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八重山ミチコは『ヴォーグ』とか『エル』といった外国のファッション雑誌から抜け出してきたような女だった。バナナみたいに細いからだにいつもミニのワンピースを着て、黒いタイツをはいていた。短く切った髪は茶色に染めていた。一言で言えば彼女は長身のピーターパンみたいだった。
「初めまして」とぼくは言った。
「初めまして」と結城も言った。
「この部屋はわたしたちの両親が使ってたの」ミチコはソファからソファへ飛び移りながら言った。「戦争中のことよ」
一九六八年にはそんなふうに挨拶抜きで相手が予期しないことを言うのが流行だったのだ。
「そうか」とぼくは言った。
ぼくらは東翼のサンルームにいた。一九六七年の秋、八重山とここを訪れたぼくがよく昼寝をした部屋だ。ミチコはサンルームとその隣に続いている居間と寝室を使っていた。どの部屋もすっかりきれいになっていた。壁紙や天井の漆喰や床板が新しくなっただけでなく、部屋の隅々まで光が溢れていた。窓の外の眺めもまるで違っていた。黒ずんだ深い緑と褐色の枯れ葉に覆われていた山や谷が、菜の花の黄色と明るい黄緑に染まっていた。ところどころに桃の花も咲いていた。
ミチコはちょっと変な女だった。ぼくらと話そうともしないでソファからソファへバレエのステップやターンを繰り返しながら跳びはねていたかと思うと、急に八重山の手を取って、
「わたしたち、今こそやるべきだと思うのよ」と言ったりした。
最初ぼくは彼女が何を言ってるのかわからなかった。それがセックスのことらしいとわかったのは、彼女が八重山の股間に手を伸ばしておちんちんを掴もうとしたからだ。
「馬鹿」と八重山は言い、不愉快そうに彼女の手を払いのけた。
ぼくと結城は顔を見合わせて笑った。ミチコという女が想像していたのとまるで違っていたからだ。ぼくらは彼女の噂から、勝手な偶像を作り上げていた。つまり、両親を亡くして大学をやめ、弟の面倒を見ながら工場で働く、けなげで清楚な感じの、働き者のお姉さんを想像していたのだ。
実際の彼女はアメリカの富豪に甘やかされて育ったわがまま娘みたいだった。ぼくらと一緒にいるあいださえ、少しもじっとしていなかった。子供の頃からバレエを習っていたから、踊るのが癖になっていたのだ。彼女は東京でモデルのアルバイトをしたこともあった。雑誌に詩を発表したり、ロックバンドを作って歌ったり、イラストを描いたり、レコードのジャケットをデザインしたこともあった。つまり当時の流行のタイプだったのだ。
彼女は控えめということを知らない女だった。自分がやってきたことをきかれもしないのにペラペラ喋った。別にことさら自慢するわけではなかったが、とにかく自分のこと以外話そうとしなかった。
「ふうん」とぼくは彼女の話にちょっとうんざりしながら言った。
「そういうわけなのよ」と彼女は言った。すごくまじめな顔をしていた。
ミチコは絶えずガムを噛みながら煙草を吸っていた。昼間から酒を飲んでいることもあった。もちろんマリワナやLSDも。
「現代の正義はね」と彼女は長いつけ睫毛をバサバサ言わせながらぼくに言った。「決して止まらないことなのよ」
「ふうん」とぼくは言った。
「へえ」と結城が言った。
「嘘つけ」と八重山が言った。それからぼくたちに「こいつの言うことを信用しちゃいけないよ。ただのおっちょこちょいなんだ」と言った。
彼女はアクセサリーの鎖をチャラチャラ言わせながら、部屋の中をバレエのステップで回り続けた。
「ノイマンがこの屋敷を借りていたとき、わたしたちの両親はこのサンルームから神戸が焼け野原になっていくのを見ていたのよ」と彼女は言った。「真っ暗になった街にアメリカの爆撃機が丹念に爆弾を落としていって、まぶしいオレンジ色の火が広がって海と山と空を明るく照らすのを眺めながら長椅子に並んで座っていたの」
