが、それでも近所のおばさんたちは同じように世話をしてやった。彼女たちが野犬狩りをやらなくてもすむように、肉料理を作ってやったりもしていた。ヒッピーたちも相変わらずキヤンプを張っていた。人は絶えず入れ替わっていたが、テントの数も、やってることもあまり変わらなかった。彼らは魚を釣り、ときどき犬を捕まえ、マリワナを吸い、焚火で料理を作り、ギターを弾き、昼寝をし、ときには昼間からセックスした。ぼくは新しく来た連中とも適当に付き合っていたが、リッキーみたいに親しくなることはなかった。彼がいなくなってから、何かが決定的に変わったような感じだった。マリコは学校の帰りに現れて、母の料理を手伝った。ときにはノリコを連れて泊りにきたりもした。彼女は一見かなり陽気に見えた。ブラジル娘みたいな水着をつけてうちの池で水浴びをしたり、歌をうたったりしているのを見ていると、ミチコのことをすっかり忘れてしまったのではないかとさえ思えた。
しかしぼくらはミチコとリッキーの話だけはしなかった。言い出せるような雰囲気じゃなかった。マリコはどこか神経がピンと張りつめていて、その話題に触れたとたん、扇風機にひっかかった虫みたいにバラバラになってしまいそうな感じだった。
ビキニを着ると、彼女の胸は小さなブラからはみ出しそうになった。野犬の爪がおっぱいにつけた傷はかすかな跡になって残っていた。ほとんど見えないほどかすかな傷だったが、光の加減でくっきり浮き出して見えることがあった。それは張りつめている彼女の神経のようだった。
触れてはいけない話題はけっこうたくさんあった。
「あのときは楽しかったね」というのはだめ。
「また犬狩りをやりたいね」というのもだめだった。ミチコに必然的につながってしまうからだ。
「ジャネットにきみがおっぱいを飲ませようとしたとき⋯⋯」というのも、
「森の奥の池で釣りをしたとき⋯⋯」というのもだめだった。
やれやれ。
よく晴れた日曜日の午後にマリコは登山ナイフで手首を切った。ぼくがちょっと目を離してる隙に。ノリコの泣き叫ぶ声がしたので振り返ると、マリコが池の中で震えながら立っていた。ブラジル風のビキニを着て、登山ナイフを右手に持ち、左手をちょっと持ち上げるようにしてぼくのほうを見ていた。
「心配しないで」と彼女は言った。「わたしは平気よ」
手首から血が細い糸を引くみたいに流れ落ちて、緑の水に赤い模様を広げていた。
そのときは庭に家族全員揃っていた。ぼくらは池に飛び込んで彼女を引っ張り上げた。
傷はそんなに深くなかった。血はすぐに止まった。
「ごめんなさい」と彼女は母に言った。「池を汚しちゃって」
「ううん。わりときれいな色だったわ」と母が慰めを言った。
「江戸時代の染め物には数百種類の赤があったんだ」と兄が言った。「昔から赤は無数と言っていいほどある。血の赤、空の赤、楓の赤、ざくろの花の赤、南天の実の赤、くちなしの実からとれる汁の赤⋯⋯」
「ランボーは母音に色をつけたんだ」と父が言った。「それによると赤はIだった。Iは溢れ出る血の赤。怒りの中で、あるいは苦い酔いの中で美しい唇に浮かぶ笑い⋯⋯」
一九六八年には誰もがランボーを暗唱していた。小さな銀行で重役をしていた父も例外じゃなかった。彼は日曜日の夕暮れに草の上で息子たちにランボーやボードレールやマラルメやアポリネールの詩を朗読して聴かせるのが好きだった。
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真夏がやってくる前にコットンキャンディマンが死んだ。遠山恵が死んでから、彼はずっと「頭が痛いよ、ベイビー」と言い続けていたが、ある日急に草の上に突っ伏して死んでしまったのだ。解剖してみると、彼の頭蓋骨の中から小さなクモがたくさん出てきた。
彼自慢のアフロヘアの中にクモがいつのまにか巣を作っていたらしい。彼は綿飴みたいにきれいにふくらませた髪をヘア・スプレーでガチガチに固めていたから、クモが中に巣を作っていることに気づかなかったのだ。ぼくらは彼がずっと髪を洗おうとしないことにちょっと不安を感じることがあった。彼は毎日農園の水道のホースでからだを洗っていたが、頭にはただ上から水をかけるだけだった。シャンプーも使わなければ、髪をゴシゴシ洗うこともしなかった。
「あいつはきっと頭の皮に一杯あせもができてるぜ」とヒッピー仲間は言っていた。でもまさかクモが巣を作って頭皮を食い破ってるとは思わなかった。
一番の謎はどうしてそんなになるまで我慢できたのかということだった。それから、どうして血が一滴も出なかったのかというのも不思議だった。これは医者にもうまく説明できなかった。
「まあ、考えられるのは」と医者は苦笑いしながら言った。「クモがちょっとずつ食っていったので、大きな傷が開かなかったということでしょうなあ」
「なるほど」とぼくらは言った。
医者もぼくらも全然納得してなかったが、とりあえずの説明がほしかったのだ。
ぼくらは農園でコットンキャンディマンの葬式をやろうとしたが、彼の家族というのがどこからともなく現れて、病院の死体解剖室から彼の遺体を持っていってしまった。
ぼくらにとってショックだったのは、コットンキャンディマンが本名を水野良夫という日本人で、両親が大阪の住吉区で電器屋をやってるということだった。彼は大阪経済大学を中退していた。歳は二十一才だった。ぼくはなんとなくだまされたような気がした。別に彼のことを本物の黒人だとは思っていなかったが、少なくともポリネシアのどこかから来たとか、沖縄生まれのハーフだとか、そういうたぐいの、ちょっと不思議な男であってほしかったのだ。
葬式は電器屋の店を片付けて行われた。すごく暑い日だった。ありきたりの葬儀屋が用意した、ごく普通の葬式だった。黒と白の太い縞模様の幕、白い布で覆われた壇、金メッキの飾りに白いローソク、白い菊の花、まだ普通の髪をして笑っているコットンキャンディマンの写真、線香の臭い、坊主のお経と木魚の音。ヒッピーたちが好きだったシタールの演奏も、甘い匂いのする乳香の煙もなかった。もちろんジミ・ヘンドリックスのレコードもかけられなかった。
ぼくはマリコと数人のバスケットボール部員たちと学校の制服を着て焼香に行った。ヒッピーたちが受付係をやっていた。男は黒っぽい上着に黒いジーパン、女は黒のワンピースかスーツに真珠のネックレスかカメオのブローチをしていた。みんな見事に日本人だった。アメリカ人やオーストラリア人のヒッピーたちは一人も来ていなかった。友達だったはずのベトナムからの脱走兵も。
ぼくはヒッピーたちと顔を見合わせてニヤニヤ笑った。なんとなく自分に似つかわしくない格好をしていたからだ。いや、むしろ逆だ。その日の服装がぼくらの正体だった。ふだんのぼくら、桃畑のぼくらはちょっとした仮装パーティーをやっていただけだった。そのことが明らかになって、ぼくらはお互いにちょっと照れ臭かったのだ。
「笑っちゃうね」とヒッピーの一人が言った。
「うん」とぼくは言った。
マリコと女の子たちはハンカチを眼に当てて泣いていた。
女の子は泣くのが好きだ。
彼女たちは遠山恵の葬式のときも泣いていた。ぼくが無表情だったと言って彼女たちはぼくのことを白い眼で見た。しかし、葬式が終わると彼女たちはすぐにユニフォームに着替え、桃畑でキャーキャー騒ぎながらバスケットボールの練習をやった。そして夕方になると、それぞれ自分の家に帰っていった。別れ際にはみんな笑いながら手を振っていた。その日はキャンプの最終日だったのだ。そしてリッキーとミチコが消えてしまった日でもあった。いろんなことがあったわりには、ずいぶんあっけない終わり方だった。ぼくはその晩、食事が喉を通らなかった。この世から一番大事なものが消えてしまったような気分だった。
「こういうのって、フェアじゃないよ」とぼくは言った。
「あら、そう?」と母が言った。
マリコは次の日、何もなかったように遊びに来た。ミチコがいなくなったことをまだ知らないみたいに、あどけない顔で笑っていた。
「やあ、調子はどうだい?」とぼくはきいた。
「まあまあよ」と彼女は言った。そして天使みたいな顔で笑った。
女の子は笑うのがうまい。心のそこに何を隠していても同じように笑う。そして笑いながら手首を切って見せたりするのだ。彼女がブルーのビキニを着て、池の中で手首を切ったのはそれから数日後だった。
女の子は悲しみを表現するのがうまい。
マリコは手首を切った後も、何もなかったように笑いながら、毎日ぼくの家に遊びに来た。彼女の笑顔は赤ん坊のジャネットの笑顔に似てきた。それはあんまり無邪気すぎてぼくの胸を締めつけるほどだった。
そして、それから数日後にコットンキャンディマンの死がやってきた。
「あなた、また涼しい顔してる」葬式の席でマリコがぼくに言った。
彼女はきれいな顔で泣いていて、ぼくは泣いていなかった。
「冷たい」とバスケットボール部の女の子たちが言った。
「やれやれ」とぼくは言った。
日本人に戻ったヒッピーたちも、コットンキャンディマンの家族と一緒に泣いていた。