「ふうん」とぼく。
「父と母はそのとき絶対にセックスしなかったのよ」
「どうして?」
「夫婦じゃなかったからよ」ミチコは変に力を込めて言った。「素敵じゃない?」
「そうかなあ」
八重山の父と母は第二次世界大戦のとき、まだ夫婦じゃなくて弟と兄嫁だった。戦争の最中に兄つまり八重山の伯父に当たる男は病気で死んでしまったが、戦争が終わるまで彼らは結婚できなかった。
「母は最初の夫だった伯父と一度もセックスしなかったのよ」とミチコは言った。
「どうして?」とぼく。
「伯父は結婚する前から病気で寝ていたからよ」と彼女はまた力を込めて言った。「素敵じゃない?」
「そうかなあ」
「だからわたしと弟とはセックスする義務があるのよ」
「そうかなあ」
ぼくは春休みのあいだ何度もノイマン屋敷に遊びに行った。四月になって新しい学年が始まると毎日行くようになった。ミチコは変な女だったが、何度か会ってるうちにわりと楽しい話相手だということがわかったからだ。
「わたしたち気が合うわね」と彼女は言った。
「まあね」とぼくは言った。
ミチコはたいてい自分の続き部屋のどこかにいて、ステレオで音楽をかけながら化粧をしているか、バレエの稽古をしていた。一体いつ会社の仕事をしてるんだろうと不思議に思ったものだ。
「景気がいいのよ」とミチコは言った。「会社が儲かってるときの社長は暇なのよ」
東京オリンピックの後、景気はどんどんよくなっていた。車も電気製品も飛ぶように売れていた。八重山鉄工のネジやホイールもそれにつれて飛ぶように売れていた。
八重山はノイマン屋敷に住もうとはしなかった。東翼に一応自分の部屋とピアノを持っていたが、ミチコのかけるステレオの音がうるさかったし、絶えずいろんな人間が出入りしていて落ち着かなかったからだ。
彼はその頃ピアノのテクニックを極限まで突き詰めようとしていた。
「ピアノで完全な自由を表現したいんだ」と彼はぼくに言った。「でもメロディや和音がからみついてきて、ぼくの指を縛り付けようとするんだ」
「そんなものかな」とぼくは言った。
「音楽は時間との戦いなんだ。止まったらおしまいなのさ」
「きみのお姉さんもそんなことを言ってなかったかな」
「あいつは何にもわかってないんだよ」彼は不愉快そうな顔をした。
八重山は誰にも邪魔されない場所でピアノを弾かなければならないと感じていた。できれば完全に外の音を遮断した密室で。
「頭の中で弾いてるんじゃなかったの?」とぼくは言った。
「頭が破裂しそうなんだ」と彼は言った。
彼の坊主頭は確かに破裂しそうな感じだった。魚の腸みたいに白かった手術の傷がその頃はピンク色に充血していた。傷の柔らかい表面がピクピク脈を打っているのが見えた。
「少し休んだほうがいいと思うけどな」とぼくは言った。
「頭は冷やせば平気なんだ」と彼は言った。「ちょっと血が上ってるだけだからね」
ぼくらは谷底に降りて冷たい川の水で顔を洗った。八重山は頭を水の中に浸けた。水は手が痺れるくらい冷たかった。頭を水から上げると八重山の手術の傷は羊の脳味噌みたいに白くなっていた。
八重山は洞窟の中にピアノを置くことを思い付いた。誰もやってこない静かな場所だったからだ。ピアノは冷凍鹿のいる地下広場に置かれた。そこは春になっても相変わらず冷凍室のように寒かったが、八重山の指が凍えて動かなくなるといったことはなかった。
「指がすごく熱いんだ」と彼はぼくの頬っぺたに指をくっつけながら言った。彼の指は湯たんぽみたいに熱かった。たぶんピアノの弾きすぎだったんだろう。
冷凍鹿の前に置かれたのは小さなアップライトピアノだった。ミチコは浪費を何とも思わない女だったから、別にグランドピアノだって買ってくれただろうが、小さいピアノでないと洞窟に入らなかったのだ。
彼は好きなときに授業を抜け出して、誰にも邪魔されずにピアノを弾くことができた。ピアノの音は洞窟を通して反響し、庭園や学校のあちこちで聞こえたが、たいていはすごくかすかな音だったから、洞窟にピアノがあって、八重山が弾いてるのだということを知らない連中には、それがピアノの音だということさえわからなかった。
「カラスが鳴いてる」と言うやつがいた。
「いや、鹿だよ」と別のやつが言った。
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ノイマン屋敷には絶えずアーティストたちが出入りしていた。ほとんどそこに住んでると言ってもいいような連中もいた。一九六八年にはいたるところにアーティストがいた。若いやつらは誰もがアーティストになろうとしていた。
彼らとヒッピーの違いを説明するのは難しい。どちらも髪や髭を伸ばし、マリワナやその他の薬をやり、ベトナム戦争について話したからだ。インドの神に祈ったり、ヨガをやったりする連中がいること、シタールやダルシマやサントゥールを弾く連中がいることも共通していた。違いと言えばヒッピーたちが屋外、特に自然の中で寝起きするのを好むのに対して、アーティストは屋内、特に都会のビルやノイマン屋敷みたいに雰囲気のある洗練された昔の建物を好むことだった。
それからもうひとつ、作品を作るか作らないかというのもアーティストとヒッピーを見分ける大きなポイントだ。アーティストは道路に絵を描いたり、裸の女の子にペンキを塗ったり、空缶を溶接したりして思い思いの作品を作っていた。それに対してヒッピーたちの主な日課は川や池で釣りをしたり、焚き火で料理を作ったりすることだった。ぼくは宝塚の自宅のまわりにキャンプを張っているヒッピーたちとはつきあいがあったが、アーティストたちとはノイマン屋敷で初めて接したので、彼らのすることがとても新鮮に見えた。彼らのすることを見ていると、自分までがとても自由になったような気がした。
「どうしてきみも作品を作らないんだ?」とアーティストの一人が言った。彼はキャンバスに錆びた鉄板を貼り付けて色を塗るのが得意だった。「自分の手法を発明すれば誰でもアーティストになれるんだよ」
「ぼくにはどうやって手法を発明したらいいかわからないんだ」とぼくは言った。
「そんなの簡単さ。まだ誰もやってないことなんていくらでもあるじゃないか。山の木に穴をあけるとか、砂に色を付けて道路にまくとか⋯⋯」
「そうか」とぼくは言った。
「女の子とセックスするのが好きなら、それを作品にしてもいいじゃないか。街でそれをやれば立派な作品になるよ」
「ぼくは今のところ男の子のほうに興味があるんだ」とぼくは言った。ぼくの横には結城がいた。彼はぼくの手を力を込めて握っていた。
「そいつはすごい」とそのアーティストは目を輝かしながら言った。「男とやるってのはかなり話題になるぜ。アルパインに相談してみるといい。彼なら売り込み方まで考えてくれるよ」
「いや、いいよ」とぼくは後退りしながら言った。
「どうして?」アーティストは不思議そうな顔をした。「当たると思うけどなあ」
アルパインというのはその頃ノイマン屋敷に滞在していたアメリカ人のアーティストのことだ。彼はニューヨークで若いアーティストたちのアイドルだったし、日本でも一九六七年に個展をやってすっかり有名人になっていた。
アルパインは絵も描いたし、シルク印刷という謄写版みたいな手法も使ったが、一番得意なのは立体物だった。彫刻を彫るのではなく、石膏の型を作り、そこにプラスチックみたいなものを流し込んでオブジェを作り、表面に特殊な塗料で色をつけるのだ。彼の出世作はマルボロとキャメルの煙草の巨大な模型だった。シルク印刷によるジョン・F・ケネディの顔のシルエットというのもあった。『ボンジョルノ・ブルックリン』という、やたらと裸がたくさん出てくる映画も撮った。要するに何でも屋なのだ。