ぼくはマリコと手をつないでコットンキャンディマンの葬式から戻った。土曜日の暑い
午後で、ぼくは汗だくだった。ぼくらは水着に着替え、庭でホースの水をかけあった。そ
れから芝生の上に寝そべってからだを焼いた。
「練習に行かなくちゃ」マリコがぼくのほうを見ながら言った。
「休んじゃえばいいのに」とぼくは言った。
「だめよ」と彼女は言った。「叱られるわ」
ぼくらは顔を上げて桃畑を眺めた。いつものようにヒッピーたちが草の上に坐ったり寝転んだりしていた。その手前でサッカー部の女の子たちが腹筋をやっていた。マリコのクラスメイトなのだろう、女の子が一人、腹筋をやりながらこっちに手を振った。マリコも手を振って応えた。するとほかの女の子たちも彼女に手を振った。ミチコがいなくなった今、マリコは聖書女学院で一番可愛い女の子の一人だった。彼女は学校中の女の子に人気があった。
「お願いだから行かないでくれよ」とぼくは言った。
「じゃあ、あと少しいるわ」とマリコは言った。
「お願いだからどこにも行かないでくれよ」とぼく。「みんないなくなっちゃったんだ。
きみまでいなくなったらぼくは生きてけないよ」
「あなた、何言ってるの?」マリコは顔を上げてぼくを見た。
リッキーはもういなかった。ミチコもいなかった。マリコがぐずぐずと練習をサボッていられるのは、ミチコがいないからだった。彼女にとってこわい上級生はミチコしかいなかった。というより、ミチコの顔を見るために彼女は練習に出ていたのだ。
「今度はいつキャンプをやるの?」とぼくはマリコにきいた。
「さあ。とにかく夏まではだめなんじゃないかしら」と彼女。「予約が一杯なのよ。もしかしたら、今年は順番が回ってこないかもしれないって先輩が言ってたわ」
「来年か⋯⋯」とぼくは呟いた。「来年の春になったら一の宮もリッキーも帰ってくるか
な?」
「帰ってくるといいわね」
ぼくらはキャンプが永遠に続くものと思い込んでいたのだ。子供はあまりにも早く習慣を身につける。その年の春に突然始まったヒッピーたちと近所の住人と少女たちのキャンプが、真夏を前にしてもう永続性を持った習慣みたいに思えたのだ。ぼくだけでなく、マリコも、仲間の女の子も、ヒッピーたちも、うちの家族も、みんながそう思っていた。
なぜだろう?
ぼくらは間違っていた。
秋になって冷たい風が吹き始めると、突然ヒッピーたちはどこかへ行ってしまった。聖書女学院の運動部もキャンプをやらなくなった。テント生活はやはり夏のもので、寒い季節には向いていなかったのだ。
ぼくはヒッピーたちが消えた日を覚えている。十月二十一日の月曜日だ。多少とも当時のことを知ってる人間なら、ヒッピーたちがいつ、どんな風に消えていったか、誰でも正確に覚えているはずだ。彼らは十月八日に何の前触れもなく三分の一くらいがごそっといなくなった。それからさらに少しずつ減っていき、二十日までに半分くらいになっていたのだが、二十一日になって突然一人もいなくなってしまった。それはなんとなく渡り鳥の出発に似ていた。だからよけいに彼らがまた来年の春に戻ってくるような気がしたのだ。
ぼくは間違っていた。
ヒッピーたちは二度と戻ってこなかったし、聖書女学院のキャンプも二度と行われなかった。一九六九年になると、もう誰もキャンプのことを覚えていなかった。近所の人も、聖書女学院の女の子たちも。ぼくはマリコとあまり会わなくなり、ついには全然会わなくなった。道でたまに出会っても、声もかけなければ眼で挨拶したりもしなかった。高校生になって、ぼくらは全然別の人間になってしまったのだ。何がどう変わったのかはよくわからない。とにかくいろんなことが全部変わってしまったのだ。男の子と立ち話をしてはいけないという、聖書女学院のよそよそしい不文律がまた実行されだしていた。それがよけいにぼくらを疎遠にした。
ヒッピーたちは忽然と姿を消してしまった。ニホンオオカミのように。あるいは、ぼくの兄の言い方を借りれば東洲斎写楽のように。外国に行ってしまった連中もいたらしいが、ほとんどは一般人に戻って都市に溶け込んでしまったのだ。アメリカのヒッピー・ムーブメントは何年もかかってゆっくり広がり、また何年もかかって衰退していったのだが、日本のそれは一九六八年の春に突然燃え上がり、その年の秋に突然消えてしまった。一部のヒッピーたちのなれの果てが悪魔を拝んだり、女の子を殺して、人肉を食べたりしたがほとんどのヒッピーたちは都市に流れ込んで広告代理店の課長になったり、テレビ局のディレクターになったり、喫茶店のマスターになったりした。