その春、最初にノイマン屋敷を訪ねたとき、ぼくは正面ロビーで数人の若いアーティストが馬鹿でかい謄写版みたいなシルク印刷器を使ってジェーン・フォンダの顔を印刷しているのを見た。その隣の客間にはケンタッキー・フライドチキンのシンボル、カーネル・サンダースの人形が何十体も並んでいた。最初ぼくはジークムント・コッホ神父がたくさんいるのかと思った。
「うわあ」とぼくは言った。「これも誰かの作品なの?」
「その中の一つは本物のカーネル・サンダース人形で、あとは全部アルパインの作品だよ」とそばにいた黒人の男が教えてくれた。
「見分けがつかないや」とぼく。
「うまくできてるからね」と黒人の男。
ぼくはそのときまだケンタッキー・フライドチキン自体を知らなかったから、カーネル・サンダースが何者で、カーネル・サンダース人形がどういうものなのか、まるで見当がつかなかった。たしかケンタッキー・フライドチキンが日本に上陸したのは一九七〇年、大阪で万国博覧会が開かれた年だった。あとで聞いたところによると、アルパインはケンタッキーの出身で、カーネル・サンダースは子供のときから彼のアイドルだったらしい。
しかし、ぼくが知っているのはカーネル・サンダースにそっくりのコッホ神父と、彼を模
して作られたはりぼての人形だけだった。一九六七年の秋に八重山と初めて出会ったとき、霧の中の校庭に並べられていたやつだ。もちろん、アルパイン作のカーネル・サンダースは張りぼてのコッホ神父なんかより数段精巧に作られていた。
「なるほど」とぼくは言った。
よくはわからなかったが、ぼくはそのとき初めて世界的に認められている芸術を直に見
たので、なんとなく感動していたのだ。
アルパインを初めて見たとき、ぼくは病人がノイマン屋敷にいるのかと思った。彼はサングラスをかけ、椅子に座ってぼんやりしていた。髪も眉毛も睫毛も真っ白で、顔は皺だらけだったから、二百歳の老人にも見えた。
ミチコがぼくを紹介してくれたのだが、アルパインはぼくが挨拶してもしばらく何が起こっているのかわからないといった感じでぼんやり窓の外を見ていた。そのあいだぼくは豚の脂身みたいに白く透き通った彼の上唇を眺めていた。
「コウベはいいね」二十分くらいたってから、彼はサングラスを外しながらぼくのほうを向いてそう言った。
「そうかな」とぼくは言った。
「まるで空から海を見てるみたいだ」とアルパインが言った。
確かにノイマン屋敷は神戸の街に張り出した尾根の上に建っていたから、眺めはすごくよかったが、ぼくにはなんだかアルパインがすごくつまらないことを言ってるみたいに思えた。
サングラスをとると、彼の目はきれいな淡いブルーだったが、インディアンの目みたいに小さくて、おまけにちょっとやぶにらみだった。それは日本人に殴られたせいだとミチコは言っていた。
アルパインが最初に来日したのは一九六七年の春だったが、そのときは個展を開くのが目的だった。日本で初めて個展を開くにあたって、彼は一番有名な日本人の石膏人形を造ろうと考えた。
「日本人で一番有名なのは誰かな?」と彼はニューヨークのアトリエでまわりのスタッフに相談した。
「さあ、クロサワじゃないかな」と誰かが言った。
「毛沢東だろう」と別のスタッフが言った。
「あれは日本人じゃないよ」とまた別のスタッフが言った。
「日本人のアイドルはやっぱりエンペラーよ」と女性スタッフの一人が言った。
アルパインはこの女性スタッフのアイデアを採用することにした。
ところが東京で個展が開催されたとたんに、紺色の作業服みたいな制服を着た数十人の男たちが会場に乱入して、会場をめちゃくちゃに壊し、入口付近に並んでいた問題の人形数十体を持ち去ってしまった。男たちはそばで口を開けて自分たちをぼんやり見ていたアルパインをついでに殴りつけた。
「悪気はなかったんだけどね」と彼らは警察の取り調べで語った。「人形と間違えちゃったんだ」
アルパインは二週間入院し、片方の目が外を向いたままになってしまった。しかし彼は日本でひどい目にあったとは感じなかったらしい。まもなく横浜の港を見下ろす丘の上に古い洋館を借りて、そこに腰を落ち着けてしまったからだ。それは聖書女子大のすぐ近くだった。
「日本という国にはぼくをインスパイアする何かがあるんだ」と彼は美術雑誌のインタビューで語った。
好奇心旺盛な女子大生たちがすぐに彼のアトリエに入り込んできた。彼女たちもアーティストになりたかったのだ。アルパインは来るものは拒まずという態度だったので、すぐに彼のまわりには女の子の親衛隊ができた。彼女たちの何人かはマリワナを吸ったり彼のちょっとした手伝いをするだけでなく、彼が撮っていたストーリーのない変てこな映画に出たりした。決まった台詞があるわけじゃないから、誰でもよかったのだ。
ぼくは後に何度かアルパインの映画を見たが、どれも若い女の子が裸になって、男たちとでたらめにセックスしたり、からだにペンキを塗ったり、酔っ払って踊ってるだけだった。
ミチコがアルパインと出会ったのも、そうした聖書女子大の友達を通してだったが、彼女は最初から彼に一目置かれていた。彼女がすでにモデルやアーティストとして名前が売れかかっていたからかもしれないし、ただ彼の取り巻きの女の子たちに比べてかなり美人だったからかもしれない。とにかく彼女はすぐにアルパインと仲よくなった。
ミチコは東京と横浜で楽しくやっていたから、神戸に戻らなければならなくなったとき、このまま何もかも終わりにしてしまうのはごめんだと思った。だからノイマン屋敷を修復するとき、アルパインを神戸に呼ぶことを考えたのだ。
ノイマン屋敷の改装にかかると同時に彼女は横浜のアルパインに電話をかけた。
「ねえ、神戸で作品を作ってみない?」
「コウベというのはキョウトの近くかい?」とアルパインはきいた。
「ええ、すぐ近くよ」とミチコは答えた。
「ぼくはキョウトに住みたいんだ」
「神戸はほとんど京都みたいなものよ」
それはちょっと強引な説明だったが、アルパインは初めてノイマン屋敷にやってきたとき、すぐにそこが気に入ってしまった。摩耶山から見下ろす海と神戸の街はパノラマのようだと彼は思った。
「キョウトはどこ?」とアルパインは子供みたいにきいた。
「すぐそこよ」とミチコは東のほうを指差しながら、子供をだまそうとする母親みたいに答えた。
結局アルパインはそれほど本気で京都に執着していたわけではなかったらしい。まもなく彼はノイマン屋敷に腰を落ち着けて新しいシルク印刷のシリーズの制作に入った。それは京都とは何の関係もない絵だった。彼の絵は飛ぶように売れたが、入ってきた金は機材や材料の購入のほか、映画の制作や麻薬類に消えていった。彼のまわりには訳のわからない連中がたくさん集まってきた。薬目当ての女の子たち。彼女たちは映画で裸になれば薬がもらえた。薬目当ての男の子たち。彼らも映画で女の子の相手をしたり、制作の手伝いをすれば薬が好きなだけもらえた。それから胡散臭いバンドの連中。アメリカの西海岸から来たのもいれば、東京や横浜からくっついてきたのもいた。彼らは薬目当てだけでなく、アルパインにくっついていればレコード・デビューのチャンスがやってくるのではないかと考えていた。そして彼ら全員が何らかの意味でアーティストだった。少なくとも自分のことをアーティストと考えていたし、お互いにそう認め合っていた。