アメリカに帰ったジェーンが詩集を出したのかどうかはわからない。でも、日本で紹介されて話題になるほど有名な詩人にならなかったことは確かだ。彼女の姿は一九七五年に日本で翻訳が出たリッキーの第一詩集の表紙で見ることができる。その写真はまだリッキーとジェーンが日本に来る前のものだ。リッキーは口ヒゲを生やし、帽子を被り、チョッキにブーツにコートといういでたちだ。いや、それだけじゃない。ちゃんとチョッキの下にシャツを着て、ジーパンもはいている。ジェーンも縁なし眼鏡は変わらないが、ベルベットの上着に白っぽいロングスカート、首にはたくさんのネックレスと、けっこうお洒落ないでたちをしている。一九七五年にぼくは大学生だったが、この写真を見たときは思わず泣いてしまった。それは死後の世界から届いた頼りのようなものだった。すでに毀れてしまったもの、ぼくが最初に出会ったときから崩れてしまっていたものが、そこでは眩しい輝きと共に記録されていた。どうしてこの写真を撮ったときの彼らに会えなかったんだろう、とぼくは何度も考えた。
あのとき桃畑にキャンプを張っていた人たちの中では、リッキーだけがかなり後までの人生を辿ることができる。彼はすっかり有名な詩人兼小説家になってしまったからだ。雑誌のインタビューやテレビのクイズ番組に出てくるタイプの作家ではなかったけれど、彼の作品はアメリカで発表されるたびに、何か月か遅れで翻訳が出ていた。彼の新作には彼のその後の生活が反映されていたから、ぼくは彼がどんな生活をしているのか、わりと正確に知ることができた。
それらの作品によると、彼は日本人の女と一緒にアメリカと日本を行ったり来たりしながら暮らしていた。金が入ってきたせいか、もうテント暮らしはしていなかった。彼と恋人はまともな家に住んでいた。その女がミチコなのかどうかはわからない。彼は二度と本の表紙にその手の写真を使わせなかった。少なくとも作品に出てくる日本女性からはミチコらしいところは感じられなかった。
それからしばらくするとリッキーは日本人の恋人と別れてしまったという小説を書いた。作品の中では女のほうが彼にうんざりして出ていってしまったのだというふうに書かれていた。作品の中の彼はその女のことを未練たらしく思い出していた。女々しく、うじうじと。
それから彼はまたたくさんの本を書いた。どれもこれもあまり面白くなかった。初期の作品のいいところがまるでなくなっていた。イマジネーションがすっかりだらけていた。ぼくはあまり彼の作品を読まなくなってしまった。
彼は一九八四年に拳銃自殺した。そう新聞に出ていた。かわいそうなリッキー、とぼくは思った。彼の作品を読まなくなっていたことさえも、彼に対してひどいことをしたみたいに思えた。彼はへら鹿みたいにでかくてタフに見えたが、実は森の中のリスみたいに小さくて弱々しかったのだ。ぼくは一九六八年にそのことを理解しているべきだった。子供だったというのは言い訳にならない。ぼくはリスみたいに孤立して震えているリッキーを何度となく目撃していたのだ。一九七五年以降、時代は彼にとってますますひどいものになってきていた。彼のような人間が生きていけないような世の中になってきていた。ぼくはそのことをもっとよく理解しておくべきだった。その頃ぼくはもう十五歳の子供じゃなかったのだから。それなのにぼくはただ彼をだめになった作家として見捨てていた。それは赦しがたいことだった。
かわいそうなリッキー。
「きみだけはどこにもいかないでくれよ」とぼくはまた言った。芝生の上に腹這いに寝て、腕の上に顎を乗せながら。頭の上で虻がブンブン言っていた。一九六八年の初夏のことだ。ぼくはまだ十四歳で、英文小説を書いていた。
「どこにも行かないわよ」とマリコが言った。彼女は笑っていた。透き通るような白い肌が日に焼けて赤くなっていた。彼女はブラジル娘のようなビキニを着ていて、大きなおっぱいと大きなお尻が水着からこぼれそうだった。ぼくらはまだヒッピーたちを眺めていた。キャンプ生活はまだ続いていた。
「ああ、なんていい気持なんだろう」とぼくは言った。
池の水が太陽の光を反射してぼくの顔を照らしていた。黄色い光がぼくの目の前に溢れていた。
「わたしはどこにも行かないわよ」とマリコが言った。
「ああ、なんていい気持なんだろう」とぼくはまた言った。「今日はなんていい気持なんだろう」
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