二階のサンルームでアルパインに紹介されたとき、彼は死にかけの老人みたいに椅子に座ってぼんやり外を見ていた。ミチコが日傘をさしかけてやっていた。白子の彼は直射日光に弱いのだ。温かい太陽の光が広く細長いガラス張りの部屋いっぱいに溢れていた。まわりの山は菜の花に覆われていた。細かい波がキラキラ光る静かな海にはたくさん貨物船が浮かんでいた。海沿いに並ぶ製鉄所の溶鉱炉がちぎれ雲みたいな水蒸気の塊を吐き出していた。
「きみは何がやりたい?」とアルパインは固い木の椅子に腰掛けたまま言った。彼はそんな意味のことを英語で言ったのだが、なんだかひどくぎこちない喋り方だった。
「さあ、別に」とぼくは言った。そのころぼくは英語で小説を書き出していたが、そんなことを言ってみたって何にもならなかった。
ぼくと八重山と結城は彼の椅子のそばに立っていた。アルパインは八重山のことを知っている様子だったが、最初から最後まで彼の顔を見ようとしなかった。
「まだ子供なのよ」といった意味のことをミチコが英語で言った。
アルパインは多分ぼくが彼のアトリエで何か仕事にありつこうと思ってる若者だと思ったのだろう。絵の制作を手伝ったり、映画の撮影で裸の女の子とうまいことやったりしてるうちに、芸術家として売り出してもらえるんじゃないかと考えてるやつらの仲間だと。
アルパインはひどく神経質な男だった。ぼくみたいな子供と話すときも手がかすかに震えた。ぼくの顔も決して正面から見ようとしなかった。
「コウベはヨコハマよりいいね」と彼はまたぼくに言った。
「そうかな」とぼくは曖昧に言った。ぼくは横浜に行ったことがなかったからだ。
「山が高い。まるで港を空から見下ろしてるみたいだ」
「そう?」とぼくは言った。
彼はそれだけ話す間にも何度となく助けを求めるような目でミチコを見た。彼女はそのたびにウインクをして見せたり、彼の腕を撫でたりした。日本のマスコミは彼が取り巻きの女の子たちとやりまくってるといったようなことを記事に書いていたが、それはでたらめだった。彼は女の子たちに対してわりとよそよそしかった。その中でミチコだけは例外だった。彼女はアルパインがリラックスして喋れる唯一の人間だった。それは多分彼女が彼の姉か母親のように振る舞っていたからだろう。
「ひとつきいていい?」とぼくはアルパインに言った。
「どうぞ」と彼は言った。
「どうして煙草のパッケージとか有名人の顔とか、誰でも知ってるものばかり描くの?」
「誰も知らないものを描いた芸術家なんていないよ」と彼は答えた。「いたとしてもそんなやつは誰にも認めてもらえないだろうね。だって人間は芸術の中に自分を発見する手掛かりを求めるんだから」
「ふうん」とぼくは言った。何だかはぐらかされたような気がしたが、それ以上どうやって突っ込んだらいいのかわからなかった。
「ぼくは自由を発明したんだ」とアルパインは言った。
「へえ」とぼくは言った。
「嘘ばっかり」とぼくの横で八重山が呟いた。
「今までの芸術にはタブーが多すぎたんだよ」とアルパインは言った。「芸術家は世の中のタブーをそのまま受け入れちまうお人好しだったのさ」
「おまえもその一人じゃないか」と八重山がまた呟いた。彼の声はアルパインの耳に届かなかったらしい。あるいは聞こえないふりをしていただけなのかもしれない。芸術家は強ばった顔で笑いながらミチコを見上げていた。
「ぼくのほんとの作品は、マルボロの煙草の模型でもジェーン・フォンダのシルエットでもない。何をしても平気だという考え方そのものなんだ」
「おまえは寄生虫なんだよ」と八重山はまた呟いた。
ミチコが彼のほうを見て笑った。変な雰囲気だった。アルパインは半身付随の病人みたいに椅子に座ったまま神戸の街を見下ろしていた。
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「ノイマンがこの屋敷に火をつけたのよ」とミチコがぼくに言った。「ひどいと思わない?」
「思うよ」とぼく。
「それでいて、この家は八重山屋敷じゃなくて、ノイマン屋敷って呼ばれてるのよ」とミチコは言った。「ひどいと思わない?」
「思うよ」とぼく。
「あなたはわたしから身を守ろうとしてるみたい」とミチコは言ってちょっと笑った。
「どうして?」
「男の子をいつもそばに置いてるからよ」
「結城はぼくらの仲間なんだ」とぼくは言った。「ぼくと八重山の」
「その子を置いとけば、わたしが襲ってこないと思ってるのよ」
「そんなことないよ」
ぼくと結城はサンルームのソファにならんで腰掛けていた。八重山はいなかった。ピアノを弾いていたのかもしれない。ミチコは風に吹かれてるみたいにふわふわと部屋の中を踊りながら回ったり、ぼくらと向き合って座ったりした。
「ノイマンがこの屋敷に火をつけて逃げ出したのは、一九四五年の四月二十九日の夜よ」
「そう?」
「どう思う?」
「どう思うって?」
「一九四五年の四月二十九日はヒトラーが自殺した日なのよ。どう思う?」
「さあね」とぼくは曖昧に言った。別に何も思わなかったからだ。
ミチコは一枚の写真を見せた。ナチスの親衛隊の制服を着た若いドイツ人らしい男が写っていた。その顔はどこかで見たことがあるような気がしたが、どこでだったか思い出せなかった。まだ子供だったぼくには、ドイツ人はみんな同じような顔に見えた。
「ノイマンはドイツ人商人じゃなかったの?」
「日本に来る前は親衛隊員だったのよ」
「どうしてこんな写真を持ってるの?」
「研究してるのよ」
彼女は聖書女子大で日本史を専攻していた。中退してしまったので卒業論文を書くことはできなくなったが、その頃の彼女はそれに代わる論文を書こうとしていた。テーマは神戸とノイマンと第二次世界大戦だった。彼女はぼくに書き出しの部分を見せた。タイトルはただ「プロローグ」となっていて、論文全体のタイトルはまだ決まっていなかった。そのプロローグはレポート用紙百枚以上に細かい字でびっしり書き込まれていて、それだけで一冊の本になりそうな分量だった。
「すごいなあ」とぼくは言った。
その頃のぼくには作品のボリュームに対する信仰があったのだ。長い作品は中身の質いかんに関わらず、それだけで特別な値打ちを持っているように思われた。その頃ぼくが好んで読んだ小説は、『デイヴィッド・コパーフィールド』にしろ、『レ・ミゼラブル』にしろ、『戦争と平和』にしろ、『静かなドン』にしろ、みんなとても長かった。ぼくは自分でもいつかこんな長いものを書いてみたいと思っていた。
「プロの意見を聞かせてもらいたいのよ」とミチコはぼくに言った。
「ぼくはプロじゃないよ」
ミチコはぼくと八重山が発見した洞窟に注目していた。ぼくらは彼女を案内して何度か洞窟に潜ったが、ミチコはまるで自分が何か大きな発見をしたみたいに興奮していた。
「これは地下道よ」と彼女は言った。
「だからそう言ったじゃないか」と八重山が言った。
「これは人工的に作られた抜け穴なのよ」
「そうかもしれないな」
彼女は特に総愛学院の神父館や校舎がノイマン屋敷と地下道で結ばれていることに強い興味を示した。
「これはノイマンが逃げるために使った抜け穴なのよ」と彼女は言った。
「そんな馬鹿な」とぼくは言った。
「逃げるんなら三の宮に続いてる地下道だけで十分じゃないか」
「逃げるっていうのはそんなに簡単じゃないのよ」
アルパインは洞窟の冷凍鹿に強い興味を示した。
「まるで本物そっくりじゃないか」と彼は言った。
「本物だよ」とぼくは言った。「凍ってるんだ」
「そうか」と彼は言った。ちょっとがっかりしたみたいだったが、それでも熱心に鹿を見つめていた。「でも、まるで生きてるみたいじゃないか」と彼は言った。
彼の関心は現実の模倣にあった。もっと正確に言うと、ぼくらが現実の世界から受け取っている印象を複写することにあった。それが彼の芸術の根底をなしていた。彼は実物には興味を抱かなかった。彼が惹かれるのは常にコピーされたものだったのだ。
「総愛学院がノイマンを逃がしたのよ」とミチコが言った。
「どうして?」とぼくが言った。
「ローマ・カトリック教会はいたるところでナチ党員を匿ったり逃がしたりしたのよ」と彼女は言った。
彼女はポーランドやオーストリアやフランスで教会や修道院がいかに積極的にナチ党員やその協力者の逃亡に手を貸したか、いくつも例を上げながら話した。
「ふうん」とぼくは言った。
「父と母はノイマンの顔を知ってたのよ」と彼女は言った。
「そうだろうね」
「父と母は一九六六年にもう一度ノイマンを見たのよ」と彼女は急に大声を上げた。「あの人たちはノイマンに殺されたのよ」
「まさか」とぼくらは言った。
ミチコは両親とノイマンのことになると冷静さを失ってしまうところがあった。ときどき叫び声を上げながらそこら中を転げ回ることもあった。薬のせいもあったのかもしれない。でも、とにかく彼女は両親がノイマンに殺されたものと信じ込んでいた。
「ノイマンは二十年間他人に化けていたのよ」と彼女は言った。「それを父と母に見つかったから殺したのよ」
彼女のノイマン研究のプロローグは、レポート用紙百枚以上にわたって両親のことが書かれていた。
大正時代にお祖父さんが貿易で大儲けをした話、鉄工や造船からキャバレー、カフェまであらゆる事業に手を広げた話、その二人の息子のうち長男つまりミチコの伯父は生まれつきからだが弱くて寝たきりだったという話、その伯父に聖書女学院を卒業したばかりのお嫁さんが来た話、そのとき父はまだ創立されて間もない総愛学院の一年生だったという話、伯父が寝たきりだったため、お嫁さんとセックスできなかったという話、ちゃんとしたセックスの代わりに彼らがベッドの上で何と何と何と何と何と何と何をしたかといった話(どうしてミチコはそんなことまで調べることができたんだろう?)、伯父が自分のお嫁さんと弟の間を疑っていたという話、彼らに向かって「やったら承知しないぞ」と何度も繰り返し脅した話、「頼むからやらないでくれ」と何度も泣きながら頼んだ話、妻と弟つまり後のミチコの母と父がそのたびに絶対やらないと誓ったという話、実を言うと父は何度も母にやろうと持ちかけたのだが、そのたびに拒絶されていたという話、伯父が最後に「悪かったね。もうやってもいいよ」と言い残して死んでいった話、その頃もう戦争がひどくなっていて、毎晩神戸がアメリカの爆撃機に空襲されていた話、兄がいなくなったので彼らはすぐにセックスしようとしたのだが、あんまり長いこと我慢していたのでうまくいかなかったという話、そのとき母が「ああ、あたしはなんて馬鹿だったんだろう。こんなことならもっと前にやっておくべきだったわ」と言ったという話。父は「あせることないよ。これからいくらだってできるじゃないか」と言ったという話。母は「だめよ。日本は戦争に負けてもうじきみんな死ぬんだわ」と言ったという話。父は「戦争が終わるまで生き延びようよ。戦争が終わったら結婚して思う存分やろうよ」と言ったという話⋯⋯⋯⋯。
正直に言ってミチコのプロローグはとてもひどい出来だった。文法や言い回しが間違いだらけだったし、内容的にもあちこち混乱していた。おまけに途中から小説みたいになっていた。
「ノイマンのことを書くのに、どうして両親についてこんなに詳しく書かなきゃいけないのかな」とぼくは言った。
「わたしの両親だからよ」とミチコが言った。
「でも、ノイマンとどういう関係があるの?」
「ノイマンがあの人たちを殺したからよ」
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